魔王と勇者の物語~飢えた忌み子に命を分け与えたら、暴君女帝に育ってしまった~ 作:猫屋敷てん
アレク・ベルマンは庭師の父と針子の母の間に生まれたごく普通の男の子である。
生まれた時から身体能力が高くて、平民にしては顔が整っている以外は特質して何かがあったわけではない。
あるいはその優しさや、責任感など、性格面の成長が早かったのは特徴と言えるかもしれない。
そんなアレクが勤めるのが、離宮の庭だ。
だがその離宮とは、要人を監禁するための名ばかりの離宮だった。
離宮という体を保つために使用人や庭師が雇われているが、あくまで体を保つだけ。適当に平民から安月給で雇っただけだ。
その離宮の役割は、難しい立場の要人の監禁。あるいはひそかな処刑。
フレイヤ・フォン・ローゼンブルクも、その立場故この離宮に送られてきた。
呪いによって処刑もできないから、監禁して衰弱死するのを待つという最悪な手段を取られていたのがフレイヤだ。
正義感が強く、困っている人は助けるものと考えるアレクが、そんなフレイヤを助けたのは当たり前のことだった。
フレイヤが忌み子と呼ばれていることはわかっている。恐ろしい呪いを持っているのはわかっている。
でも見捨てられなかったのだ。
吹雪が吹き込む牢獄の中で、一人の少女が苦しんでいるというのに見捨てられるはずがないだろう。
だからアレクは、呪われる恐怖を抑え込んで己の体を差し出した。
今は、それでよかったと思う。確かに命を吸われたが、なぜかアレクは生きていた。ならばアレクが代わりになればいい。
フレイヤは定期的に命を吸わなければならないらしい。ならその役割をアレクが引き受ければ、全員が幸せになれる。
そんな思いを持っていた。
あの日、フレイヤに命を吸われた日から二人の距離はぐっと近くなった。
二人の感情も変化して、それはアレクも変わらないものだ。
「……また、出かけるのか?」
離宮から離れた場所にあるアレクの家。パチパチと火が燃えて温める家の中で、ふと父がアレクに問いかけていた。
「え、お、うん……」
それに対しアレクは、ビクッと驚き戸惑いながらも返事をする。
「えーと。そう、友達。友達と遊ぶ約束があるんだ」
慌てたアレクがとっさに口をついて出たのは、嘘だった。
「そうか。……だがこの寒さだ。気をつけろ。」
「分かってるよ父さん。もし吹雪が来たら、友達の家に避難する」
「ああ。そうしなさい」
アレクは嘘をつかないから、父が疑うことはない。
その純粋な視線に胸が痛むのを感じながらも、アレクは防寒着の前を閉め、逃げるように家を出た。
外に出た瞬間、凍てつくような寒気が襲い掛かる。
視界を白く染める雪道を歩きながら、アレクは懐に入れた水筒の重みを確かめた。
中には薄い野菜スープが入っていて、冷めないうちに届けてやらなければならない。
(……俺は、何をしてるんだろう)
しかし白い息を吐きながら、アレクは自嘲気味に思う。
わかっている。自分がしていることは、忌み子に命を分け与えるという褒められた行為ではないと。
誰もが死を願う化け物を、唯一生かそうとしているのだと。これは間違った行為だ。
しかしアレクの脳裏に焼き付いているのは、恐ろしい化け物の姿ではない。あの日、初めて出会った時の、空腹と寒気に死にかけていた少女だ。
初めて血を与えた時に見せた笑顔。
アレクが訪れるたびにサーカスが来たかのように喜んでくれるフレイヤを、化け物だとは思わない。
世界中の全てがフレイヤを恐れ、死を望んでいる。
でもアレクの目には、ただの寂しがり屋の女の子にしか映らなかった。
強がって命令してくるくせに、アレクが帰ろうとすると服の裾を掴んでくる。そんな可愛らしい少女を、どうして見捨てることができるだろう。
(俺しか、いないんだ)
他の人間では駄目なのだ。他の人間は、フレイヤの呪いで死んでしまう。
フレイヤの呪いを受け止め、それでも生きていられるのは、現状アレクだけ。
ならばそれは運命なんじゃないか。フレイヤを守れるのが自分だけなら、自分が守るしかないじゃないか。
命を吸われる感覚は、死なぬとしても恐ろしい。
だがそれ以上に、フレイヤと繋がっているという充足感が、アレクの心を支配し始めていた。
そして視線の先に、雪に塗れた塔が見えてきた。
灰色の空に突き刺さるような、冷たい石の牢獄。こんな冬にわざわざ見回りにくる兵もいないから、アレクの足を止める者もいない。
「……待っててくれ、フレイヤ」
その足取りは軽やかで、忌み子の下に向かうようなスキップではない。
人々はこの思いを、恋と呼ぶのだろう。
◇
その離宮はあまりにも寒かった。吹雪が窓から入ってきて、防寒具の一つもありはしない。
だが今は寒いとは欠片も思わなかった。
いや、今までで一番温かいとすら思うだろう。
フレイヤ・フォン・ローゼンブルグは、心の温かさに満たされていた。
暖かなアレクに後ろから抱きしめられながら、アレクと一緒に食べる。
びゅうびゅうと吹雪が窓から吹き込んでくるというのに、これが幸せなのだろうとフレイヤは心の底から思っていた。
「……固い」
そんな日々の中、フレイヤは眉間にしわを寄せ、石のようなパンを睨みつけた。
「なんじゃこれは。城壁の欠片か? これを作ったパン職人は、わらわの歯を砕く刺客か何かなのか?」
「文句言うなよ。ほら、スープに浸せば食えるから」
アレクは苦笑しながら、持参した薄い野菜スープにパンを浸し、ふやけたところをフレイヤの口へと運んだ。温かいものを食べさせてやりたいと持ってきたが、運ぶ途中ですっかり冷めている。
しかしパンをふやかす力はあり、あーんと開けたフレイヤの口に、アレクは浸したパンを放り込んでいた。
それは小鳥に対する餌付けのようだ。
「……味が薄い」
「贅沢言うなって」
「しかたないじゃろ。奴らめわらわをどうしても殺したいらしいから、こういうものを食事とのたまうのじゃ」
そう言ってフレイヤはプンプンと憤るが、本気で怒っていないのはアレクに抱きしめられているから。
今のフレイヤは幸せであり、国に死を望まれているなんて至極どうでも良い。
「じゃから、口直しが必要じゃな」
「おいおい」
そして言うが早いか、フレイヤはくるりと首を巡らせ、背後にいるアレクの唇に噛みついた。
「んっ……!?」
「ん……ちゅ、ぅ……」
食事の途中だろうとお構いなしだ。
フレイヤはアレクの唇をこじ開けると、パンを飲み込んだばかりの舌を絡ませ、貪るようにその生気を吸い上げた。
ズズ、と命が流れ込んでくる音が脳内に響く。
スープなど比較にならない。脳が溶けるほどに甘く、濃密なアレクの味。
「ふぁ……ん、ぷはっ」
ひとしきり吸い取ってから、フレイヤは満足げに唇を離した。
アレクは少しふらつきながらも、呆れたように口元を拭う。常人ならすでに死んでしまうぐらいには吸い取ったのに、アレクはピンピンとしていた。
「お前なぁ……飯食ってる時くらい普通に食えよ」
「何を言う。おかずじゃ、おかず。パンだけでは喉が通らぬゆえ、アレクの命で流し込んだだけじゃ」
「まったく。最近遠慮がねえな。最初は泣き叫んでたのに」
「な、泣き叫んでなどおらぬわ! 皇族として余裕がちゃんとあったじゃろう」
「はっ」
「貴様鼻で笑いよったな!」
アレクの態度が我慢ならなくなったのか、襲い掛かるフレイヤ。
しかし命を吸うという力がある以外普通の少女と大してかわらぬフレイヤでは、すでに庭師として働いているアレクに勝てるはずがない。
「おっとっと」
「むー、むー!」
すぐに抱き留められ、フレイヤは抑え込まれた。
「まあまあ。……俺の命ならいくらでも吸わせてやる。だから、他の人からは吸っちゃ駄目だぞ」
「わかっておる。アレク以外はまるで泥水のようじゃ。アレク以外から吸いとうない!」
「ならいい。約束だ、ん」
「ちゅっ……、んぅ」
そして二人はキスをする。じゅるじゅると舌を絡めて、その度に命を吸われた。
だが舌による接触が、一番命を吸い取りやすいというのになぜアレクは死なないのだろう。どれだけフレイヤに命を吸われようとも、アレクはいつまでもピンピンしていた。
そんな濃密なキスをしていれば、いつの間にか吹雪が止む。
雲に包まれた空から、一筋の太陽が牢獄の中を照らしていた。
「……なあ、フレイヤ」
「なんじゃ」
「外、見てみろよ。吹雪が止んだ」
「む……」
アレクに促され、フレイヤはアレクの腕の中から窓の外を見た。
相変わらずの雪景色だが、雲の切れ間から日差しが差し込み、窓枠の氷がポタポタと溶け始めている。
「……もうすぐ、冬が終わるな」
「……そう、か」
アレクの何気ない言葉に、フレイヤの背筋が冷やりとした。
冬が終わり、春が来る。
雪が溶ければ、人の往来が増えるかもしれない。兵士が見回りに来るかもしれない。あるいは――アレクがここに来なくなってしまうかもしれない。
(嫌じゃ……)
想像しただけで、吐き気がした。
アレクは己のものだ。誰にも渡したくない。誰にも見せたくない。どこかに行ってほしくない。
今の口づけだけでは足りない。もっと深い楔を打ち込まなければ、アレクは何処かへ行ってしまうのではないか。
この石牢の中だけではない。外の世界であっても、アレクは隣にいるのだと証明してほしい。
「……アレクよ」
「ん?」
「春になれば、ここも暖かくなるのじゃな?」
「ああ。過ごしやすくなると思うぞ。庭師の仕事も忙しくなるけどな」
その言葉に、フレイヤの指先がピクリと跳ねた。
仕事が忙しくなる。それはつまり、ここに来る時間が減るということだ。
やはり春など来てはいけないのだ。アレクを奪う季節など、永遠に来なければいい。
だが季節は止められない。ならば――
「……嫌じゃ」
「へ?」
「仕事になど、行ってほしくない……。ずっとここにいて、わらわだけを見ておればよいのに」
フレイヤはアレクの袖をギュッと掴み、下から覗き込むように見つめた。
いつものような命令口調ではない。消え入りそうな、懇願するような声。
「駄目か? ……わらわの傍にいるより、庭の手入れのほうが大事か?」
「そうじゃないけど……仕事しないと、俺は飢え死にしちまう」
「うぅ……わかっておる。わかっておるが……」
わかっている。こんな辺境の庭師なんて、そこまで稼げているわけではないと。
この離宮は兵士以外安月給で雇われた平民だ。
まだ十四歳のアレクも働かねばいけないほど貧乏だとわかっている。だが理屈では分かっていても、感情が追いつかない。
フレイヤは視線を伏せ、もじもじとアレクの服の裾を弄った。
春が来て、仕事が忙しくなれば必然的に会える時間は減る。それが怖くてたまらない。
それは照れ隠しのような傲慢な命令でどうにかできるものでないのもわかってる。それがアレクに迷惑をかけることもわかっている。
「……ならば、せめて一つだけ願いを聞いてくれぬか?」
「願い?」
「うむ。……そなたが仕事に行っている間も、わらわが寂しくないような……楽しい思い出が欲しいのじゃ」
フレイヤは上目遣いでアレクを見つめ、意を決したように告げた。
「わらわを、少しだけ外へ連れて行ってはくれぬか?」
「は? 外って……この離宮の外か?」
「そうじゃ。……アレクが見ている景色を、わらわも見てみたい。そなたが手入れしている庭を見せてくれぬか?」
「無茶言うなよ。兵士に見つかったら大騒ぎになるぞ」
「じゃが、不安なのじゃ!」
フレイヤはアレクの胸に顔を埋め、震える声で呟いた。
「春になれば、アレクは忙しくなるのじゃろう? ここに来るのも面倒になって……わらわのことなど、忘れてしまうのではないか?」
「そんなことないって」
「口ではなんとでも言える! ……だから、思い出がほしいのじゃ。離れている間も繋がっていられるような、二人だけの記憶が……」
顔を上げて見つめてくる瞳は、涙で潤んでいる。
皇女としてのプライドなどかなぐり捨てて、ただ一人の少女として愛を乞う姿。
いつもの照れ隠しがなくなり、素の姿を見せたその「置いていかないで」という悲痛な叫びには、さすがのアレクでも気づく。
フレイヤは怯えているのだ。
雪解けと共に、自分たちの関係も溶けて消えてしまうのではないかと。
「……連れて行ってくれぬなら、よい。わらわはずっとここで、アレクの帰りを待つだけの女になる」
「フレイヤ……」
「じゃが……もし少しでもわらわのことを大事だと思うてくれるなら……願いを、叶えてほしい」
そんなふうに言われて、断れる男がいるだろうか。いつもの傲慢な命令口調なら売り言葉に買い言葉で断っていたかもしれない。
だけどこんなしおらしく言われたら無理だ。
アレクは観念したように苦笑し、フレイヤの頭を優しく撫でた。
「……はぁ。わかったよ」
「ほ、本当か!?」
「ああ。ただし、今日みたいに雪が止んでいる夜だ。誰にも見つからないようにな」
「や、やった」
アレクの言葉に、フレイヤの表情がパァッと輝いた。本心からの無邪気な姿を見せて、まるで世界のすべてを許されたかのような無垢で愛らしい笑顔。
フレイヤは嬉しさを隠しきれず、アレクの首に抱きついた。
「……約束じゃぞ? 嘘をついたら、許さぬからな」
「はいはい。嘘はつかないよ」
「うむ。……楽しみにしておるぞ、アレク」
二人は笑い合った。
窓の外では、雪解けの水が音を立てている。
雪が止んだら、外へ行く。二人だけの秘密の時間を過ごす。
そんな美しい未来がその目には見えていた。