外から鍵の開く音がした。
続いて、ぎぃーと低く軋む音を立てて、重い金属の扉が開く。
ベアトリーチェは、微睡みから引き上げられるように目を覚ました。
身体は綿のように疲れ切っていた。身体を起こそうとする気力も湧かず。しばらくのあいだ、うつ伏せで丸くなったまま横になっていた。
暗闇の中に、扉の向こうからの灯りが差し込む。
ぼんやりとしていた頭が、少しずつ現実を取り戻していく。
視界に入ったのは、窓のない広い部屋だった。
壁も天井も石造りで、なにも置かれてなさそうな部屋だ。
「……え?」
ベアトリーチェは思わず声をあげた。
自分が狭い檻の中にいることに気がついたのだ。
檻は大型の獣を収容するためのもので、立ち上がることはできない。背を伸ばして眠ることもできないくらいであり、ベアトリーチェはここで丸くなって横たわっているのだ。
床には毛布が敷かれ、隅には小さな金だらいが置かれている。
慌てて、身体を起こそうとして動かないことにも気づいた。
両腕は首の後ろで固定され、短い鎖で繋がれている。足首にも枷が嵌められ、床の金具と繋がっていた。
身動きが取れない。
しかも、裸だ。
布ひとつまとっていないと気づいた瞬間、喉の奥がひくりと鳴った。
しかし、断片的な記憶が蘇ってくる。
港側の公会堂。捕縛。見世物──。あの屈辱──。
最後に会ったマルティナとエルネスタ──。
呼吸が浅くなる。
しかし、拘束をされたまま、馬車に乗ったところで、記憶は途切れている。
拘束は同じだが、二枚の白布はなくなっている。
もしかしたら、馬車の中で眠り、そのままここに収容されたのだろうか。
「ふふ」
笑い声がした。
部屋の灯りがつき、檻の前に誰かがしゃがみ込む。
リタだった。
鉄格子を覗き込んで、拘束されたままのベアトリーチェを見て、にこにことしている。
「おはよう、ベアト。寝れた? まあ、無理か。あの性宴のあとだもの。大変だったらしいわね」
「リタ、これはどういう状況なんだ。とにかく、ここから出してくれ……。それと、院長を呼んでくれないか」
リタは首を横に振った。
「だめよ。用があるなら院長じゃなくて、今日からはあたしに言うのよ」
「今日から?」
「そう。だって、あたし、ペットになったベアトの飼育長になったんだもの」
「……ペット? 飼育長? なにを言っている」
「もう、そういう決まりなの。今朝、マルティナ様が来て、そう決まったのよ」
リタは、悪びれた様子もなく笑った。
「マルティナ──? あいつがここに来たのか? いや、その前に、ここは庇護院で間違いないよな?」
「そうね。庇護院の倉庫のひとつを、今日からのベアトの小屋として、みんなで準備したの。小屋にしては大きいけどね」
リタがけらけらと笑う。
「待て──。それよりも、マルティナはなにをしに来た? まだ、ここにいるのか──」
「いないわよ。朝に来て、あたしをベアトの飼育長にしてくれたの。院長にもそう命じたら、院長に訴えても無駄よ。院長は、これに関しては、あたしに逆らえなくなったんだから」
「逆らえなく……。いや、もしかして、お前は、エルネスタとマルティナの関係のことを知っているのか?」
「関係のことって、首環のこと? それなら知ってるわ。みんな知ってるもの。副神殿長に隷属されているってことでしょう。だから、あたしが世話係になったのよ」
リタはにこにこしている。
ベアトリーチェは唖然となった。
「とにかく、エルネスタに会わせてくれ」
絞り出すように言うと、リタは即座に首を横に振った。
「だめよ。ベアトの飼育長はあたしよ。ベアトは、あたしの言うことだけを聞けばいいの」
あっけらかんとした口調だった。
「くっ……なら、ここを出してくれ。それと、拘束を解け──」
「いいわ。でも、ちゃんと準備ができたらね。だって、ベアトはまだペットになりきってないでしょう? だから、躾け具をつけないと、まだ自由にできないわ」
「いい加減にしろ、リタ──。わたしは、ペットになんかならない──」
ベアトリーチェは怒鳴りあげた。
「やっぱり、躾け具はいるわね……。でも、心配ないよ、ベアト。ちゃんと、躾をしてペットとして仕立ててあげるからね」
「リタ、話を聞け──」
「それよりも、あとで世話係の娘を呼ぶわね。世話係は一日ごとに数名ずつ交代するの。みんな、可愛いベアトをペットにできるって、大喜びしているわ」
「ペットじゃない──。ふざけるのもいい加減にしろ。いくらリタでも、怒るぞ」
声を荒げたが、檻の外のリタは少しも怯まなかった。
「まあ、やっぱり気が強いわね。でも、大丈夫よ。必ず、従順なペットになるわ。任せてね」
リタは微笑みを崩さない。
ベアトリーチェはだんだんと恐怖のようなものを覚えてきた。
まったく、話が通じない。
まるで、言葉が通じない異国人と会話をしているようだ。
「とにかく、のどが乾いたでしょう? 水を飲みましょうか」
リタは立ち上がり、脇に置いていた大きな袋を開いた。中から椀をひとつ取り出し、水筒の栓を外して水を注ぐ。透明な水面が静かに揺れた。
檻の下側にある小さな取り出し口が開かれる。
「さあ、ベアト。水よ。まずはそれを飲んで」
顔の前に、水の入った椀が差し入れられた。
確かに、喉はからからだった。どれほどの時間、水を口にしていないのかもわからない。昨夜の見世物のあとも、なにも与えられないままだった。
だが、この姿勢のまま、どうやって飲めというのか。
頭の後ろで固定された両手の拳を、無意識に強く握りしめる。
そのときだった。
椀の水面から、かすかに漂う香りに気づく。花のような甘い匂い──。
「……これは?」
思わず、声が漏れた。
リタはなにも答えず、にこにことしたまま、椀を動かそうとしなかった。
「ペット用の水よ。遠慮しないで。飲めば、外に出してあげるわ……」
リタは、檻の中に手を差し入れ、さらに椀をベアトリーチェの顔の下に近付ける。
だが、ベアトリーチェは、リタを睨んだ。
「……その前に、この水は……ただの水じゃないだろう」
低く言うと、リタの手がわずかに止まった。
ベアトリーチェは、椀の水面に顔をさらに近付けてみた。
やはり、花のような甘い匂い──昨夜、性宴の前に膣へ挿入された錠剤が放っていたものと、酷似していた。
あれを入れられてから、身体がおかしくなった。その感覚が、まだ鮮明に残っている。
それと同じ匂いが、水から漂っている。
「ただの水よ。飲みやすくしてるだけ。害はないわ。ちゃんと飲んで。そうしないと、弱って倒れちゃうわ」
「いや。得体の知れない薬が入っている。媚薬だろう──」
ベアトリーチェは指摘した。
だが、リタは小さく肩をすくめただけだ。
「……ふうん。どうしても飲まないのね?」
「当たり前だ──。それよりも思い出したぞ。最初に会ったとき、リタを襲おうとしていた男たちからも同じ香りがしていた。酔っているような顔をしていたのに、酒の匂いはなかった。この水と同じだ。説明してもらおうか」
その言葉に、リタは一瞬だけ目を大きくした。
「説明ってなによ、ベアト?」
「あのとき、不自然な点が多すぎた。男たちは発情していた。つまり、この媚薬だ。……もしかしたら、リタが飲ませたんじゃないのか?」
「どうして、あたしがわざわざ男たちに媚薬を飲ませなきゃならないの? 自分を襲わせるため?」
「それを訊いている」
ベアトリーチェはリタを強く睨む。
しばらく、沈黙が流れた。
だが、リタが小さく吐息をする。
「……ふうん。勘がいいのね」
リタは、ためらいもなく言った。
「やっぱりか。どうして、そんなことになったんだ?」
「いいわ。教えてあげる。そうよ。あのときは、あたしがこっそり、彼らの水筒に錠剤を入れて飲ませたの」
淡々とした声だった。
「なんのために?」
「だって、あたし、ちょっと失敗してね。山菜集めのときに偶然に出逢ったあいつらの路銀を盗もうとして、うまくいかなかったの。男爵様の奉公が決まってるから、犯されるのはいいけど、盗みで捕まるのはまずいでしょ。それで、ああしたのよ」
悪びれた様子は、どこにもなかった。
「なんてことを──。リタは盗みをしようとしたのか──。しかも、それをうやむやににするために、男たちに媚薬を?」
ベアトリーチェは怒鳴った。
「そうだけど、どうして怒っているの?」
リタはきょとんしている。
「悪いことをしたという自覚がないのか?」
ベアトリーチェは呆れて言った。
「悪いことねえ……。ふふ、そう言えば、同じことをずっと言って、あたしを諭していた子がいたっけ。思い出しちゃったなあ」
リタがくすりと笑った。
「その子が正しい。盗みなんて悪いことだ──」
「そうかなあ。でも、孤児院じゃ、食べ物が足りなくて、どこからか食べ物を盗まないと足りなかったのよ。その子は盗んだものは食べようしなくていつも痩せてた。それで、流行病であっという間に死んじゃった」
「それは……」
ベアトリーチェは言葉を失った。
「昔話なんて、いいじゃない……。わかったわ。出てきて。水はいいわ」
リタが椀を外に出し、代わりに、鍵を外して、檻の屋根部分を開放した。
「気をつけてね。ちょっと大変だけど、檻を乗り越えるようにして出てきて」
リタが声を掛ける。
躊躇したが、とりあえず、檻の外には出なければならない。
ベアトリーチェは、拘束された身体を捻り、なんとか上体をあげた。
その途端、ばしゃんと屋根が落ちる音がした。
「うわっ」
慌てて首を引っ込めようとしたが、首の後ろに硬い金具の感触が噛み合わさった。すぐに前側にも──。
リタがベアトリーチェが首をあげた部分を残して檻の蓋を戻し、首の前後左右に新たに金具を嵌めてしまったのだ。
ベアトリーチェの頭部分は、首の後ろに拘束されたまま、首と腕だけが檻の外に突き出た形で固定されてしまった。もう、引いても押しても、全く動かない。
「なにをする、離せ──」
「ごめんね、ベアト。でも、我が儘を言うベアトが悪いのよ。悪いのはお仕置きだからね」
リタの声が近い。
嫌な予感がして懸命にもがき、肩を揺らし、背中を反らし、首を引くが、金具が擦れるだけだ。
檻の中の部分の胴体が中途半端で、窮屈な体勢で中腰なのも辛かった。
もがいていると、リタが袋の中からなにかを取り出していた。
リタの手の中にあったのは、得体の知れなさそうだ半透明の淡い色の器具だ。歯列の形に沿っていて、薄い板が上下に分かれている。縁に細い紋様が走っているので、なんらかの魔道具とわかる。
「歯枷よ。噛み癖があるペットには、最初にこれをして躾けるのよ」
「ま、待て──。なにをしようとしている? やめよっ──」
「ほら、口を開いて」
髪の毛を掴まれて、顔を強引に天井を向かされた。
リタが手に持っている器具をベアトリーチェの口に押しつける。
「は、はな──んがっ、がっ」
怒鳴ろうとして、器具をまとめて口の中に無理矢理に入れられてしまった。
口の中に入った、それは歯に触れた瞬間に、歯に吸いついてくる。上下の歯列に沿って器具が滑り、噛み合う位置で止まる。
舌で反射的に押し返そうとしたが、完全に密着していて剥がれる感じがしない。
顎を打ち鳴らす。鈍い音だけが返り、感触は剥がれない。しかも、歯に力が入らず、力いっぱいに噛むことができない。
「ふふ。外れないわよ。ここから、ずっと魔道が流れてるからね。この操作具で解除しない限り、ずっとここから魔道が流れるわ」
リタが片手でベアトリーチェの髪の毛を掴んで天井を向かせたまま、反対の手て首から提げた円盤を視界に入れてくる。
顔を振りほどこうをもがくが、思ったよりもリタの力が強い。
──いい加減に、髪を離せ──。
声を出そうとした。
『バウッ、バウッ』
だが、声の代わりに出たのは、犬のような鳴き声だった。
なにが起きたのかわからず、ベアトリーチェは一瞬硬直した。
しかし、すぐに我に返し、もう一度、息を吸い舌を動かす。
『バウ、バウ』
やっぱり、犬のような鳴き声──。
ベアトリーチェは目を白黒させた。
なにが起きたか理解できずに、視線を動かしてリタを見る。
すると、リタが満面の笑みを浮かべた。
「成功ね。ちゃんと犬の声になるわ。それって、特別に刻んでもらった魔道なの。全部、犬の声になるのよ。だって、人の声が喋れちゃ、ペットじゃないものね」
リタが愉しそうに笑う。
背中に冷たいものが流れる。
否定の言葉を叫ぼうとするが、口から迸るのは、やはり犬の吠え声だけ。
この歯枷か──。
もう一度、舌でなんとか剥ぎ取ろうとした。
しかし、やはり、外れそうにない。
「ベアト、諦めて。この操作具の範囲内にいる限り、それは外れないわ」
リタがそう言いながら、操作具に触れた。
すると、口の中の歯枷の内側が動きだした。顎が勝手に開き、口が大きく開き、閉じることができなくなる。
「本当は、これ、懲罰用の設定なんだけど、ごめんね……。まあでも、言うこと聞かなかったのはベアトだし、やっぱり懲罰でも仕方ないね」
リタが微笑みながら、片手だけで袋からまたなにかを取り出した。短い円筒形の器具だった。口の中に、その円筒状の金属を押し込む。歯で噛む位置に収まると、口がすぼまってくる。しっかりと、噛み締めたまま、抜けなくなってしまった。
「ちょっと待ってね」
リタがやっと、髪の毛を離した。
首を真っ直ぐにして横に振るが、口の中の円筒環は外れなかった。
すると、再び髪の毛を掴まれて、強引に上を向かされた。
今度は髪の毛をなにかで檻の天井に固定されてしまい、動かせなくなる。
「はい、お水を飲みましょうね、ベアト」
目の前で水筒が掲げられる。栓が開けられたとき、あの香りが強く匂った。
『バウッ、バウッバウッ』
抗議しようとしたが、出るのは犬の声──。
円筒に瓶が傾き、冷たいものが舌に落ちてくる。
吐き出そうとしても、円筒があって口を閉じられない。上を向けていることもあり、次々に注がれていく水を吐き出すことも困難だ。
飲んだからおかしくなることはわかっているが、どうしても受け入れてしまう。喉が反射的に動く。
『バッ、ガッ』
その直後、鼻から息ができなくなった。呼吸ができない──。
肩が震える。首を振るが、髪の毛の固定がそれを止める。
しかも、瓶の水を全部、ベアトリーチェに口の注ぎ終わったリタに顎を掴まれてしまう。
「一時的に鼻で息をできなくしたの。それも懲罰用……。ふふふ、もう水を全部飲むしかないわね。そうしないと、息ができなくて死んじゃうもの」
リタがベアトリーチェの顔を押さえたままくすくすと笑う。
ぞっとした。
だが、喉は勝手に水を飲み下している。飲んだら駄目だと我慢するが、結局、息が苦しくなり、無意識で水を飲む。
花の香りの水が喉から身体の中に流れるにつて、胸の奥から熱が広がって首元まで上がってくる。
下腹部が疼き、全身に小さな震えが襲ってくる。
あの疼きだ──。
ベアトリーチェに絶望が走る。
この花の香り媚薬のすさまじさは、肌で知っている。
口の注がれた水はなくなったが、息苦しさは変わらない。多分、鼻呼吸は本当にとまっている。
瓶が外れ、円筒も離れた。
顎の制御は解けたが、ベアトリーチェはすぐに自分の意思で口を開く。はあ、はあと呼吸をする。
「あら、可愛い。一生懸命に、口で息をするのを見ていると、本当にペットね。しばらく、このままにしておこうね」
リタが持っていた円盤の操作具を離して、首から吊るままに任せた。
熱はどんどんと多くなる。
霧吹きで拭いたように、身体のあちこちから汗の玉が浮き出したのがわかった。息も苦しく、どうしても唇を閉じられない。
それが、本当に犬のようで、ベアトリーチェの心が身体の熱さと反対に冷えていく。
髪の毛が自由になり、やっと首が開放された。
そのときには、息苦しさに次いで、痛むような疼きが乳首に襲っていた。
思わず、乳首を見下ろして、愕然とする。
乳首が淫らに尖りきり、かちんこちんに勃起している。狼狽えるベアトリーチェにさらに変化が襲う。
熱い疼きがクリトリスにも拡がったのだ。
乳首とクリトリスが、刺激をもとめてじんじんと疼く。
昨夜の醜態がベアトリーチェの脳裏を掠める。
すると、開いたままの扉から足音が近づく気配がした。
「ああ、やっと今日の躾け係のみんなが来たみたいだね」
首を固定していた金具が外れ、ベアトリーチェは崩れ落ちるように、檻の中に身体を戻してしまった。
水を飲んだことで燃えあがった身体が苦しくて、中腰の体勢を支えていられなかったのだ。
「きゃあ、ベアト様──」
「ベアトさまだわ。本当に院のペットにお成りなってくださるのですよね」
「あたしのこと、覚えておられますか? 護身術のときにお世話になりました」
すると、五人ほどの若い女の子たちが歓声をあげながら、ベアトリーチェの入っている檻を取り囲んできた。