「柊くん、おはよう!」
「柊くん、一緒にご飯どうかな?」
「柊くん、この前のお菓子のレシピなんだけどね?」
「柊くん」
「柊くん?」
「柊くん!!」
犬みたいな女の子が生えた。元気があって大変よろしい。ただもう少し声量は落とした方がいいぞ。そんな大きくしなくても聞こえてるから。
無意識?じゃあ仕方ないね、少しずつ直していこうか。
「…………」
「どうした波瑠加。可愛い顔がもっと可愛くなってるぞ」
「うっさい女誑しの節操なし。どうせ私は可愛くないし友達も少ないし嫉妬深いですよーだ」
「波瑠加は確かに綺麗系だしな。友達が少ないのは余計な心配しなくて済むし、嫉妬深いのも同じ。似た者同士だ」
「…………」
「波瑠加ちゃん、頑張って……!嬉しそうなの隠せてないよ……!」
うーん残当。だって本心だもの。これくらいは軽く流せないと俺にチクチク口撃しようとしても無駄だぞ。嬉しいだけだし。
「あのさぁ……何人目?」
「5人目。因みに波瑠加が一人目な」
「…………だからそういうのが駄目なんだってばぁ」
「波瑠加ちゃんさっきより凄く嬉しそうだよ?」
「愛理は……むぐ」
「ひゃあぁぁ!!だ、駄目、恥ずかしいから!」
なんだ、仲間外れは可哀想だと思っただけなのに。それに普段からもっと恥ずかしいことしてるだろ。まぁ、恥じらう愛里は何時まで経っても可愛らしいけども。
「……そういうのは、二人っきりの時に、ね?」
口を塞いでいた両手を胸の前で組み、自信なさげに俯きながら愛里は上目遣いで大きな瞳を向けてくた。赤らんだ頬に熱っぼさを宿しながら。
「……どう思う波瑠加」
「愛里ってエッチになったよね」
「ええ!?」
放置している噂のせいで集まる視線は鬱陶しいことこの上ない。だが別に悪いとも思ってないので評価ごと捨てている。無価値な周りの有象無象よりも、今は事実を受け入れてくれてる二人とゆったり駄弁る方が大事だし、その時間が俺の心を満たしてくれるのだ。
また個々で時間を作ってやらないとな。なんて思いながら波瑠加と愛里と喋っていた。
『二人でお話したいんだけど、時間空いてるかな?』
そのチャットメッセージに今日の時間を指定して答えたのは昨日のことである。坂柳のしょうもない独り遊びと、それによって閉じ籠った一之瀬に世話を焼いてから数日が経った。
事が収まった学校では坂柳が極端に大人しくなったのと対照的に、以前よりパワーアップしたのかと思うように元気一杯の一之瀬が見られるようになっていた。
両者に関与しているため何故そうなったかは当然理解してるし、想像通りなので二人の反応には何の疑念もない。
ただ、元気になったとはいえ一之瀬の精神性を考えると無意識に避けると思っていたから、向こうから水を向けてくるのは意外だった。
一之瀬がわざわざ二人になってまで話したいことは十中八九、未だにうっすらと蔓延している俺の噂のことだろう。
俺は女の子が好きだ。女誑しだし、女の子に弱いし、抱けるとなったら当然抱く。要はヤリチンな訳で、それを隠してもない。故に、俺には先入観が引っ付いて回るわけだ。理性が無意識に忌避するようなところを直接刺激する話題の。
一之瀬はそういった話題とは縁遠い私生活だったのだと伺える。幼い精神年齢しかり、無自覚なスキンシップしかり、よくも考えもせず人というものを信じる感性しかり。
つまり、俺とは生きてきた世界が全く違う人種なのだ。
彼女からしたら俺は困ってる時に強引に立たせてくれた人。周りからしたらただのヤリチンがまた獲物を引っかけた。そのくらいの差が当事者とそれ以外にはある。
しかも、一之瀬はクラスどころか学年を介しても分け隔てなく交流する学内のアイドル的存在だ。そりゃ周りも危機感を持つ。
ま、だからといって奴らに一之瀬を止める方法なんてないんだがな。それが出来てたらひよりもわざわざ俺を頼る必要なんてなかった訳だし。
友達を自称する有象無象にできることは精々時間を稼ぐくらいだと思ってたが、それも上手く行かなかったみたいだ。
一之瀬は逃げていた過去に向き合った。それはつまり、止まっていた成長線がまた働き始めたということだ。どれだけ理性が忌避し、理解の足りない事柄であっても前に進もうとする意思には敵わない。
むしろ、周りとの温度差が返って原動力を後押ししてる可能性もある。それが想定よりも早かった理由かもな。
「まぁ、どっちに転ぶかは俺も分からんけど」
選ぶのは一之瀬に限った事ではない。俺も決めるのだ。彼女が波瑠加たちとの時間を割くほど魅力的であるかを。
身体で抱くほど飢えてないし、性格がちょっと幼過ぎる。好みに味付けするのも一興だが、所詮一興でしかない。女の子だけがもつ潜在的な魅力にはどうしても劣る。
「それにあの善性は手離し難いよなぁ」
高校生にもなってあそこまで人を信じれるのは一種の才能だ。相手を出し抜き、騙し、陥れる方が有利なこの学校とは致命的に相性が悪いが、突出できれば誰も手をつけられなくなるだろう。
俺は一之瀬のそこに可能性と魅力の片鱗を感じ取っている。だからこそ、最近はついつい相手してしまっているのだが。
「ん、来たか」
来客を知らせるインターホンを耳にして、もてなす準備を軽くしてから玄関に向かう。ドアノブを捻って開けば想像通り、一之瀬が立っていた。
「こんにちは、柊くん」
白い無地のセーターに厚手の上着を羽織り、ふくらはぎまである白のロングスカートを着こなす一之瀬はいつも通りの人好きそうな笑顔を浮かべた。
柔らかい笑みを作る唇を桃色に色づかせるリップグロス。仄かに香る柑橘系の、特にオレンジを強く感じる香水の匂い。前者はともかく、後者は以前教えた俺好みのものだ。
自分を着飾り相手の好みを身に纏う努力は健気で非常に愛らしい。しかし、手間暇をかける動機を彼女はちゃんと認識出来ているのだろうか?
今日はそれを確認するのが目的なのだ。
「おう、取り敢えず上がれよ。立ったまんまする話でもないんだろ?」
「じゃあ言葉に甘えちゃおうかな」
彼女が部屋の中へと一歩踏み出したのを確認して先導するように前を進む。リビングに入りクッションを一之瀬へと渡して、先ほど準備しておいたお菓子を持ってくると彼女は物珍しそうに視線をあちこちに飛ばしていた。
「なんだか、不思議な部屋だね。綺麗なのに統一性が無いっていうか」
掃除も整理もしているがバランスとかは考えてないため、一之瀬の感じるアンバランスさは的を得ている。
色の違うぬいぐるみやクッションに、黒のデスクでまとまっている明るめの女性用の化粧品。その隣にある余白のない本棚が唯一の私物だが、中身の半分はひよりのものだったりする。
「貰い物をなるべく見えるとこに置いてるせいだろうな、俺の私物は本と調理器具だけだし」
「可愛いぬいぐるみとかクッションはそういうことなんだ。意外だったけど納得かも。あ、じろじろ見てごめんね?」
「気にしてねえよ。飲み物はココアでよかったよな?」
「うん、ありがとう」
テーブルの上に二人分の取り皿と中身の入ったコップを置いて、真ん中に主役となるロールケーキを置く。勿論、俺の手作りである。
因みに、少し気を抜くと手伝いそうになる一之瀬を何度も諌めていたりする。気遣いができるのは良いことだが、やりたいことを放置してやるのも気遣いの一つである。
「柊くんってほんとに料理上手だよね。女の子としてはちょっと自信なくなっちゃうよ」
「加減さえ間違えなきゃ誰だって作れるさ。少し手間がかかるのがネックだが」
等間隔に切り分けられたロールケーキを輝かせた瞳で見やる一之瀬は幼く見えて口元が自然と緩む。
基本的に俺が食いたくて作ってはいるが、やはり楽しみしてくれたり美味しそうに食べてくれるのは作り手冥利に尽きる。
一之瀬はなんというか、餌付けのしがいがあるんだよな。口に運び続けたらずっと食べるんじゃなかろうか。機会があればやってみようかな。
一緒に手を合わせたら、フォークで一口台にしたロールケーキを口に運んだ。うん、旨い。
「ん、美味しい。生地がふわふわだし、クリームが軽くてさっぱりしてる。これお店のっていわれても分からないかも」
「そりゃ上々。でも次作る時はもうちょい甘めにするかな」
もっと重たくて食べごたえが欲しい。食後のデザートで食うよりも間食の方が多いし。
「これより甘くするってことはやっぱり結構甘党なんだ」
「作り始めた切欠もあまり俺好みの濃さが売ってないからだったしな。流石に女の子に出す時は調整するけど」
ロールケーキを口に運びながら他愛もない雑談に花を咲かせる。ゆったりとした雰囲気が空間に満ちていて、少しばかり緊張していたような一之瀬も程よく力を抜いて自然な笑みを浮かべていた。
やがて、一之瀬が口をつけたコップをテーブルに置き、それと同時に会話が途切れて静寂が部屋を包み込んだ。
しばらく待っていると、コップに視線を落としたままゆっくりと一之瀬が口を開く。
「今日ね、柊くんと話したいことなんだけど……」
歯切れの悪い一之瀬は言葉を探るように唇を動かしては閉じて、それを何度も繰り返す。
彼女から口にしようとしているのなら、俺から口出しするのは野暮だ。ちゃんと本人が言葉にすることが大事で、他人の意志が介入するのは不純物を混ぜることになる。だから待つ。
「柊くんはさ、閉じ籠ったのが私じゃなくても同じことしたの?」
……?なんでそんなことが気になるんだ?まぁ、答えは決まってるが。
「全部が全部同じことする訳じゃないが、大体は似たようなことするだろうな。わざわざ変える必要もないし」
俺が対応を変えるのは、俺のことを好きになってくれてる女の子か、好きなタイプの女の子限定だ。それ以外は基本、男女平等パンチを余裕で繰り出せるくらいには同じ対応をする。
一之瀬じゃない別の誰かだとしても、ひよりに頼まれなかったら動かなかったし、マスターキーが借りれずとも違う方法で強引に飯を捩じ込んでいただろう。
はて、それがどうかしたか、と一之瀬に聞こうと眼を向けると、
「──そっか。よかった」
ほっとしたように瞳を緩めて、安堵の吐息をこぼした。
すべての不安から脱した潤んだ瞳と確信により紅潮した頬を緩ませた表情は、今まで見てきた彼女のどんな表情よりも綺麗で、心臓を撃ち抜かれる感覚を覚えた。
「柊くん、隣行ってもいいかな?」
「……おう」
見惚れていたせいで若干反応に遅れながら頷くと、一之瀬は隣で膝をつき、中途半端に動きを止める。膝立ちで固まってしまった彼女を不思議に思っていると、悩ましげに眉を寄せた表情は困ったように笑みを作っていた。
自分の感情を上手く処理できない様子の一之瀬に俺は何をするべきかを察して、両腕を自然に広げる。
「ほら、おいで。一之瀬」
口にした瞬間柔らかい感触と軽い衝撃が飛んできて、絹のようなストロベリーブロンドがふわりと揺れる。シャンプーに混ざるオレンジの香りと厚着した衣服の上からでもわかるほんのりと高い体温は少しばかり本能を燻らせた。
脇から背中に回された腕は強くはなくとも簡単には離さないという意志があって、頭を撫でて応えやると擽ったそうに身を捩った。
「不思議だったんだ」
猫が頭を擦りつけるように腕の中で動きながら一之瀬が呟く。
「柊くんのそういう噂を聞いても全然ショックじゃなくて、むしろ本当にそうなんだろうなって自然に受け入れてたの。
嫌だって思わないといけないのに、きっとひどい人だから離れるのが正しいのに、ひどい人なのが凄く安心した」
いくら助けられようと、結果的にそうなろうと俺の倫理観と女の子への扱いは一般的な感性から程遠く、受け入れられる方が珍しい。
そして、一般的な感性の中で育ったはずの彼女はしかし、忌避することなく受け止められたと嬉しそうに囁いた。
「ずっとなんでだろうって思ってた。でも、今のを聞いて分かったよ。柊くんは誰に対しても同じことをするからなんだ。
きっと私じゃなくてもあの扉を開けて。無理矢理暖かいご飯を食べさせて。自分だけが満足して帰るんだ」
あの日を思い出すように一言一言を噛み締める一之瀬の口から紡がれる言葉は純粋でいながら、艶のある熱を孕んでいる。
ゆっくりと顔を上げて俺を見つめる大きな瞳は、初めてプレゼントを貰った子供のように輝いていて、紅く染まった頬は薄桃色の唇に無邪気な笑みを作らせていた。
「私ね、柊くんのこと好きなの。最初は助けてくれたから好きになったのかなって思ってた。けど今違うよ?誰にだって手を伸ばせるから好きになったんだ。
切欠は椎名さんで、柊くんにそのつもりがなくても……ううん、そのつもりがないって分かった方が嬉しくてもっと好きになっちゃった」
こつりと額が合わさって、鼻先が触れ合う距離にまで近づく一之瀬はさらに顔を真っ赤にしながら、幸せそうにはにかむ。
「だって私は、誰にでも自分のままでいる柊くんに惹かれたんだもん。だから私も、君の側にいていいかな?」
輝く瞳には幾ばくかの不安を宿していて、初めてだろう衝動に腕の中に収まる身体は緊張で強張っていた。
彼女なりの言葉として落としこめられた想いに対する返答は決まりきっている。けれど、答えを出す前に少しだけ訂正しないといけない。
「ダメだ」
「っ」
くしゃりと顔を歪めて、一筋の涙を伝わせる一之瀬に早まらないよう穏やかな笑みを向けて優しく頭を撫でた。
「いいかな、じゃない。いる、じゃないとダメだ。どんなに好きになってくれても俺は簡単に目移りする。だから、許可なんて取らずに居座ってやるくらいは言わないとな。一之瀬が離れても俺は引き留めたりしないんだぞ?
俺とは関係なしに一之瀬の意志だけで側にいてくれ」
今度は俺の方から額を合わせると彼女を目一杯抱き締める。この抱擁こそが答えであり此方から手離すことはないという意思表示だ。
「っ、うんっ、柊くんが嫌って思ってもっ、いるから……それでも不安になった時は、ちゃんと気づいてねっ?」
「勿論。側にいればすぐに分かるから目の届くとこにいろよ?」
安心した反動で笑顔のまま大粒の涙を溢れさせ、小さく何度も頷く一之瀬を宥めるように桃色の長髪を指で梳くように撫でてやる。
女の子を泣かせてしまったことに罪悪感を覚えつつも、彼女の雫を伝わせる向日葵のような笑顔は見惚れるほどに綺麗で美しいものだった。