※この作品はR-18です。

魔王と勇者の物語~飢えた忌み子に命を分け与えたら、暴君女帝に育ってしまった~   作:猫屋敷てん

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第八話 闇へと落ちる者

 季節は春を迎えていた。

 石牢の窓から差し込む日差しは、皮肉なほどに暖かい。かつてアレクが春になったらと言ったその季節だ。

 

 だがフレイヤの心は、未だ真冬の中に取り残されていた。

 

「……こぬ」

 

 カサカサに乾いた唇から、掠れた声が漏れる。

 もう、何日待っただろうか。指を折って数えることはやめてしまった。身を整えることもやめてしまった。

 十日か、二十日か。あるいはもっとか。

 

 アレクは来ない。影も形も見せない。

 夜になれば窓枠にしがみつき、目を凝らして闇を見つめ続けた。けれど、愛しい少年の姿はどこにもなかった。

 

 なぜ来ないのだとフレイヤは叫び続ける。

 忙しいだけかもしれない。風邪を引いたのかもしれない。そう自分に言い聞かせてきた。

 

 けれどフレイヤの中にある悪い予感は、日を追うごとに膨れ上がり、もはや無視できないほど大きくなる。

 このままでは心臓をかきむしって死んでしまうのではと思うほど狂乱の中にいて――

 

 ――ガチャン。

 

 そんな中、無機質な音が響き、石牢の小窓が音を立てて開いた。

 それは兵士による食事の差し入れだ。いつものように、石のように固いパンと革袋に入った水が放り込まれる。

 

 普段ならそれも無視する。兵士などと口を聞きたくもないからだ。

 だが今日だけは違った。フレイヤは限界だったのだ。

 兵士への忌避感も、アレクを失うかもしれないという焦燥の前には無意味だった。

 

「……貴様、まて」

 

 フレイヤは、そう食事を放り込んで去ろうとする気配に向かって声をかけた。

 久しぶりに発した声は、ガラガラに枯れていた。

 

「……え?」

 

 フレイヤの言葉に扉の向こうで、足音が止まる。

 覗き窓から、兵士の目がギョロリとこちらを覗き込んだ。

 

「ひっ……!」

 

 目が合った瞬間、兵士が短く悲鳴を上げて露骨に後ずさる気配がした。

 まるで汚いものか、あるいは恐ろしいでも見たかのような反応。

 

「な、なな、何か用ですか殿下」

 

 兵士は恐怖に声を震わせながらも、形ばかりの敬語で対応する。

 化け物を刺激したくないという恐怖と、相手は幽閉されているとはいえ腐っても皇女だ。無礼を働けば後々面倒なことになるかもしれないという、保身の計算が見え隠れする。

 

「……聞きたいことが、ある」

「は、はあ。聞きたいこと、ですか? 俺ごときが答えられることなら……」

「庭師の……アレクという少年を知らぬか」

 

 フレイヤの心臓が素早く鳴る。

 名前を出してしまった。もしこれでアレクに迷惑がかかったらどうしよう。だがフレイヤは、縋るように言葉を続けた。

 

「いつも窓から働く姿が見えていたのに、最近姿が見えぬのじゃ。……病気でもしておるのか? それとも、仕事を辞めたのか? ……何か知っておらぬか?」

 

 フレイヤは必死の問いかけだった。頼むから「風邪で寝込んでいるだけですよ」と言ってくれ。

 そうすれば、いくらでも待てる。何年だって待てるから。

 しかし――

 

「あー……アレク? ああ、なんだ」

 

 その瞬間、兵士の目が変わった。

 さきほどまであったフレイヤへの恐怖が、少し薄れる。それは必死に懇願するフレイヤが、とても最悪の忌み子に見えなかったからだろう。

 

 どうみてもただの取り乱した小娘であり、畏怖すべき忌み子に見えなかった。すると人間、態度を変えるもの。

 今までの恐怖が覆り、まるで仕返しでもするように加虐的な笑みを浮かべる。

 

「あいつのことですか。あの、庭師のガキの」

「そ、そうじゃ! 知っておるのか!?」

「ええ、知ってますとも。……最近見かけないのも当然ですよ」

 

 兵士は、鼻で笑った。

 

「あいつなら、もう処分されましたから」

「――え?」

 

 その言葉に、フレイヤの思考が停止した。

 

 ショブン。知らない言葉ではない。けれど、今の文脈で使われる意味が理解できなかった。

 処分とは、ゴミや不要な物を捨てる時に使う言葉だ。

 人間に対して、ましてやまだ子供であるアレクに対して使う言葉ではない。

 

「……なん、じゃと?」

「ですから処分されたんですよ。一月ほど前でしたかね」

 

 兵士はまるで、昨日の天気を語るような軽さで続けた。その目には、絶望する忌み子の姿が面白くてしかたないという嗜虐心がある。

 

 あの忌み子を、そして皇女を、見下して絶望させることができるという優越感。それに酔いしれるように兵士は喋る。

 

「あいつ、夜中にこの離宮をうろついていたところを捕まりましてね。……いやぁ、ガキとはいえ恐ろしいもんだ。まさか、あの忌み子の塔に入り浸っていたとは」

 

 兵士はわざとらしく声を潜め、しかしその目には加虐的な色が宿っていた。

 化け物相手にマウントを取れる。そんな絶好の機会だと楽しんでいるのだろう。

 

「なんでも、殿下にたぶらかされたそうじゃないですか。寂しいから相手をしろ、と」

「ち……ちが……!」

「かわいそうに。まだ若いのに、皇族の命令じゃ断れなかったんでしょうねぇ。……おかげであいつはこっぴどい尋問を受けた後、北の果てへ送られましたよ」

 

 ――北の果て。

 

 それは、この極寒の地よりもさらに北。

 人の住む世界ではなく、大自然と動物達の厳しい世界だ。断崖絶壁の下に広がる広大な森は、氷点下五十度にも達するらしい。拷問を受けた少年が送られて、生きていられる場所ではない。

 そこへ送られるということは、すなわち――

 

「これも皇帝陛下の命令です」

「あ、あ…………」

 

 その言葉の意味を、フレイヤは理解できなかった。いや、理解したくなかった。

 そんなフレイヤの姿に、兵士は笑みを浮かべる。

 

「かわいそうですが、まあ陛下のご命令ですので。まったく皇女様も罪な御方だ。ご自分の立場をご存じでしょうに。近づいた人間がどうなるか……分かりきっていたでしょう?」

「ま、待ってっ!!」

「では、せいぜい絶望して死んでください」

 

 兵士はそれ以上忌み子と話したくないらしい。フレイヤを絶望させたことに優越感と、良いことをしたという正義感に満ちた笑みを浮かべた後、小窓が乱暴に閉められた。

 

 兵士の遠ざかっていく足音が聞こえる。後に残されたのは石牢の冷たい静寂と、魂を抜き取られたように立ち尽くすフレイヤだけだった。

 

「……う、そ……」

 

 ――嘘じゃ。

 嘘じゃ嘘じゃ嘘じゃ。

 あやつは意地悪を言っただけじゃ。アレクが死ぬわけがない。

 だって、約束したではないか。

 春になったら、愛し合おうと。

 アレクは嘘をつかない。わらわを置いていかないと言った。

 

 そんな思考がフレイヤの脳内でグルグルと周り続ける。けれど――

 

 ――もう処分されましたから。

 

 兵士の軽い声が、耳にこびりついて離れない。

 拷問。処分。野垂れ死に。北の果てに追放。

 

 アレクが捕まったのは、一ヶ月前。

 それは二人があの花壇でデートをした、まさにその時期と重なる。

 

「ああ。……ああ、ああ、ああ」

 

 繋がった。繋がってしまった。

 認めたくない事実が、残酷なパズルのように組み合わさってしまった。

 

 アレクが来なくなったのは、フレイヤを嫌いになったからではない。殺されたのだ。

 フレイヤのせいで。

 

 ――『わらわを、外へ連れて行ってはくれぬか?』

 

 あの時、フレイヤが我儘を言わなければ、大人しく石牢の中にいればよかった。

 ただパンを食べて、少し話をするだけで満足していればよかった。

 あの日に捕まったということは、何かしらのミスをおかしてしまったということ。それは多分フレイヤのせいなのだろう。

 

「あ……ぁ……」

 

 膝から力が抜け、冷たい床に崩れ落ちる。

 

 フレイヤが殺した。まさに兵士の言う通りだ。フレイヤは、呪われている。

 生まれた時に母を殺し、呪いのせいで多くを殺し、今幽閉されている。そして見つけた小さな幸せも、過去のフレイヤに足を引っ張られるよう失ってしまう。

 

 近づいてはいけなかったのだ。

 愛されてはいけなかったのだ。

 化け物は、化け物らしく暗い穴蔵で孤独に腐っていればよかったのだ。

 

 それを身の程も弁えずに「幸せになりたい」などと願ったから。

 春を待ちわびるなどと、人間のような夢を見たから。

 世界は――罰を与えたのだ。

 

「あ、あああ……あぁあああああぁぁああぁぁああッ!!」

 

 フレイヤの口から、獣のような慟哭が叫ばれた。

 

 それは絶望であり、後悔であり、そして激しい憎悪だ。

 

 自分への憎悪。

 アレクを殺した者達への憎悪。

 こんな理不尽を許容する帝国への憎悪。

 そして二人を祝福するふりをして、残酷に切り捨てた「春」という季節への憎悪。

 

 視界が暗く染まっていく。

 アレクの笑顔が走馬灯のように浮かんでは、黒く塗りつぶされていく。

 

 あの言葉も、あの温もりも、もう二度と戻らない。

 

「許さぬ……」

 

 フレイヤの瞳から、光が消えた。

 代わりに宿ったのは、底なしの深淵のような闇だ。

 

「許さぬぞ……誰であろうと、わらわから奪ったことを後悔させてやる」

 

 力が欲しい。

 誰にも何も奪わせない、絶対的な力が。

 理不尽な世界をねじ伏せ、全ての人間を跪かせ、誰もが恐怖する暴力が。

 

 フレイヤに残っていた心の柔らかい部分が壊死していく音がした。

 アレクを愛し、アレクに愛されたかったただの少女は、この瞬間深い絶望の中に沈んで死んだ。

 

 残ったのは空っぽのフレイヤだ。

 世界を呪い、愛を渇望しながら、全てを破壊しようとする怪物だ。

 

 アレクさえいれば、幸せさえあれば、フレイヤは闇に落ちることはなかった。

 されど全てを奪われたから、もう何もかもどうでもいいと最悪の女帝が生れ落ちる。

 

 これが後の歴史で最悪の失敗だったと言われる、アレクの処分と女帝の誕生の瞬間であった。

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