困惑。動揺。驚きのあまり見上げたまま早鐘を打つ鼓動に耳を傾けていた。
どうしてここに?
というかあんた誰?
情報とか意味分かんないんだけど?
沸き上がる白々しい言い訳の数々が浮かんでは消えて、言葉にならない酸素が喉をごくりと鳴らす。
その間も目の前の男は軽薄で、けれど不思議と不快感のない笑みを浮かべたまま私を見つめてきている。
散々悩んで出した私の答えは、開き直ることだった。
「……さぁ、使えるかどうか決めるのは私じゃないから。その内坂柳が決めるんじゃない?」
さっきまで退学も視野に入れていたのに、たかだかストーカーしてるのがバレたくらいで慌てるなんて馬鹿らしい。私のいない学校なんてのを想像すると、早鐘を打つ心臓も身体の緊張もなくなってきた。
「そっちこそ接触してきていいの?不純異性交流は校則違反よ」
「残念ながら健全なお付き合いの範疇なんだなこれが。生徒会副会長が罰則食らうならもう少し考えるんだが」
生徒会副会長で連想するのは金髪のチャラそうな二年生。確かにあの男子生徒も、女関係でだらしないことが有名だったっけ。
秩序と規律を守る立場の人間がそのままで、生徒会でもない人間を裁くのは順番が違うと言いたいのかもしれない。或いは、その男がペナルティを与えられるまでは問題ないと考えているのか。
「それで、大事な女をほったらかしてまで何の用よ」
「ただの雑談とちょっとしたお願いだな。あぁ、波瑠加……一緒にいた奴なら元々お開きの時間だったから気にしなくていい」
初めて会話する相手とは思えない馴れ馴れしい口調とは裏腹に、物理的はそこまで近くない。簡単に女に手を出すような男だからすぐ側まで寄ってくるだろうという想像はただの偏見だったらしい。
「ここ1ヶ月くらい尾けただろ?一人の時はまだしも、流石にデートしてる時くらいは勘弁してほしくてな。あんなに見られると嫌でも気になっちまう」
……どうやら最初からバレていたみたいだ。別に意外でもない。私は探偵でもなければ気配の消しかたなんてものを知っているわけでもないのだから。
「それは悪かったわね。でももう気にしなくていいわよ、明日から来ないから」
ストーカーが明日から来ないと言って信じるかどうかは分からないけど、私に柊をつきまとうモチベーションはもうない。坂柳次第だけど、近いうちに学校からいなくなっている可能性すらある。
「ふーん……?まぁもうしないならそれでいいさ。あんだけ見つめられて反応するなっていうのも、中々難しかったし」
1ヶ月も続けた尾行をあっさりと辞める私に疑問の声を漏らしながらも、柊はすんなりと頷いた。
一瞬だけ簡単に信じる理由を聞こうとして、思い留まった。聞いたところでどうするの?聞いて、どう答えてほしいのよ。
「ねえ」
「なんだ?」
「私がデートに誘ったら、してくれるの?」
自分で言っときながら、何を口にしてるんだと呆れた。いくら開き直っているとはいえ、何故そんなことを口走ったのか我ながら理解出来ない。
溜め息混じりに取り消そうとして、
「そりゃ勿論。今からだと時間が遅いから、散歩でもするか?」
何でもないような肯定に喉が詰まった。冗談でも私の反応を楽しむ悪意もない、純粋な人としての好意。
高い位置にある眼に下心はきっとある。でも、不思議と悪い気はしなかった。
「歩くだけなの?なんか意外ね」
「いきなり手出すわけねえだろ。俺ってそんな印象なのか?」
「だって……」
あれ……?言われてみると確かに柊とそういった関係になってるのは、思いつくだけでも多分三人くらい。
既に三股だけど、二桁以上の女子とデートしながらって考えれば少なさは感じる。いや、そもそも1ヶ月弱で20に届きそうな数の女子と一緒いるのがおかしいわね。
「……馬鹿みたいに色んな女子と遊んでるなら普通でしょ」
「大概性格終わってなきゃデートの一回くらいするもんだろ」
「自己紹介?」
「今回は違う」
今回はって自覚はあんのね。というか、性格が終わってる自覚がある上で女子を手玉にしてるのに、見下したりしないのはなんなの?チャラい男は頭の弛い女を見下して優越感に浸るものじゃないのだろうか。柊からはそういった悪意を驚くほど感じない。
「話すなら歩きながらにしないか?お前が目立っていいならここでも構わんけど」
「人気のないところに連れていく口実?」
「野外は俺の性癖から外れるな。だったらお前のまえでがっつり楽しんでるし」
目的の芯を食おうとしても明け透けでありながら飄々と躱される。あまりにオープン過ぎて、本当に正解かが分からない。当たっているか掠めているはずなのに、動揺の欠片もない表情は余裕そのものだ。
……本当に歩くだけのつもり?それとも、私が柊の趣味から外れているのか。もしそうなら、ほんの少しだけ傷つく。
「別にいいわよ、連れこまれても」
だから、こんなこと言うのはそのせいだ。自分の弱さに傷ついて、自棄になってるだけ。あとは少しばかりの興味。私にも、女みたいな喜びを得られるのかという疑問はあった。
「えぇ……」
私のヤケクソに意外にも困惑したような声が聞こえた。
「自暴自棄になってる女子につけこむほど盛ってないんだが……俺は抱きたいから女子と一緒にいるわけじゃないぞ?」
「説得力ゼロの弁明が得意ね」
「だってお前、別に抱かれたい訳じゃねえじゃん」
それはそう。開き直りと自棄で流されてもいいかなって思っているだけだ。近くにいたのがたまたま柊だったに過ぎない。
柊は少し思案したあとに立ち上がって、すっと私に手を差し出した。
「取り敢えずデートしようか。抱くにしても順序は大事だからな」
目の前にある男らしい手に逡巡する。
この手を取れば、少しは自分自身に価値を見いだせるのだろうか。いま胸に巣くう虚無感を少しはマシにできるのだろうか。分からない。
だけど、取らなかったらずっと同じなような気がした。
久しぶりに触れた男の手は、想像よりも固くて暖かった。
緩く握り返されると反射的に離そうとしてしまって、咄嗟に強く掴む。何故そうしたなかも分からない私を、柊は何も言わず穏やかに眺めていた。
「行きたいところとかあるか?」
「ないわよ」
「なら適当に歩こう。散歩だけなら充分に時間はある」
優しく立つよう促されて腰を持ち上げる。そして、握られた手に追従するように柊の背中をついていく。無気力だった足腰が不思議なくらい軽いのは、きっと空虚感のせいだった。
寮から出て手を握られたまま脚を進める。目的のないコースは時間帯のせいもあって人が少ないけれど、いないわけじゃない。
赤らんできた空の下では街灯に灯りが点きはじめていて、私たちは高さの違う影を何度も追い越していた。
男女で歩いてるのが不思議なほどに会話は少ない。ゼロという訳じゃないけど、キャッチボールはそこまで長続きしなくて沈黙が貫く時間の方が多い。
無理に話題を作ろとせず、だけど聞きたいことは遠慮なく聞くという話の振り方は柊の傲慢さを強調しているようでいて、でも一方的に話したりはなくて反応を待つ仕草には気遣いがあった。
情報収集という建前でいくつか聞いたこともあったけど、すぐに興味をなくして記憶の隅に放り投げてしまって、自分の開き直りっぷりには呆れてしまう。
「楽しそうね」
「女子とのデートだからな。楽しいに決まってるだろ?」
「歩いてるだけじゃない」
「それでいいんだよ。何に楽しさを感じるかは人それぞれだ」
足一個分くらい前を歩く柊の表情は嘘だとは思えないほどに明るい。口角は自然とつり上がっているし、鋭い目付きはどこか柔らかさを感じる。
なによりも、瞳が私を捉える度にほんのりと緩ませるのだ。その小さな仕草にどこか、身体の輪郭を取り戻す心地を覚えてしまう。
視線を落とせば握られたままの手が目に入る。振り払えば簡単にほどける繋がりを、私は自分から離せずにいた。理由は単純明快。久しぶりに感じた温もりが失くなることを、心のどこかで拒否しているからだ。
「ねえ」
ん? と顔を振り向かせる柊に唇が上手く動かない。何を言いたいのかも、何を聞きたいのかも私自身理解していなかった。まとまらない言葉を探る私を柊は焦らせることもなく、無視することもなく黙って見ている。
不意に違和感を感じて目を向けると、大きな手が温度差を示すように私の手を覆っていた。
「どうした?」
決して焦らさない、柔らかな声色。僅かに緩んだ鋭い目付きは変わらない眼差しで私を見ている。
「あんたにとって価値のある人間ってどんな奴?」
「俺のことが好きな女」
……思ったより最低な答えが返ってきたわね。しかも即答で。
「あんたのことが好きな女なら誰でもいいの?犯罪者でも?」
「薬物とかやってないなら笑って受け入れるな。流石に殺人は場合によりけりだが」
なんでこう……変に懐が広いの?クズの自覚があるから相手に求める下限の基準が低いとか?
もしそうなら、私にも価値を感じてくれるのだろうか。
「じゃあ……好きじゃないけど、そういうことに興味あるって言ったら、どうするの?」
「どうしてほしいんだ?」
見透かしたような声に、心臓が跳ねる。
「一緒に寝ることに、意味を感じているわけじゃないんだろう?お前は何を思って、俺に求めてるんだ?」
「……多分、逆なのよ。あんたに求められたら、私にも価値があるんじゃないかって……勝手にそう思っただけ」
「それはただの錯覚だな。ヤってる時は夢中になれるかもしれん。でも起きたら虚しいだけだよ」
「あんたが抱いてる女子は幸せそうじゃない……あいつらも、一人になったら虚しいってわけ?」
「波瑠加たちとお前じゃ気の持ちようが違う。好きでもない男に抱かれて、お前は嬉しいのかよ」
「分かんないわよ、もう……。でも、今の私に優しくしてくれる男になら好きにならなくても、後悔はしない気がする」
私が柊に何を求めてるかなんて自分でも分かってない。だけど、部屋に連れ込める私をそうせずに気遣って一人にしないこいつが、見てきただけの男じゃないって期待している。
期待するだけの好意を、抱いてしまっている。
「あいつらと同じように扱ってくれたら……好きになるかもしれないわよ」
言いながら顔を上げようとして、自覚する頬の熱に俯いてしまった。鼓動は平常心と変わりないのに、握られた手はいつの間にか生ぬるい温度に変わっている。
数秒の沈黙を終えて、柊は口を開く。
「神室、もし手を離したら、どう思う?」
……名前、知ってたのね。
「……別に。少し、寂しいだけ」
「じゃあ……」
周囲をきょろきょろと見渡すと、人気が少ないことを確認したらしい柊が私の手を離して、両腕を広げた。
「まずはハグからしてみようか」
緩く広げた両腕のまま柊は穏やかな表情を保っている。一歩分だけ空いた距離はずっと柊が作っていた距離で、私との境界線。それを乗り越えるのは、私じゃないといけないんだろう。
足取りは軽くて、少しばかりの不慣れさを隠せない動きで身を寄せた。
「嫌じゃないか?」
「……ん」
おっかなびっくりという風に腕を回す……というよりも添えると優しい温もりで包まれる。想像よりも大きい腕が背中に回されて、頭の上から降ってきた声に短く答えた。
胸が少し押される感覚に慣れてくると、思わず深呼吸してまいそうな安心感が沸き出てきて、微かに伝わる心音が心地いい。
熱い風呂に浸かったような、身体の緊張が一息に抜ける脱力感。熱くて刺激的なのに、全身から力が抜ける安心感は手放しがたい包容力で満ちていて思考がふらつく。
「今日するか?部屋でハグするだけでもいいぞ?」
楽しさを隠さない、だけど私を気遣う柔らかな声。背中にある手が頭に来て櫛ですくように撫でてきた。どちらでもいいと教えてくれる慰撫に、本心のまま舌が滑る。
「……してよ。あんたのことが好きな、幸せな女にして」