「だって知ってたし」
「は?」
散々暴れ回って、あとはギロチンが落ちるのを待つだけだった私にストップをかけたのは興味なさげに静観していた男だった。ずっと隠していたはずの秘密を、隠せていたと思っていた秘密を男は、柊要は当然のような口振りで木霊させた。は?
「……気づいていたの?彼女の見せてこなかった裏の顔を?」
「裏の顔なんて人聞きの悪いこといってやるなよ。誰もが不幸になる、不幸にする部分を見せないのは至って普通の感性だろうに。まぁ、意図的にクラスにマイナスをもってきたところは擁護しねえけどな」
急速に冷えていく頭がその事実を否定したくて唇が震える。
「あんたなんかにバレてたわけないでしょ、適当言って気でも引きたいの?気持ち悪い」
「変なことをいうなぁ櫛田は。お前より誰が優れてて劣ってるかなんて櫛田本人が一番分かってるだろ?」
「……っ」
否定、できなかった。その人の秘密という禁断の果実を手に入れるには、何が得意で何が苦手なのか把握する必要がある。それを材料に少しずつ関係を深めていくのが私のやり方だから。そして柊要という人間は、能力という一点に置いて他の追随を許さない、天才だった。
テストはオール満点が当たり前。身体を動かすことでも常に一位を記録し続けていて、その高みを崩せた生徒は未だ現れていない。一年時の最終試験、その最後の種目で選ばれたチェスの手番に入り、橋本と坂柳を片手間に相手どってそれでも圧倒していた。もし、綾小路と坂柳の二人による都合がなければ、素人目で見ても間違いなく勝っていたのは柊だった。
「いつから知っていたのかしら。返答次第では貴方も候補になり得るわよ」
「初めから。あと強がりはやめたほうがいいぞ。それが出来ないからこうやって魔女狩りしてるくせに」
「はじめ、から……?そんなわけ、ないじゃん」
堀北と柊のやりとりが聞こえなくなるほど耳を疑った。だって私の本性が醜いものだって私自身が一番理解しているから。過去と同じ轍を踏まないために必死に隠して、見えないようにして笑顔を張りつけて、今日この日までは上手くできていたと思っていた。それが全部、錯覚だった……?
「テストも運動も特別試験もそつなくこなして、けど女の子にはだらしがない、問題はあるがメリットのほうが上回る捨て置けない男子生徒。そんな奴を惚れさせることが出来たら、それはどんな味なんだろうな?そこまで行かなくても上手くコントロールできれば順風満帆に学校生活を送れる。
そう思ってただろ?」
「…………」
もはや座っている椅子の感覚さえ無くなって、全身に虚しさが広がっていく。怒りを通り越した熱量はひたすらに冷たくなって血管に流れていた。柊にとって、私が頭を回し根を張らせようと踠いていたことも全て、見えていたのだ。見透かしていてなお、構う必要性もないから今日まで泳がされていた。
「じゃあなんでかーくんは……きょーちゃんのこと放っといたの?かーくんがなんかしてれば防げたこともあるってことだよね」
「長谷部さんの言う通りね。特に去年の船上試験、櫛田さんが龍園くんと手を組まなければ、或いは阻止出来ていれば、今のこの時間も必要なかったかもしれない」
「どうでもいいから」
心の底からそう思っているように堀北の追及を切り捨てた。私が行った悪事を、自己中心的に撒き散らした悪意を知っていた上でどうでもいいと宣ったのだ。
「止めようと思えば止めれたし、他の奴らにそれとなく攻略方法を伝えることも出来た。その上で、だ。わざわざそんな手間をかける理由がどこにある?まさか、ポイントとかいう訳じゃないよな?」
「その頃から貴方にとって、ポイントの増減は関心を惹くことではないのね。柊くんにデメリットがあったとしても」
「学校生活を送るのにポイントはほぼ不要。テストも特別試験もモチベが上がるような面白い物はない。そんな中でポイントに固執する理由が俺には見当たらないな」
「……例えそうだったとしても、クラスに被害が出た以上正当化はできないわよ」
「それも興味ない。俺がなにもしなかったから被害を被った?それは俺より劣ってるお前らの問題で俺には関係ないだろ。大体、俺は特別頑張りはしなかったがサボりもしなかったぞ。さて、身勝手にサボりまくった奴にはなんて言うんだ?」
余裕綽々で堀北を往なす柊は至極興味がなさそうで、早く終われと言わんばかりに面倒な顔をしている。私や高円寺に負けず劣らずの自己中心的で傲慢な言い分を、しかし堀北は言い返せない。それはそうだ、高円寺と違って柊は私を止めなかっただけで、それ以外のことに関してはクラスに大きなメリットをもたらしていたのだから。
「でもさかーくん、本当にどうでもよかっただけ?」
「いや?興味がないのはクラスがどうなるかだけで、個人的に櫛田を見てたかったってのはある」
「……はぁ?」
なに、を言ってるのこいつ……。私を見てた?
思わず視線を向けてしまうと、そこにあったのは普段と変わらない柊の表情。失望も嫌悪もなく、あるがままに柊要がそこに立っている。ただ、よく見てみるとその瞳に少しばかりの残念さが滲んでいた。まるで、続きの小説がもう読めないことを知ったような、悪意も侮蔑もない純粋な感情。
なんで、そんな表情で今の私を見れるの?
「……彼女の裏切り行為とそれが暴かれる瞬間を観賞したかった、という意味かしら。だとしたら人間性を疑う気味の悪い趣味ね」
「そういう解釈になるのは仕方ねえが、全然違うからな。説明した方がいいのか?これ」
「きょーちゃんには教えていいんじゃない?まぁ、聞かされても納得できるかは分かんないと思うけど」
「さっきから長谷部さんも知っている風に言っているけれど、貴方も?」
「そんなわけないじゃん。普段のきょーちゃんが嘘だったのとか、あんな風に思われてたのは結構ショックだったし、今も信じらんない。
だけど、かーくんの方が色んな意味でおかしいって、付き合いでちょっとはわかってるの。少なくとも、堀北さんが思ってるようなことじゃないってことくらいはね」
最初は暗かった長谷部の声は柊のことになった途端、呆れながらも明るく優しげな物に変わっていて、視線を寄こして見るとかち合った瞳は表情を悲しげに歪めながらも逸らさないでいる。やがてその眼は柊の方へと向いた。
「別に特別な理由はないけどな。ただ俺の好みで眺めてただけだし。方向が間違ってるとは言え、努力してる奴は理由もなく眼に入れておきたくなる。それだけだ」
……は。なに、それ。
「間違ってるって分かってるなら止めてあげなよ……」
「無理だぞ。櫛田って面倒くせーから。顕示欲と承認欲求の塊のくせして、ストレスに弱すぎるんだよ。それでガス抜きの仕方も加減も知らねえからこんな風に爆発するんだ。
しかもこいつ、妙に自己評価低いし周りの人間にも期待できないから、ずっと抱えちまうタイプなんだよ」
…………今、こいつ何て言った?
「ちょ、ストップ!かーくんストップ!きょーちゃんの公開処刑になってる!追い打ちみたいになってるって!」
「今さらっていうか真っ最中だろ」
「それはそうなんだけどさぁ……もうちょっと手心とかはないの?」
頭の中で何度もリフレインする柊の、私への評価。今更恥ずかしさなんてものはなくなっている。ただ、素朴な疑問だけがあった。
「なんで、そこまで私のことわかってんの……?」
誰にも喋ったことのない、ここで明るみになるまで私しか知り得なかった、櫛田桔梗の根源と人間的弱さ。それをなんでここに来るまで会ったことのない柊が知ってるの?
「見てれば分かる」
「そんなはずないでしょ……!」
さも当然と言わんばかりの柊に怒りが再燃しそうになる。踏みとどまっているのは単純に怒るだけの体力がなくなっているからだ。そうでなければ、今頃胸ぐらを掴みにかかっている。
「あんなに、見せないようにしてきたのっ。受け入れられないだろうから、ずっと隠してきたっ。あんたになんか欠片も見せたことなんてないっ!」
「それはお前の視点での話だろ。大体な、櫛田みたいな奴は世の中に五万といるし、お前が可愛くみえるくらいのカスも文字通り死ぬほどいる。それこそ努力のどの字も知らないような、コバエみたいな奴もな」
世の真理を説くわけでもなく、秘密をばらまく訳でもなく、当たり前であることを当たり前に諭すように柊は口にする。
「そんな奴らと比べれば櫛田はどこにでもいる、承認欲求モンスターなだけの至って普通の女の子だよ」
私を見やるその眼に映っているのはひどい顔をした私自身だった。醜く利己的で人を信用できず、だけど見下して利用する櫛田桔梗を、何も変わらない瞳だけが捉えている。その事実を私はようやく受け入れることができて、思い当たる。私が柊要を嫌いだった理由を。
羨ましかったのだ。
隠して嘲笑うばかりの私と違って、常に本心のままに良いも悪いも口にして生きる彼が羨ましくて疎ましくて、私もそうありたかった。
なによりも彼を知れば知るほど、私の本性を受け入れてくれるんじゃないかって、期待しそうになった。それが嫌で、否定したくてずっと距離を置いてたんだ。
「ふざけないでよ……今更どの口でいってんの……」
「俺はずっと同じことしか言ってないけどな。信用してない櫛田が変に勘ぐるだけで」
「私にはマウント取ってきてるようにしか聞こえないっ。あんたも、堀北もっ」
「ご指名だぞ、堀北」
「どういう神経していれば今の流れで私に投げてくるの……?流石の私でも空気を読めたわよ」
「櫛田の面倒くささを甘くみたお前のせいでもあるから」
「正論にみせかけた暴論はやめなさい」
燃え上がった熱が溢れてくるのを抑えられなくて、喉をしゃくりあげながら俯くことしかできない。柊の神経の無さに苛ついて、いつも通りの在り方に人の温もりを感じとってしまった。
「波瑠加」
「はいはい。ほんと、節操ないんだから」
「悪いな。付き合いが長いのが波瑠加でよかったよ」
「指名料はあとでちゃんともらうからね。きょーちゃん、ちょっと後ろ行こっか」
「後ろを見た奴は死ね」
長谷部に手を引かれるまま、クラスメイトの目に入らない隅っこへ連れてこられた。背中を擦られる感覚と目元が腫れないような優しい手つきで涙を拭われていく。
「……なんで、優しくできるのよ。あんなに暴れて滅茶苦茶言った人間に」
「かーくんに頼まれたっていうのが一つと、きょーちゃんみたいな人にはなりたくないから」
「喧嘩売ってんの?」
「散々言ってくれたお返し、さっきのは本気でショックだったし。でも、一年前ならともかく今の私はそれなりに余裕があるから。泣いてる人がいて、彼に頼まれたらその人を慰めるくらいはやってあげるの。それだけ。あー、でも」
″もしかして、かーくんの方がよかった?″
にんまりとした意地の悪い顔を作った長谷部にどきり、と心臓が跳ねた。怒りとは違う熱さが全身に流れて、誰にも見られたくないほど顔が熱を帯びる。明らかに確信的な犯行に、何故か思ったほどに怒りは込み上げてこなくて口元が歪んだ。
「やっぱりうっざ……!」
「かーくんの性格の悪さが移っちゃったかな」
「聞こえてるぞ」
「っ!?」
「そこは聞こえないフリしてよね。わざわざ小さい声で喋ってるのに」
教室の殆ど反対側にいるはずの柊から声が響いてきて、驚いている私を尻目に長谷部は不粋なことをするアイツを責める声色を乗せて嗜めた。柊の耳、どうなってんのよ。
「話を本筋に戻しましょう。彼女を退学させるか、否か」
「あ、俺はそもそも退学者を選ぶことに反対だから。クラスポイント100は諦めてくれ」
あっけらかんと言い放つ柊にクラス全員が沈黙する。こいつ、どれだけ滅茶苦茶にすれば気が済むの?私が言えたことじゃないけど。
出鼻を挫かれた堀北も一瞬面食らったように固まり、額に手を当てて疲れたように浅く息を吐き出した。柊に寄こす瞳には若干の呆れが含まれている。
「……理由を聞かせてもらえるかしら」
「他人に値段をつけるような真似は俺の主義に反する。自分の価値っつーのは誰かにつけられるものじゃなくて自分自身でつけるもんだ。
それにここで退学者を出すっていうのは、ここにいる全員の価値がクラスポイント100分しかないって、お前らで証明することになるんだぞ。俺はそんな奴らと同じだなんてごめんだね」
吐き出された言葉は今までと同じ声で同じ軽さがあったけど、分かりやすく芯の入ったものだった。直球で分かりやすいが故に、その信念はクラスに浸透していく。理性と感情で揺れ動き、私が荒らしまくったクラスの空気をたった一人の感情だけで吹き飛ばした。
それを一番近くで見ていた堀北が重い溜め息を吐き出す。だけど前を向いたその表情はいくらか柔らかくなっている。
「Aクラスに上がるためには必須なのだけれど……説得は厳しそうね」
「そんな気にしなくても問題ねえよ、堀北がいるんだし。今年は無理でも来年、最悪でも卒業までには上がれるだろ」
「クラスの力を買ってくれている、ということにしておくわ」
「評価してるのは堀北の頑張りなんだが……まあいいか」
「そんなに評価してくれているのなら、貴方も本気になってくれないかしら」
「Aクラスなんて労力かけて目指す価値ないだろ」
「貴方どれだけこのクラスに喧嘩を売れば気が済むの?」
堀北の台詞にクラス全員がまばらに頷く。その針の筵のような状況でも柊はどこ吹く風で受け流していて、アイツの主張を変えることが不可能だと語っていた。
……いや待ってよ。本当に、私を残すつもり?
「本気でいってんの……?」
「そうみたい。だからきょーちゃんが考えてた、クラスを崩壊させて一人だけ逃げる、ってのは無理っぽいね」
「そんなの……!」
「折角だからその素のままで過ごしてみたらどうだ。少なくとも櫛田に偶像を押しつける奴はいなくなるわけだし案外、他人から求められないのも楽でいいかもしれんぞ。俺は素の方も人間味あって好きだし」
思わず噛みつこうとしたところを柊に遮られる。思いもよらない提案を持って。柊のように気ままに生きれる、代わりに誰にも必要とされない。そんな寂しそうで、どこか惹かれる学校生活。それを良いと思ってしまった私がいて、さらに醜い私を受け入れる口振りに鼓動が跳ねた。
「クラスのみんなが許すわけ……」
「確かに到底受け入れられることではないわ。でもそれ以上に柊くんの説得が不可能なのよ。彼の主張の根本が個人の主義に基づくものなのだから」
″これ以上の議論は時間を浪費するだけよ″
既に結論を出した堀北はこの特別試験を終わらせるつもりだった。
「それに仮に退学者を出すようになったとしてもそれは櫛田さんではないわ。貴女はこのクラスに必要不可欠な人間だもの。私は許す。櫛田さんがクラスと私にしてきた妨害、或いは受けた被害を水に流すわ」
続けて口にされた考えに思わず思考が停止する。私を許す……?
なんのためにと再開した思考が回って一つしかないことに気づいた。
「その代わりに、クラスに貢献しろって……?」
「そうしてくれるとありがたいし、これからはちゃんとした協力を頼むわね。でも強制はしない。櫛田さんを許すのはそれだけクラスに貢献してきたところがあるからよ。
それでも納得できないなら、そうね。柊くんの言葉を借りると、″貴女の思い通りになるのは癪に触る″といったところかしら」
……あぁ確かに。そこにいる男なら言いそうなことだ。例えこの立場にいるのが私なんかじゃなくても不快だと感じたら問答無用でぶち壊す。それが柊という傍若無人の指針だ。だけどわざわざ口にする辺り、
「ほんっとうに可愛くない奴」
「褒め言葉として受け取っておくわ。一応クラスのみんなにも聞いておきましょうか。誰か、柊くんを説得できる人はいる?」
クラスの全員が首を横にふらず、しかし目を逸らした。″退学者は出さない″、それがクラスの総意になった瞬間だった。
「待った堀北。お前も櫛田の退学に反対していただろう、その説明はないのか」
「柊くんには柊くんの主義があるように、私にも私なりの考えがある。勿論、彼と違ってメリットとデメリットを天秤に乗せた合理的な判断よ。時間を貰うことになるけれどあとでちゃんと説明させてもらうわ」
おそらく一番私を退学させたいであろう綾小路が食い下がるも、堀北はしっかりとした落とし所を与えながらも意思のある言葉で往なした。一瞬反論しようとした綾小路も堀北の声色で無駄だと悟ったのか大人しく口を閉ざす。
そうして特別試験は柊要の主義という感情論によって、思い通りになるどころか開き直った最後の足掻きすらも叶わず、私にとっては最悪の形で幕を下ろした。
築き上げた地位も隠していた本性も暴かれて何もかも失った筈なのに、頭の何処かで安堵していた自分がいることに気がついていた。
依存させるのが似合うメンヘラだからこそ、純愛落ちさせたい。