魔王と勇者の物語~飢えた忌み子に命を分け与えたら、暴君女帝に育ってしまった~ 作:猫屋敷てん
フレイヤ・フォン・ローゼンブルグは忌み子である。
フレイヤは、生まれながらに他人の命を吸い取るという、忌み子としか言えない能力を持ってしまった悲劇の少女だ。
最初の犠牲者は母だった。出産と同時にその力が発動してしまい、フレイヤは生後数十秒で母の命を吸い取った。
美しき后妃は、一瞬にして醜いミイラになったのだ。
そんな母の末路。娘の力を見て父は――歓喜した。
母を殺した怒りはある。されど、フレイヤは最強の兵器になれる器だ。
この能力があれば、大陸制覇すらわけがないだろう。故に処分されることなく、フレイヤは育てられた。皇族としての教育を施され、とても期待されていたのだ。
しかし、幼いフレイヤは己の力を上手くコントロールすることができず、たびたび暴走して周囲の人間を殺してしまう。
それが何度が続いた結果、ついに諦めるように北の離宮に隔離されたのがフレイヤの人生だ。
吹雪舞う北の地で、こんな監獄のような場所に入れるということは、凍えて死んでくれと言っているようなもの。
つまるところ処刑である。
フレイヤは誰にも愛されない。望んで持った力じゃないのに、この力のせいで一人寂しく死ぬ運命を決められていた。
寂しい。寂しくて寂しくてたまらない。兵器になれるよう頑張ったのに、その努力が実ることはなかったのだ。
そんな北の地で、フレイヤは出会った。出会ってしまった。
初めて愛してくれる人と――
兵器として見ている目ではない。恐怖心も持っていない。ただフレイヤという人間を見て、愛をくれるアレク。
愛されたことないフレイヤにとって、その愛はあまりにも大きいものだった。
抱きしめられることがあんなに暖かいとは思わなかった。
キスというのが今まで食べたどの食事よりも甘くて美味しいものだとは思わなかった。
フレイヤはようやく満たされたような気がして、これが幸せというのだろうと心の底から思う。
もう何も必要なかった。
だというのに、フレイヤが持って生まれてしまった呪いは、フレイヤをどこまでも苦しめる。
◇
「あ……ぁ……」
フレイヤは腕の中のアレクを抱きしめながら、絶望に包まれていた。
やってしまった。
あんなに愛してくれたのに。あんなに優しくしてくれたのに。
フレイヤの呪われた身体は、愛する人の命を最後の一滴まで啜り尽くしてしまったのだ。
「う、ぁああ……ごめんなさい、ごめんなさい……ッ!!」
フレイヤはアレクの胸に顔を埋め、慟哭した。
口の中にはまだアレクの命の味が残っている。まるで蜂蜜を煮詰めたような、脳髄を痺れさせる甘い味。
それが今は、吐き気がするほどおぞましかった。
フレイヤは化け物だ。
父の言った通りだ。愛される資格などない。誰かと触れ合う資格などない。
孤独に凍えて、一人で死ぬべきだったのだ。
「アレク……目を開けておくれ……! 頼む、なんでもするから……わらわを置いていかないで……ッ!」
冷たい石床に涙が落ちる。
もう二度と、あの日向のような声は聞けない。あの温かい手で頭を撫でてはくれない。甘い口づけはしてくれない。
永遠の孤独が、フレイヤに重く冷たくのしかかってくる。
その時だった。
「……ん、ぅ……重い、って」
頭上から、間の抜けた声が降ってきたのは。
フレイヤの思考が凍りつく。幻聴か。それとも亡霊か。
恐る恐る顔を上げると――
「……なんでそんな泣いてるんだよ、フレイヤ」
死んだはずのアレクが、片目を開けて不思議そうにこちらを見下ろしていた。
顔色は少し悪いかもしれないが、その瞳にはしっかりと生気が宿っている。
「……あ、レク……?」
「ああ。……っつ、なんか頭がクラクラするな。貧血か?」
アレクは何事もなかったかのように身体を起こし、こめかみをさすった。
その姿に、フレイヤは信じられないものを見る目で後ずさりする。
「な、なぜ……? なぜ生きておる……?」
「なぜって……え?」
「だ、だってわらわは吸ったぞ! アレクの命を、全部! 止められなかったのじゃ! 他の者は一瞬でミイラになったのに、なぜそなたは……!」
混乱のあまり、言葉が上手く出てこない。
フレイヤは恐る恐る手を伸ばし、アレクの頬に触れた。
とても温かかった。首筋に触れると、ドクン、ドクンと、力強い脈動が指先に伝わってくる。
生きている。
あれほどの暴食に晒されながら、アレクは死んでいない。
「……言っただろ。俺の命くらい、いくらでも食わせてやるって」
アレクは呆れたように笑って、フレイヤの手を自身の胸板に押し当てた。
「全部吸われた気がしたけどな。……でも、なんか平気みたいだ。底から湧いてくるっていうか」
「ばけもの……」
「人聞きが悪いな。お前もだろ!」
アレクの軽口を聞いた瞬間、フレイヤの中で張り詰めていた何かがプツリと切れた。
安堵と、悔しさと、愛おしさが爆発する。
「ばか……っ!」
ポカッ、とフレイヤの拳がアレクの胸を叩いた。
「ばか! ばか! ばかものーッ!」
「いっ、痛えよ! なんで殴るんだよ!」
「死んだと思ったのじゃ! もう会えないと……わらわがまた殺してしまったと……怖かったのじゃぞ!?」
ポカポカと、涙を流しながら何度も胸を叩く。
その拳に力など入っていない。ただそこに確かな肉体があることを確かめるように、フレイヤはアレクに縋り付いた。
「ぐすっ……うぅ……っ!」
「……悪かったよ。心配かけて」
アレクは苦笑しながら、暴れるフレイヤを優しく抱きしめた。
その温もりに包まれた瞬間、フレイヤは悟ったのだ。
ああ、自分はこの男がいなければ生きていけないのだと――
父も、国も、世界中の誰もがフレイヤを死すべき化け物として恐れた。
けれど、このアレクだけは違う。
どれだけ吸っても、どれだけ奪っても、決して壊れずにフレイヤを受け止めてくれる。
世界で唯一、フレイヤが命を吸っても壊れない人間。
世界で唯一、フレイヤの隣に立つことが許された存在。
そんなアレクの存在に涙を拭い、フレイヤは鼻をすする。
泣き顔を見せるのは弱い証拠。皇族としてあるまじき失態だ。そう教育されてきた。
だからフレイヤはグイッとアレクの胸板を押し返すと、潤んだ瞳のまま、精一杯の強がりで彼を睨みつけた。
「……勘違いするでない、アレク」
「は?」
「そなたが生きていたのは、運が良かったからではない。わらわが手加減してやったからに決まっておる」
「えぇ……? さっきまで「止まらない」って泣いてなかったか?」
「なっ、泣いてなどおらぬ! あれは演技じゃ、演技!」
フレイヤは顔を真っ赤にして叫ぶと、尊大な態度でふんぞり返った。
「よいか、よく聞け。……そなたは頑丈だ。無駄に丈夫だ。それが唯一の取り柄のようじゃな」
「あ、うん。まあ、そうかもな」
「ゆえに! 特別に許可してやろう」
フレイヤはビシッとアレクの鼻先に人差し指を突きつけた。
「そなたを、わらわの所有物として認定してやる」
「……はい?」
「わらわが腹を空かせた時は命を差し出せ。寒い時は湯たんぽになれ。わらわが寂しい時は……その、キスぐらいはさせてやってもよい」
上から目線で捲し立てるが、その指先は小刻みに震えている。
拒絶されるのが怖いのだ。だが命令という形を取ることでしか、傍にいて欲しいと言えない不器用な少女。
これが人に愛されたことがない少女が、愛を伝える唯一の手段。間違っていることがわかっていても、ほかに方法を知らないから、尊大な態度を取るしかない。
傲慢に、されど泣きそうになりながらフレイヤは叫ぶ。
「光栄に思うがよい! 皇女であるわらわが、一生傍に置くと決めたのじゃ。……拒否権などあると思うなよ?」
「えっと……」
そんなフレイヤの言葉に、アレクはぽかんと口を開け頭を掻いた。
フレイヤが何を言っているのか、半分くらいしか理解できていない。いわゆるツンデレな態度というのは、人に本心を伝えるのに不適切なのだ。
弱いところを見せたくないから、強がって傲慢に命令する。ただアレクは、そんなフレイヤも拒否しない少年だ。
「……お、おう。よく分からんが、分かった」
「なんじゃその間の抜けた返事は! もっと嬉しそうに尻尾を振らぬか!」
「いや、俺人間だし。尻尾ねえし!」
「うるさい! とにかく、そなたはもうわらわのものじゃ! 他の女によそ見をしたら、今度こそ干物になるまで吸い尽くしてやるから覚悟しておけ!」
フレイヤはアレクの胸ぐらを掴むと、所有印を押すようにその胸板に強引に頬を擦り付けた。
「……絶対に、離してやらぬからな」
服に顔を埋め、ボソリと呟かれた本音。
その声があまりに切実で、可愛らしくて、アレクは苦笑しながらその小さな頭を撫でることしかできなかった。
「はいはい。逃げないよ、皇女様」
「ふん。……わかればよい」
朝日が差し込む石牢の中で、ちぐはぐな二人は抱き合っていた。
素直になれない傲慢な皇女と、鈍感で優しすぎる庭師の少年。
二人の認識は少しばかりズレていた。フレイヤの重すぎる愛に、アレクはあまり気づいていなかったのだ。
だがその体温だけは確かに一つだった。もう何もいらない。
アレクさえいれば、フレイヤは他の者の命を吸わなくてもいい。
アレクさえいれば、ほかのなにも必要がない。皇女という地位だって、どんな金銀財宝だって、全てを投げうってアレクを選ぶだろう。
アレクさえいれば、最悪の女帝は決して生まれなかったのだ。