魔王と勇者の物語~飢えた忌み子に命を分け与えたら、暴君女帝に育ってしまった~ 作:猫屋敷てん
デートの約束をして一週間ほどが経過した。その間のアレクといえば、上の空という言葉がピッタリだ。
仕事中もずっと何かを考えて、そんな様子は家族にはバレてしまうもの。
「……最近、よくどこかへ行くなアレク」
「っ!? と、父さん?」
そう離宮の雪かきという仕事の最中、ふと父から告げられた言葉にアレクの心臓はドカンと跳ねた。
アレクは雪を掻きだす手を止め、ギギギと油の切れたブリキ人形のような動きで振り返る。
そこには、アレクと同じようにシャベルを握った父が、訝しげな目でこちらを見ていた。
「い、いやだなあ父さん。どこへ行くって、ちょっと遊びに行ってるだけだって」
「猛吹雪の日にも遊びに行っているだろ」
「友達と約束があったから。ちゃんと家の中で遊んでるよ」
「……なら、いいんだけどな。だが仕事中にもたまに消えるだろう?」
父はシャベルの柄で、ドンと地面を突いた。
「昨日もそうだ。少し目を離した隙にいなくなりおって。……この離宮は広いが、隠れる場所などそうないぞ。どこで油を売っている?」
「あー、その……」
アレクは視線を泳がせた。
まさか監禁されている皇女様の部屋に侵入して、キスをしながら命を吸われていましたなどと口が裂けても言えない。
アレクは必死に脳を回転させた。普段嘘をつき慣れていない弊害で、冷や汗が背中を伝う。
「き、北側の壁だよ! そう、北側の壁!」
「北側?」
「あそこの雪の積もり方がひどいだろ? 雪崩でもおきたら大変だって……念入りに点検してたんだよ!」
苦し紛れの言い訳だった。
だが、父は「ふむ」と顎を撫でて、少しだけ表情を緩めた。
「確かに、北側は吹き溜まりになりやすい。……感心な心がけだが、あまり近づくなよ」
「え?」
「北側の塔には、あの
父の声のトーンが、一段低くなった。
周りに誰もいないことを確認してから、父はアレクに近づき、声を潜める。
「いいか、アレク。お前も噂ぐらいは聞いているだろう。あそこにいるのは、人の形をした化け物だ」
「……化け物なんかじゃない」
「あ?」
「い、いや! なんでもない!」
つい反論しそうになり、アレクは慌てて口をつぐんだ。
父は怪訝な顔をしたが、それ以上追及はせず、諭すように続ける。
「生まれた瞬間に皇妃様を殺した呪われた皇女だ。近づく者すべてに不幸をまき散らし、その命を吸い取ると言われている。……俺たちのような平民が関わっていい相手じゃない」
父の言葉は、この国における一般的なフレイヤ評そのものだった。
忌み嫌い、遠ざけ、恐怖する。
(……父さんは間違ってる)
アレクはうつむき、シャベルを強く握りしめた。
フレイヤは化け物なんかじゃない。ただ寂しがり屋で、傲慢だけど傷つきやすい普通の少女だ。
命を吸うのだって、フレイヤが望んでやっているわけじゃない。その呪いが無理矢理吸わせるのだとフレイヤは言っていた。
でもフレイヤが呪いのせいで多くを殺したのは事実なのだ。人々が恐怖するのはよくわかる。
なぜかアレクが死んでいないだけで、非常に危険なことをしているのもわかっている。
でも、もう見捨てるなんてできるはずがなかった。
「わかったなアレク。北側の点検は俺がやる。お前は南側をやれ。……絶対に、あの塔には近づくんじゃないぞ」
「……うん。わかったよ、父さん」
アレクは殊勝な態度で頷いて見せた。
もちろん、守る気などさらさらない。もう見捨てられない段階にきているのだ。
父が北側を見回るというなら、これからはもっと慎重に、見つからないように会いに行かなければならないというだけのことだ。
「よし。なら作業に戻るぞ。日が暮れる前に終わらせる」
「うん」
父が背を向け、雪かきを再開する。
アレクはその背中を見ながら、小さく息を吐いた。
「ごめんなさい、父さん」
そうして聞こえないほどの声量で呟いて、アレクは北の塔の方角を一瞬だけ見上げた。
分厚い石壁の向こうで、今日もフレイヤが待っている。
雪が止んだら外へ連れ出すという約束もした。
父の忠告はもっともだが、もう手遅れだ。アレクはもう、自分の命の使い道を決めてしまっているのだから。
ザクッ、ザクッ、と雪をかく音が、静かな離宮に響いた。
◇
その日はデートの約束の日だった。雪が止み、人気のない夜がやってくる。
こんな真冬の夜に見回りにくるほどまじめな兵士はこの辺境の離宮には存在しない。帝都から遠く離れた誰も訪れない辺境において、出世もありえない以上まじめに仕事をするなど馬鹿らしいからだ。
故にアレク達はデートができる。
アレクは背中に大きな包みを背負い、慣れた手つきで離宮へ侵入する。外気は凍てつくように冷たいが、アレクの体は緊張と高揚で熱を帯びていた。
父の目を盗み、母のクローゼットから拝借したあるものを大事に抱えて、アレクは慎重にフレイヤが幽閉されている塔へと歩む。
「……フレイヤ。入るぞ」
小声で呼びかけ、鉄格子の窓を外して中へ侵入する。
月明かりが差し込む石牢の中、彼女はそこにいた。
「……遅いぞ、アレク」
膝を抱えて待っていたフレイヤが、ふいっと顔を上げる。
その姿を見た瞬間、アレクは言葉を失い、呆然と立ち尽くしてしまった。
「あ……」
綺麗だった。
いつものボロボロのドレス。いつもの薄汚れた石牢。
それなのに、今日のフレイヤはまるで月の女神が舞い降りたかのように輝いて見えた。
雪を溶かした冷水で身体を拭いたのだろうか。透き通るような白い肌は、薄闇の中でも発光しているかのように艶やかだ。
いつもは少し乱れている銀色の髪も、今日は一本一本丁寧に指で梳かされたようで、流れるような絹の輝きを放っている。
服の汚れも可能な限り落とされ、裾のしわも伸ばされていた。
化粧道具も、鏡さえもない監獄だ。
フレイヤができることなど、冷たい水で肌を清め、時間をかけて髪を整えることくらいしかない。
だが、それだけで十分すぎた。
元々の素材が、あまりにも完璧すぎたのだ。
宝石のような紅い瞳。整いすぎた目鼻立ち。ただそこに座っているだけで、ここが牢獄であることを忘れさせるほどの圧倒的な美貌。
磨けば国を傾けるほどの美姫になる原石が、精一杯のおしゃれをして、好きな男を待っていたのだ。
「……なんじゃ、人の顔をジロジロと。間抜け面じゃぞ」
アレクの視線に気づいたのか、フレイヤが恥ずかしそうに頬を染めて顔を背ける。アレクが見惚れているというのは、女子の観察眼があれば手に取るようわかるのだ。
そんな仕草すらも、絵画のように美しかった。
「いや……その、すげえ綺麗だなって」
「ふん! と、当然であろう! わらわを誰だと思っておる。気合を入れればこれぐらい造作もないわ!」
強がってはいるが、その耳は真っ赤だ。
アレクが来る何時間も前から、ソワソワと準備をしていたのだ。可愛いと思ってほしいという少女の健気な思いが、無事に実ってほっとする。
「……ごめん。待たせたな」
「うむ。待ちくたびれて首が伸びるところじゃった。……して? 準備はできておるのか?」
「ああ、これ」
アレクは背負っていた包みを解いた。
中から出てきたのは、分厚い毛皮のコートだ。所々ツギハギがある古着だが、手入れは行き届いている。
「母さんの上着を借りてきたんだ。サイズはちょっと大きいかもしれないけど……」
「ほう……」
フレイヤは目を輝かせ、そのコートを受け取った。
袖を通すとやはりぶかぶかで、手がすっぽりと隠れてしまう。だがフレイヤはそれを気にするどころか、コートの襟に顔を埋めて深く息を吸い込んだ。
「……良い匂いじゃ」
「そうか? 古臭くないか?」
「ううん。……日向の匂いがする。アレクと同じ、優しくて温かい匂いじゃ」
フレイヤは嬉しそうに微笑み、くるりとその場で回ってみせた。
ぶかぶかのコートを着た姿は、まるで父親の上着を借りた子供のようで、先ほどの美貌とはまた違った愛らしさがある。
「似合うか?」
「ああ。その……すごく可愛いぞ」
「ふふ。まったくわらわの美貌は罪なものじゃな!」
フレイヤは満足げに頷くと、アレクに向かって小さな手を差し出した。
「では、参ろうか。……わらわをエスコートせよ、アレク」
「えっと。仰せのままに、皇女殿下」
アレクはその手を取り、恭しく跪いてみせる。
そして、二人は窓枠に足をかけた。
目の前には、白銀の世界が広がっている。
雪は止み、雲一つない夜空には満天の星が煌めいていた。
月明かりが雪原に反射し、夜だというのに昼間のように明るい。
「すごい……」
フレイヤが感嘆の声を漏らした。
石牢の小さな窓から切り取られた景色ではない。見渡す限り広がる、自由で美しい世界。
「行こう、フレイヤ。……冬だけど、いい場所があるんだ」
「うむ! 連れて行ってくれ」
アレクがフレイヤの手を握り、夜の雪原へと飛び出す。
冷たい風が頬を撫でるが、繋いだ手の温もりがあれば寒くはなかった。
二人の影が、月明かりの下を駆けていく。
それは、誰にも邪魔されない、幸せなデートの始まりだ――