「なあなあ、お前……えっと、柊だったっけ?お前は誰に──」
「死ね」
ストレート過ぎる一言は思い他教室に響いて、一部男子のせいで騒がしかった教室が一つの水滴を落とされたように静寂に包まれた。
その静かさの中で次第に視線は音源の所へと傾き、例に漏れず私も眼を引き寄せられる。
視線の先にいるのはクラスで三馬鹿と呼ばれる内の一人である、池……池でいっか。と名前の一致しない男子生徒。少し粘って記憶の奥底を探せば思いだした。確か″柊要″君だったかな。その二人が椅子に座った柊君を池が見下ろす形で向かい合っている。
池は自分の台詞に被せられた暴言に動揺しているみたいだった。
「い、いきなりなんだよ、俺はちょっとした遊びに──」
「もう一回だけ言ってやる。死ね」
小学生が多用するような語彙力とは裏腹に、その言葉には明らかな意思が宿っているように聞こえる。漫画みたいな表現をするなら、明確な殺意みたいなものが乗せられていた。実際に感じたことはないから、物の例えでしかないけど。
柊君はゴキブリに向ける視線を池から切ると一冊の小説を取り出して読み始め、強制的に会話を断ち切った。一人取り残された池は苛立ちを隠さず、不満を口に出しながら自分のグループへと戻っていく。
人の身体で不愉快な賭け事を行うその神経の無さと面の厚さには脱帽ものだ。被害者の一人として柊君のさっきの一言、二言は正直清々しささえある。そしてそれは他の女子達も同じだったみたいで、クラスの誰もが池を擁護する声を上げなかった。
不快な雑音が無くなったことで教室は学校らしい騒がしさを取り戻していき、少し時間が経つと授業を担当する先生が黒板の前に立つ。授業が始まるといつにも増して静かで心地良い緊張感の中、ゆっくりと過ぎていった。
「あれ、柊君じゃん」
放課後の帰り道、学校の自販機の前に立つ彼を見つけた。私の声は聞こえていたようで、ペットボトルの列を追っていた視線がこちらに向いて、検分するように瞳がざっと上から下に動いた。
「あー、長谷部……だったか?」
「私の名前知ってるんだ。意外、あんまり人に興味なさそうなのに」
「興味は無くても目にしてたら覚えるだろ、同じクラスなんだし」
「そう?私はまだちょっと一致しない人いるけど」
「長谷部の方が興味ねえじゃん」
意外にも私のことを知っているみたいでさっきの視線は記憶を探っていたからだった。柊君は人のことを言えない私にどうでも良さそうな声色を突きつつ、同じような色を灯した瞳と向き合う。
柊君ってちゃんと人と目を合わせれる人なんだ。
「で、何かようか?」
「ようってほどじゃないけど、強いていうなら見かけたから?」
「見かけたからって声かけてくるタイプには見えないけどな。大体、俺とほぼ初対面だろ」
まあ確かに。柊君からしたら私が声をかける理由も、気軽に会話を続ける関係性もない。でもそれは、あくまでも彼から見たらって話しだから。私からしたら割りと理由はあったりする。
距離を保ちつつも柊君の隣に立って、ポイントが入ってる端末を取り出した。
「この前、池にきついこといってたでしょ?あれ結構スッキリしたから、そのお返しに奢ってあげる」
「奢られるようなことでもないと思うけどな。あ、マックスコーヒーで」
「謙虚なのか図太いのかわかんないだけど」
「貰えるものは貰っとく主義なんだ。美人な女の子からは特に」
「……口説いてる?」
「この程度で口説いてる判定なら、将来はヒモを目指してみるか。パートナー作るのを目的にAクラスで卒業したら学校はどうすると思う?」
「普通に三者面談じゃない?そんな危ない生徒、卒業生にできないでしょ」
くつくつと、抑えるように喉が転がる。知らず知らずの内に笑いそうになって、口元が自然な笑みを作っていることに気づいた。
「結構面白い人なんだ。柊君って」
「笑ってもらえて何より。美人の笑顔は眼福で困るね」
「別に悪口言ってる訳じゃないよ?」
「俺も基本思ってることしか口にしないぞ」
「……それって、ヒモの話も?」
「勿論だが?」
それを聞いて思わず口元に手を当てて笑みを隠した。最初に聞いた声があんなものだったから、いまいちどんな男の子か分からなかったけど、思ってたよりもずっと面白い男の子じゃん。声に抑揚がないせいで真顔でボケてるみたいなのがさらに拍車をかけてる。
「ねえ、これからも声かけていい?」
「本読んでる時に邪魔しなければ。あとまともな返答も期待しない方がいいな」
「なにそれ、逆にどんなこと言ってくるのか気になるじゃん」
「今までの会話が答えだ」
「変なこと言ってることしか分かんないよ」
お喋りに夢中で買い忘れていた自分の分を選んで支払いを済ませると、先回りしていた柊君が買った奴を手渡してくれる。なんか、手慣れてる……?ま、いっか。
「それじゃ、また明日ね。″かーくん″」
「″かーくん?″」
「要だから呼びやすくして、かーくん。私、あだ名みたいなのがあった方が呼びやすいから、仲良くなるとつけがちなの」
「ふーん。じゃあ俺も考えた方がいいか。はーちゃんとかどうだ」
「ふふふふ……小学生みたいなあだ名。それ本気?」
「いや、流石に冗談。自分でも言っててないと思った」
「普通に波瑠加でいいよ。どうしてもそれがいいならいいけど」
「冗談だっていってるだろ?はーちゃん」
「もう、訳わかんなくなるって。やっぱり気に入ったの?」
「いや、多分今だけだな。人の前で呼びづらいあだ名だし」
クラスメイトがいる場所で口にしたら噂となって広がるのは想像つく。ただでさえ刺激的なものに飢えてる学生ならなおさら。お互いに気にしなさそうではあるが、わざわざ餌を撒く必要もないし。
「じゃあ俺、図書室に行くから、またな、波瑠加」
「……うん。今度こそまた明日ね、かーくん」
耳朶をうつ自分の名前に思わず胸がざわめく。それを悟られないように平常の声で返すと、かーくんは背を向けて歩いていった。
「……ふー。びっくりした、なんでだろ?」
少しだけ早まる鼓動を落ち着けながら、胸に手を当てて疑問を溢す。なんで自分から勧めておいてドキドキしてるの?別に男の子から名前で呼ばれるのなんて慣れてるはずなんだけど。まぁ、教室のあれでちょっとだけ他の男子より好感を持ってるのはあるから、その所為かもしれない。
元々積極的に友達作るタイプじゃないし、一人でいることの方が好きだから、こんなに早く気安く話せるクラスメイトができるとは思わなかった。そこらにいる男子みたいに不躾な視線も寄越してこないもの、女の子としては高評価かな。
クラスメイトがクラスメイトだから三年間過ごす教室に向かうのが億劫だったけど、かーくんの存在はその億劫さを少しだけ紛らわせてくれるかもしれない。
落ち着いたけどほんのりと熱を持つ鼓動と、無意識に笑みを作っていた口元に気がつかないまま、友達ができた達成感を胸に私は自分の部屋へと脚を進めていった。
ふわりと、生地の焼けた匂いが鼻腔を擽る。小麦粉に混ざるチョコの香りが偏った私のアンテナを刺激して、少しばかり期待に胸が弾んだ。しかし、そのお腹を擽る匂いにあること思い出して視線が固まる。
「……」
「どうした?」
「別にー?」
「顔と声が言葉と矛盾してるぞ」
だってこれさぁ、私を連れ込んだ時に作ってた奴じゃん。私とヤるためにダシに使った奴じゃん!
「っていうか分かってて聞いてるでしょ」
「そりゃあな。弄り甲斐のある可愛い反応する波瑠加が悪い。あぁでも波瑠加が悪いなんてことはないから、誰も悪くないな」
「かーくんなに言ってんの?」
支離滅裂なことを言い出した彼に呆れた視線を向けて、皿に乗せられたガトーショコラを口に運ぶ。美味しい。わざわざお店に行くくらいなら作って貰いたいくらいに美味しい。だけどそれが余計にむかつく。
「悪い男に眼をつけられたなぁ」
「魔性の魅力を振り撒く波瑠加に引き寄せられるのは仕方ないだろ。あれで手を出さないのは据え膳食わぬは男の恥ってやつだ」
「その据え膳準備した張本人のくせに」
「否定はしない。でも俺は準備しただけだからな。お盆に乗っかってきたのは波瑠加自身だ」
「分かってますぅー」
いや、私も期待してたよ?それは否定しないし、男子の部屋に行くって決めてからそういうことになっても良かったよ。手を出された時は嬉しかったし、初めてがかーくんが良かったのは本当。そう思うくらい好きだけどさ……
「でもさぁ、ホントに女の子とっかえひっかえしてるとは思わないじゃん。しかも全然手放す気ないし!」
「寂しがり屋なんだよ。肌寒い時にちょっと女の子に居て欲しい、ダサい我が儘だ」
「色んな女の子に、でしょ。他の子に手出してる言い訳になってないけど?」
「言い訳してないし」
あっけらかんと言い放つかーくんの顔には罪悪感も悪びれる様子もない。本当にこの男は……
友達として付き合い始めて暫くたった時、クラスにちょっとした噂が立った時期がある。その噂は目の前にいる彼が色んな女子に唾をつけているという、火種がどこかも分からない吹聴するにも微妙な内容のものだった。
あまりかーくんは目立つ人種じゃないし、見た目の印象から想像できなさすぎることと、すぐに夏休みに入ったことでもう誰も覚えてないような噂だ。
だけど付き合いのある私はその噂が尾ひれの付いたものであることを知っていた。だって、クラス間とか関係なしに喋ってるとこ見てるもん。AクラスからCクラス、なんなら上級生にも顔見知りがいるらしく、たまに声をかけられている場面を目撃することがあった。
そんな無差別ともいえる交流範囲を端から見れば、そういった噂が立つもの無理はない。だから内容は半分正解で、半分不正解といった感じだ。
「それが全部本当だったなんてね……」
「本当にしたってのが正しいけどな。あの時はまだ探ってる最中だったし、あっても波瑠加とデートしたくらいか」
「……どーせ他の子ともしてたって言うんでしょ」
「いや?波瑠加としかデートしてないのは本当。最初に手つけたのも波瑠加に決めてたからだし」
「……」
む、むかつくっ。当たり前に複数の女の子に言い寄ってるのもむかつくし、今の言葉に喜んでる自分に一番むかつくっ!″デートって思ってくれてたんだ″じゃ、ないでしょうがっ!
「一人にするつもりとかないわけ?というかそれが一般常識なんだけど」
「愛人まみれの父親の下で育ったからなぁ。今さら一人に拘らないといけない理由がわからん」
「昔の環境が悪い影響してる最悪すぎる例だよそれ……」
「ちゃんと好きになってくれる波瑠加みたいな女の子が悪い。ステータス目当てだったら俺も適当に捨てるのに」
……なんかぁ、そういうところなんだよねぇ。倫理観がクズの中のクズのくせに向けた感情はしっかりと受け取ってくれるっていうか、合理的なくせに感情を信じてるっていうか。
付き合ってないのに抱かれに来てる時点で、もう私自身にはどうにもならない気がする。
「はぁ、惚れた弱みってやつなのかなぁ」
「なら、冷めるまでその弱みにつけこませてもらおう。卒業する時にどうなってるだろうな。いや、まずは来年まで続いているか、か」
まるで私の感情が一過性のように語る口振りにむっとした。確かに初めてがゴミみたいな人間に引っ掛かったことは否定しないけど、かーくんに向ける、或いは感じる想いはそこまで軽くないのだ。
「言っとくけど、私は卒業しても一緒にいるつもり満々だからね。結婚、までは流石に考えてないけどかーくんの側にいることは疑ってないから」
「…………っくくく」
決意染みた宣言に彼は一瞬ぽかんとして、堪えきれないように喉を鳴らした。
「冗談だと思ってるでしょ」
「いやいや、本気だって伝わってる。だからこそ、意外過ぎて笑っちまったんだ」
未だに笑い続けるかーくんは私を馬鹿にする訳でも、冗談だと切り捨てる訳でもなく、ただ、嬉しそうに眼を輝かせている。その表情があまりにも純粋で期待に満ちていたから、思わずズルいなぁ、なんて思ってしまった。
そんなに喜んでくれると、こっちまで嬉しくなるじゃん。クズのくせに笑ってる顔はすごくいいんだから。
「俺から手放すことはないから、ほどほどに頑張れよ。期待してる」
「そっちこそ傷物にした責任、ちゃんと取ってよね」
「波瑠加につけたのは傷じゃなくて証ってやつだ。誰が最初に手をつけたかっていうな」
「変態」
伸びてきた手を抵抗せずに見ていれば耳の下辺りの首筋を指の背ですりすりと撫でてきて、擽ったくも小さな満足感にそのまま受け入れた。撫でられるそこには、彼が決まってつける赤い花が咲いている。
それに悪い気がするどころか幸せな気分になってる私はきっともう、どうしようもないんだろな。そんなことを思いながらかーくんの胸にもたれかかった。