※この作品はR-18です。

女騎士ベアトリーチェ【完結】   作:ドン・ドナシアン

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008 ベアトリーチェの変化

 この日も、いつもと同じ朝だった。

 倉庫の中は、女の子たちが来るまで完全な暗闇のままだ。目を開けていても閉じていても違いはなく、天井も壁も分からない。ただ、首環の重さと鎖の張りだけが、目覚めを知らせてくる。

 

「おはよう、ベアト」

 

「会いたかったよ、ベアト」

 

 灯りが入り、当番の女の子たちが一斉に集まってくる。

 

「今日も元気そうだね」

 

 抱きつかれ、頬に唇が触れる。

 それだけで終わらず、背中にも腕が回され、身体を寄せられる。左右からも手が伸び、肩や腰に触れられる感触が重なった。

 

「ここでの生活、ほんとにいいでしょう」

 

 髪を撫でられ、耳元で囁かれる。

 

「みんな仲良しで、安心できる場所だよね」

 

 前に回り込まれ、視線を合わせて笑われる。

 そして、杭に縛っている鎖を外され、首環を引かれて、いつもの位置に誘導される。

 身体の洗浄が始まり、四肢を支えられたまま、丁寧に拭われていく。

 布が何度も往復し、同じ場所を繰り返し撫でられる。脇、腹、腿の内側まで順に手が入る。

 くすっぐたいのを必死に我慢する。

 

「ほら、力抜いて。すぐ終わるからね」

 

 洗浄は続いたが、声は変わらない。

 最後に髪を手入れされた。そのとき、いつものように水洗いをして布で拭かれて櫛でとかれるだけでなく、手入れの終わった髪には、甘さのない草の実を搾ったような匂いがした。

 

「あっ、気がついてくれた、ベアト? 椿油を使ったの。余所行き用のやつだけど、みんなが保管しているものをベアト用に集めてもらったの。今日から毎日塗るね」

 

 その子が髪をときながら笑いかけた。

 ベアトリーチェは、わずかに首を傾げて、四つん這いの姿勢を保ったまま、小さく首をその子に向かって縦に動かす。

 それだけで、彼女は本当に嬉しそうな顔になった。

 

 給餌の時間になる。

 給餌皿に混ざる水から、身体の発情を促す花の香りが立ち上っていた。いつもと同じだ。

 だが、今日は鼻に触れる甘さがしばらく消えず、皿を近づけられるあいだ漂い続けた。口に含んでからも、その香りが喉を抜け、しばらく残る。

 すぐに、身体がかっと熱くなり、乳首や股間がむずむずと疼いてくる。これもまた同じ。

 

 排泄の時間──。

 姿勢を整えられ、大便を取られる。

 お尻の洗浄をしてから、排泄抑制具を挿入され直された。肛門のなかで球状に拡がり、圧迫感が走る。最初は異物感しかなかったが、いまはもうない。身体の一部のように馴染んでいる気さえする。

 終わったあと、そのまま尿を取ってもらうために、三回吠えた。

 

「はい、いいよ」

 

 尿を解放する。溜まっていた尿が排出される開放感が拡がる。

 それを受け止められるあいだも、ほかの女の子たちから背中を優しく撫でられる。

 

「すごいね、ちゃんとできたね」

 

 にこやかな顔も、褒め言葉も、いつも通りだった。

 身体を拭かれ、鎖を引かれて待機姿勢に戻される。

 女の子たちは楽しそうに話しながら、ベアトリーチェから少し離れていく。

 いつもなら、すぐに股間に下布という小さな布を当てるのだが、それはまだない。まだ、股間は露出したまま放置されている。

 

 そのときになって、ようやく気づいた。

 

 ──終わりだ。

 

 身体を震わせる刺激が来ない。股間を揺らすクリリングの振動はなく、今日は一度も作動していない。

 いつもなら、ここまでで何度も達しているはずなのに、今朝は一度もない。

 胸の奥が、空いたまま静かに疼き始める。

 すると、五人と一緒にいたリタが一歩前に出てきた。

 

「ベアト、今日は、なにもなしよ。悪いけど、ここでひとりですごしてね。鎖は外しておくから、倉庫の中なら運動していいから」

 

 リタが言った。

 なにもない──?

 そんなの、この庇護院に監禁されるようになってから初めてかもしれない。

 ベアトリーチェは、小首を傾げて、リタを見つめた。

 

「それと、今日からは下布の代わりに、これをするね」

 

 リタが手にしていた袋の口を開き、中から細い革製の帯を取り出した。

 幅は指二本分ほどで、輪になるように形がついている。腰に巻く帯と、そこから縦に伸びる一本の革帯が組み合わさった作りだった。留め具は小さく、どれも簡素だが、使い込まれているのがわかる。

 

 女の子たちがもう一度集まってくる。

 まず、腰のくびれに沿って革帯が回され、背中側で固定される。革のひやりとした感触が伝わる。

 次に、腰から垂れた細い革帯が脚のあいだに通される。内腿に革の縁が擦れ、そのまま前から後ろへ引き回された。

 尻の後ろで、縦の帯が腰の帯に重ねられる。

 留め具が噛み合い、金属の鳴るような魔道音が小さく響いた。

 さらに、ぎゅっと締め直され、革帯が身体に沿って喰い込む。

 

『クンッ』

 

 思わず、ベアトリーチェの喉から鼻声が洩れた。

 

「おしっこはね、ちょっと汚れるけど、前に小さな穴が開いてるから、そこから外に出せるようになってるの。おしっこ皿は隅に置いとくね」

 

 そう言いながら、女の子のひとりが倉庫の隅に小さな金だらいを置いた。

 

「夕方には、ちゃんときれいにするから。それまで我慢してね」

 

「水は、ちょっと離しておくね」

 

 別の女の子がそう言ってから、今度は、就寝用の籠台のそばに大きめの容器を床に置いた。いつもの給餌用の皿よりもずっと大きなものだ。

 女の子たちが順に皮水筒を傾け、水を注ぎ込んでいく。

 一個では足りず、二つ、三つと水筒が空になり、容器が満水に満たされた。

 その水からは、ここからでも匂うくらいに、はっきりと花の香りが強く立ち上っている。

 

「夕方までに、必ず飲み干すのよ。残したら折檻だからね」

 

 リタがそれだけ告げる。

 

「じゃあね、ベアト。夕方まで来られないけど、鎖は外しておくから。倉庫の中なら運動していいから」

 

 女の子たちは順に出口へ向かう。

 扉が閉まり、外から鍵が掛かる音がした。

 壁の小さな魔道灯は点いたままで、倉庫の中は薄暗いが闇ではなかった。

 

 ベアトリーチェは、その場で四つ脚の姿勢のまま立ち尽くしていた。股のあいだに固定された革帯の存在が、動くたびにはっきりと伝わってくる。

 じんじんと痛みにも似た股間の疼きが、装着された革帯の内側から沸き起こっている。

 

 

 

 

 

 どれくらいの時間が経ったのかわからないが、かなりの時間が過ぎているのは確実だろう。

 まだ、リタたちは戻ってこないが、そろそろ夕方になっていてもいいはずだ。

 

 倉庫の中は、相変わらず小さな魔道灯だけが灯っていて、薄暗いままだ。

 ベアトリーチェは、就寝用の籠台の横で、床に腹這いになっていた。

 身体の下に広がる床板は、汗で濡れ、肌の形に沿って黒く染みている。それがところどころにある。すでに汗の染みは乾いているところもあるが、まだまだ人のかたちの染みが残る場所も数個はある。

 

 全身から、絶え間なく汗が滴り落ちていた。

 肌は火照りきり、内側から熱がこもって抜けない。

 

 この倉庫の中で、いつもと違うものがもうひとつあった。

 魔道灯の灯りだけでなく、部屋全体が異様に温かいのだ。

 むしろ、熱いといっていい。気がつかなかったが、おそらく、リタたちが出ていくときに細工をしたのだろう。そうとしか思えなかった。

 

 普段の体調であれば、不快というほどではない。本来のベアトリーチェであれば、ちょっと熱いなくらいで終わっていたに違いない。

 だが、媚薬の影響で火照りきっている身体には、その熱が容赦なく重くのしかかった。

 

 少しでも身体を冷やそうと、毛布のある籠台には戻らず、床に腹這いになった。いまもそうしている。

 だが、その床ですら、汗に濡れた身体には冷たさを感じさせなかった。

 

 気がつくと、喉はからからに渇いていた。

 すると、就寝用の籠台のそばに置かれた大きな容器がどうしても目に入る。

 中には、女の子たちが注ぎ込んだ水が満ちている。

 その水からは、離れた場所にいてもわかるほど、強い花の香りが立ち上っていた。

 

 あれを飲めば、身体になにが起きるかはわかっている。

 毎日のように飲まされてきた媚薬の入った水なのだ。

 

 リタの命令で、夕方までに飲み干さなければならないから、いずれは飲み干すつもりだった。

 だが、できるだけ遅くまで、飲まずにいようと考えていた。

 

 しかし、喉の渇きが限界になった。

 騎士であるベアトリーチェには、これだけの汗をかいてしまえば、水分を取らないと危険だという知識もあった。

 ベアトリーチェに与えられているのは、容器の中の媚薬水だけだ。

 ほかのものを選ぶことはできない。

 

 それほど長く放置される前に、結局、ベアトリーチェは、床に這ったまま、ゆっくりと容器のほうへにじり寄っていた。

 容器に顔を突っ込むようにして、口で吸い込み、舌でかき入れた。

 ぬるい感触と、喉を通っていく水の重さとともに、甘い花の香りが鼻をついたのを覚えている。

 渇きが癒えるにつれて、飲む量が増えていき、気がつけば容器の水は大きく減っていた。

 

 そして、そのあとだ。

 

 がつん、と身体の奥を殴られたような感覚が走った。

 容赦のない熱が一気に吹き上がる。

 内側から燃え上がる火が、皮膚の下で暴れ回った。革帯の内側のクリトリスが痒いくらいに疼き、乳房の頂点の乳首はがちがちに固まって勃起をした。

 汗はさらに噴き出してきた。

 胸の奥、腹の底、脚の付け根──。抑えきれない全身の疼きが湧き上がってくる。

 

 それからは、渇望感と焦燥感の地獄だった。

 誰も見てないのをいいことに、のたうち回り、吠え、刺激を抑えようと床を転がった。

 いまは、床に腹這いになったまま、内腿を擦り合わせるように必死に脚を捻り併せている。

 しかし、股のあいだには、あの細い革帯が固定され、どれだけ動いても、欲しい刺激はそこには届かない。汗だけでなく、厚い革帯でも抑えられなかった、愛液が股間から大量の染み出て、内腿を濡らしているのがわかる。自分の女の匂いがそれだけ、すごいのだ。

 

 喉から、かすれた息が漏れ続ける。

 口を開け、荒い呼吸を繰り返しながら、床に身体を押しつける。

 せめて乳首を刺激しようと、床板に乳房を押しつけて擦る。

 そこから熱が走り、快感が全身に拡がるが、それだけでは足りなかった。

 むしろ、中途半端な刺激は、ベアトリーチェをさらに追い詰めていった。

 

 媚薬の水を飲んだのはこれが初めてではない。薄めているとはいえ、毎日飲まされている。

 だから、自分がここまで追い詰められるとも思っていなかった。

 しかし、考えてみれば、これまで一日何十回もクリリングで絶頂を強要される生活を送り、それが当たり前の日常だったのだ。

 その日常が断ち切られたことで、ベアトリーチェの身体は快楽の発散を求め狂いだしたということだろう。

 しかし、いつものように、絶頂できないということが、こんなにも苦しくなるとは、夢にも思わなかった。

 自分の身体が、いつの間にか、こんなにも淫情に弱いものに変化していたことも……。

 

「乳首を床に擦りつけているの、ベアト?」

 

 声がした。

 はっとして、ベアトリーチェは、慌てて身体を起こして四つ脚の姿勢になる。

 

 出入口の扉のところに立っていたのは、リタだった。

 ほかの女の子の姿はない。ひとりだけだ。

 その横には、車輪の付いた小さな台車があった。なにかが載っているようだが、低い姿勢のままではよく見えない。

 リタは扉を閉め、鍵を掛けると、台車を押しながら倉庫の中へ入ってきた。

 床を転がる音が近づき、ベアトリーチェの横まで来ると、リタは腰を落としてしゃがむ。

 

「かなり苦しそうね」

 

 低い位置から見上げる視線が、股間や胸に向けられているのがわかる。

 

「それと、ひとつだけ謝っておくわ……」

 

 リタは淡々と続ける。

 

「……今日の夕方の世話は、できなくなったの。食事は置いておくから、ひとりで食べてね」

 

 そう言って、リタは台車の上から給餌皿を降ろし、床に置いた。

 中身はいつもと同じ、細かく砕かれた固形物を水でまとめたものだ。だが、皿から立ち上る匂いが違う。

 甘く、強い花の香りが、はっきりと鼻を刺した。

 ベアトリーチェの身体が、びくりと震える。

 

「ふうん……水は飲んでるけど、全部はなくなってないわね」

 

 リタは、籠台の横にある朝から置かれている大きな容器に目を向けた。

 

「罰、と言いたいところだけど、いいわ……」

 

 リタは台車から皮水筒を取り出し、容器に水を足した。

 水面が揺れ、さらに強い花の香りが立ち上る。

 

「……でも、足しておくから。今度こそ、朝までに全部を飲み干すのよ」

 

 その言葉を聞いた瞬間、ベアトリーチェの喉が詰まったようになった。

 いまですら、身体は淫情に支配され、苦しさで震えている。

 これ以上、あの水を飲めば、どうなるのかわからない。

 

「じゃあね、ベアト……。また明日……」

 

 リタが立ち上がった。

 その背中を見た瞬間だった。

 

『バウ……バウ、バウ』

 

 ほとんど反射だった。

 考えるより先に、喉が鳴り、吠え声が出ていた。

 リタが足を止め、振り返る。

 

「どうしたの、ベアト?」

 

 リタは首を傾げる。

 

「おしっこは、そのまましていいわよ。気持ち悪いのは我慢してね。明日には交換するから……」

 

 リタは倉庫の隅に置いてある金だらいを指さした。

 一拍、間が空く。

 

「……新しい貞操帯にね」

 

 微笑みながら言われたその言葉に背筋が冷えた。

 明日も、同じ放置が続く……?

 そう告げられたのだと悟った。

 

『バウ……バウ、バウ』

 

 ベアトリーチェは、首を小さく振り、もう一度吠えた。

 視界が滲む。リタの姿が歪んで見える。

 頬を伝うものがあると、遅れて理解した。

 

「……ふふ」

 

 リタが、もう一度しゃがみ込む。

 

「いきたいの、ベアト?」

 

 すると、リタが上衣の内側に手を入れ、小さな板状の器具を取り出す。

 股間に嵌められているクリリングと対になる、びく板という作動具だ。何度も何度も使われ、そのたびに理性を奪われてきた器具──。

 でも、これであれば、いまこの瞬間にでも貞操帯の内側に刺激を得ることができる。

 ベアトリーチェの喉がごくりと大きな音があげていた。

 

『バウ』

 

 一度だけ吠え、ベアトリーチェは必死に首を縦に動かす。

 思考は、追いついていない。

 身体は、もう答えを出していた。

 

 すると、リタが台車の下段に手を伸ばした。

 布を外すと、黒革張りの細長い筒が現れる。縁だけに金属があしらわれ、留め具には見慣れない刻印が打たれていた。

 リタが、それを両手で持ち、留め金を外す。

 低い音が鳴り、筒の中から羊皮紙が引き出された。

 

 広げられた瞬間、ベアトリーチェは緊張した。

 取り出されたものが、魔道紋が刻まれた魔道契約書だとわかったからだ。

 

 

 書いてある文字に視線を滑らせる。

 床に伏したままの視線でも、文字は読める。

 

 

 ──雇用契約書。

 

 

 最初の一行目にはそうあった。

 さらに続き文を読む。

 内容は簡素だった。

 この庇護院に雇われること──住み込みであること──与えられる賃金……。

 その額を見た瞬間、胸の奥がひくりと跳ねた。どこで調べたのか、騎士として、ベアトリーチェが受け取っている俸禄と同額だった。

 

 署名欄が視界に入る。

 

 ──ベアト。

 

 すでに記載が終わっている、短く削られた名前だけが整った文字で刻まれている。

 ベアトリーチェ=ジャルジェではなく、ベアトリーチェでもなく、ただのベアト──。

 この庇護院で呼ばれている、その名だ。

 

 契約の相手は、庇護院の院長であるエルネスタ──。

 ベアトリーチェの魔力も、エルネスタの魔力もまだ注がれてはいない。

 でも、ベアトリーチェは貴族であり、魔道使いではないが、魔道契約を結ぶ程度の魔力はある。ベアトリーチェとエルネスタの相互が魔力を注げば、かなり強固な契約が発生することになる。

 

「……マルティナ様から聞いたの。これに、ベアトが注げば、王都に戻さなくて済むって……。だから、お願い。いなくならないで。あたし、あなたが好きなの。院のみんなもよ……」

 

 リタの口から聞こえる声には、心からの哀願の響きがあった。

 縋るように、必死に抑えた声だ。

 そのリタの眼からみるみると涙が溢れてくる。

 

 羊皮紙は、なにも語らない。

 ただ、開かれたまま、そこにある。

 ベアトリーチェの目の前で、雇用契約書と題された紙が静かに待っていた。

 

 それが拒むべきものだということは、考えるまでもなかった。

 ここで否定しなければならない。

 即座にだ──。

 

 そう理解しているのに、思考は止まっていた。

 胸の奥がきゅっと縮み、息が詰まる。股の奥が遅れて、熱を帯びる。

 

 違う。

 これは違う。

 

 そう考えようとしているのに、それで心が続かない。

 否定の動作が見つからない。

 

 身体だけが勝手に反応する。

 肉の奥が疼き、革帯の内側を襲う妖しい痺れに身体が動かない。

 

 いま、拒まなければならないのだ。

 わかっているのに……。

 首を動かすという単純な動作が、すぐにはできない。

 

 沈黙が続く。

 長いのか、短いのかも、わからない。

 

 リタはじっと、ベアトリーチェを見ている。

 やがて、ベアトリーチェは、辛うじて首を横に振った。

 

 その瞬間、リタの表情から柔らかさが消える。

 唇がきつく結ばれ、眉がわずかに寄った。

 

 リタは、なにも言わない。

 ただ、反対の手に握っていたびく板に指を掛けた。

 

 次の瞬間だった。

 

『キャン、キャウウウ──』

 

 股の奥で、突然に震えが弾けた。

 固定された革帯の内側のクリトリスで、はっきりとした振動が走ったのだ。

 

『キャウウウ──』

 

 ベアトリーチェの身体が激しく跳ねる。

 声を我慢するなどできなかった。叫びにも似た嬌声を獣の声で迸らせると、狂ったようにその場に身を捩らせた。

 だが、始まったときと同様に、クリリングの振動は突然にぴたりと消失する。

 もう、なにも起こらない。

 

『バウバウ、バウ──』

 

 なにも考えれない。

 極限までに疼ききった身体を癒やしてくれそうだった、あの振動をもっと欲しい──。

 味わいかけた快楽の凄まじさに、ベアトリーチェはそれ以外を考えることができなかった。

 許されている唯一の意思手段を使って、必死にリタに訴えた。

 

 躊躇などなかった。

 刺激への飢餓感は、ただ耐えていたときよりも、わずかな刺激を受けてしまったいまでは、次元が違っていた。このまま、放置などあり得なかった。

 本当に狂ってしまう。

 ベアトリーチェは、必死に、何度も吠えて、リタに訴えた。

 だが、そのリタの顔は、残酷そうに微笑んだままだった。

 彼女がすっと立ちあがる。

 

「ベアト、同じお願いを明日の朝、もう一度するわ」

 

 リタの声は、さきほどまでの熱を含んだものとは違っていた。低く、静かで、感情の起伏を意図的に削ぎ落とした響きだった。

 

「……最後まで刺激を続けて欲しかったら、この紙に魔力を注ぐのよ」

 

 リタの指先が、床に伏したベアトリーチェの視界の端で、羊皮紙の縁を軽く叩く。

 

「そうしたら、またいままで通りに可愛がってあげる……。いやと言うほど、絶頂させてあげるわ……」

 

 その言葉に、ベアトリーチェの身体がぴくりと反応した。

 さきほど寸前で断ち切られた感覚が、記憶として蘇り、腹の奥で鈍い疼きとなって広がる。

 

「……でも」

 

 声の調子が、わずかに変わる。

 

「……あたしに従わなければ、いつまでも、この責めを続けるわ……」

 

 視線が股のあいだの革帯に落とされる。

 

「みんなにも言ってある。だから、助けを求めても無駄よ」

 

 淡々とした口調のまま、リタは続けた。

 

「みんな、ベアトと一緒に暮らしたいんだから……」

 

 その言葉は、責めるようでも、嘲るようでもなかった。

 ただ、事実を並べているだけだった。

 ベアトリーチェは、声を出せなかった。

 喉が詰まり、呼吸だけが浅く早くなる。

 

「……明日もある……」

 

 リタが言う。

 

「……明後日もある……」

 

 一拍、間が置かれる。

 

「……その次も……」

 

 その沈黙のあいだに、ベアトリーチェの内腿が震えた。

 さきほどの振動を思い出した身体が、勝手に反応している。

 

「……ベアトが折れない限り、ずっと放置と寸止めが続くわ……。あたしの友達たちも、責めるのは上手よ。慣れているの」

 

 リタの口元に、ゆっくりと笑みが浮かぶ。

 

「四十人の全員で追い詰めてあげる……。愉しみね……。いつ、ベアトが屈服するのか」

 

 そう言い終えると、リタは台車の持ち手に手を掛けた。

 もう、振り返らない。

 車輪の音が遠ざかり、扉が閉まる。

 外から、鍵のかかる音がした。

 

 次の瞬間、壁の魔道灯が消える。

 倉庫の中は、一気に闇に沈んだ。

 

 なにも見えない。

 なにも聞こえない。

 

 ベアトリーチェは、暗闇のなかにひとり残された。

 

 


 

 

 闇のなかで、ベアトリーチェのすすり泣きのような呼吸だけが続いていた。

 細く、浅く、途切れがちで、胸の奥を掻きむしるような息だ。

 

 そして、がりがりと小さな音がする。

 股間に嵌められた貞操帯を、編み籠の縁に押し当て、必死に擦っていたのだ。

 

 おそらく、夜中なのだろう。

 だが、眠れるはずもなかった。

 

 下腹部の奥では、痛みにも似た疼きが絶え間なく脈打っている。

 床に腹這いになり乳房を擦る──叩くように胴体を何度も床に打ちつける──内腿の皮が裂けるのではないかと思うほど、脚を強く擦り合わせる──。

 思いつくことは、すべて試した。

 だが、媚薬に溶けきった身体は、どれも受け入れず、ただ狂ったような焦燥だけを増幅させていく。

 

 もう、どうにもならない。

 ベアトリーチェは、わかっていた。

 このまま朝を迎えれば、自分はきっとリタに屈するだろう。

 拒めない──。

 

 むしろ、恐ろしいのは、その逆だった。

 明日の朝、もしも拒めてしまったら、この苦悶がさらに強まり、さらに長く続くことになる。

 もしかしたら……明後日も……その先も……。

 

 耐えられるわけがない。

 

 床に伏したまま、身体を小刻みに震わせていた、そのときだった。

 かちゃり、と。

 倉庫の入口で、鍵の外れる音が響いた。

 

 ベアトリーチェは、はっとして顔を上げる。

 視線が、暗闇の向こうの扉に吸い寄せられた。

 リタが戻ってきたかもしれないと、反射的に思った。

 

 だが、扉を押し開けて入ってきたのは、ランタンを手にしたエルネスタだった。

 揺れる灯りが、隙のない無表情を照らし出す。

 

「お久しぶりですね、ベアトリーチェ=ジャルジェ」

 

 エルネスタが、静かに告げた。

 

『ハア、ハア、ハア……』

 

 口から、荒い呼吸音が漏れ続けていた。

 それはもはや、人の声ではない。喉の奥を擦る、獣の息遣いだった。

 エルネスタは、その様子を見て、ほんの一瞬だけ表情を曇らせたように見えた。

 だが、すぐにいつもの隙のない無表情に戻る。

 

「……あなたの躾けについては、私は一切関与することができません」

 

 静かな声だった。

 

「そう命令されています……」

 

 ベアトリーチェは、答えなかった。

 答えられる状態ではなかった。

 

「……ですが、マルティナから、次の夜宴の日程が決まったので教えるように指示がありました。だから来ました」

 

 エルネスタは、淡々と続ける。

 

「三日後の夜だそうです。今度は、男の調教師が準備されるとのことです」

 

 三日後──夜宴──男の調教師──。

 言葉は耳に入った。

 だが、それらは意味として結びつかなかった。

 いまのベアトリーチェにとって、未来の出来事は、現実感を伴わない。

 それよりも股の奥で続く疼きの方が、はるかに切実だった。

 この瞬間にも、理性が擦り切れていく。

 

「……それと……これは、独り言です」

 

 エルネスタが、わずかに間を置く。

 

 独り言……?

 突然の前置きに、ベアトリーチェは戸惑った。

 

「……あなたに装着されている一連の魔道具は、この庇護院から一定距離を離れると、すべて効果を失います。必要な魔力の供給が断たれるためです」

 

 一瞬、なにを喋ったかわからなかったが、遅れて意味が頭に染み込んだとき、胸の奥が、どくりと脈打った。

 ごくりと唾を飲み込む。

 

「魔力の供給が止まると、外れるものと、外れないものもありますが……効果を失うという点では同じです」

 

 言葉がゆっくりと、しかし確実に染み込んでくる。

 思考より先に、心臓が反応していた。

 

「……それともうひとつ……。この院のある場所から山の方角へ道沿いに進むと、すぐに大きな樫の樹があります」

 

 エルネスタは、視線を逸らしたまま語る。

 

「そのうろに、あなたが前回の夜宴の際に取りあげられた衣服を隠しました。いささかの路銀も置いてあります」

 

 なぜ、そんなことを。

 問いは浮かんだが、声にはならなかった。

 

「……それは、私があなたをここに監禁せよと、改めてマルティナに命じられる前のことでしたので、私はその処置だけはすることができました」

 

 エルネスタは、そこで一度言葉を切った。

 

「……いまの私は、あなたの躾けには無関与という命令を、改めてリタから受けました……。ですから、これ以上のことはありません」

 

 淡々とした口調は変わらない。

 

「あなたの幸運を祈ります……」

 

 一瞬、間が空く。

 

「……この院に残るのもひとつの選択でしょう。院の子たちは、あなたを心から慕っていますから」

 

 ほんのわずか、声音に皮肉のようなものが混じった。

 

「……随分と、捻れていますが」

 

 エルネスタは、ランタンを床に置いた。

 揺れる灯りだけを残し、踵を返す。

 扉が開き、閉じられる。

 だが、外から鍵のかかる音はしなかった。

 

 静寂が戻る。

 ランタンの灯だけが、倉庫の闇をわずかに押し返していた。

 

 ベアトリーチェは、しばらくのあいだ、身じろぎもせずに静止していた。

 その瞬間だけは、狂おしい身体の疼きから解放されていた。

 

 我に返る。

 自分の格好を、遅れて確かめる。

 

 四肢には、身体の力を奪う脱力環の輪。

 手足の先端を包み、自由を奪う袋状の魔道具。

 股間には、忌々しい貞操帯。

 首には、姿勢を崩せば電撃が流れる首環。

 

 決断する。

 

 四つん這いのまま、扉へ駆けた。

 袋のついた両手を、扉の取っ手に掛ける。

 

『ガウッ』

 

 首から全身へ、電撃が流れ込む。

 激痛が走る。視界が白く弾ける。

 

 それでも、体重は取っ手に掛かっている。

 下がる。

 扉が、ベアトリーチェの体重で外へ押し開かれていく。

 

 開いた。

 

 素早く、頭と肩を差し入れる。

 そのまま、倉庫の外へ転がり出た。

 

 外は、寄宿舎の端の野外だった。

 数個の倉庫が並び、闇に沈んでいる。

 

 完全な夜。

 夜のどのあたりかはわからない。

 

 空には、三つの月。

 足元が見えるだけの光はある。

 

 周囲の地形も、建物の配置も、頭に入っていた。

 山の方向。

 院の外へ出る通路。

 

 一瞬で見定める。

 四つ脚で走った。

 

 寄宿生の女の子たちに見つかれば終わりだ。

 エルネスタが助けることはない。

 

 走る。

 走る。

 走る。

 

 院の外壁にある抜け穴へ辿り着く。

 四つん這いのまま潜り、壁を抜けた。

 

 外に出た。

 

 闇に目を凝らす。

 夜空を背に、大きな樫の木が立っている。

 

 あれだ。

 

 走る。

 駆け抜ける。

 

 しばらく進んだ、そのときだった。

 

 突然、身体の周囲で金属音のような魔道音が弾ける。

 なにかが、ばらばらと散らばった。

 

「あげっ……がっ」

 

 口から、塊が飛び出した。

 言葉を奪っていた、あの忌々しい歯枷だ。

 地面に落ちる音がした。

 

 ほかにも、手足を覆っていた袋。

 腕輪。

 足輪。

 

 次々と、外れていく。

 

「ああっ……あああ──」

 

 思わず、声が出ていた。

 獣の声ではない。

 人の声だ。

 

 まだ残っているのは、首環と貞操帯。

 尻の奥にも異物感はある。

 

 だが、つきまとっていた脱力感は、消えている。

 ゆっくりと、立ち上がる。

 

「ああ……やった……やったぞ」

 

 歓喜の声が、夜に漏れた。

 腕を上げる。

 電撃は来ない。

 

「やった……やった」

 

 叫んでから、はっとする。

 前を見る。

 早く、樫の木へ。

 少しでも、離れなければならない。

 身体の狂ったような疼きは続いている。しかし、耐えられる──。

 逃げられる──。

 

 だが、ふと気づいて、院を振り返る。

 闇に溶けた庇護院は、もううっすらとした影でしかなかった。

 ベアトリーチェは、再び駆けだした。

 

 四本脚ではない。

 二本の脚で。






【作者より】
 明日(2026.1.12)完結です。
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