スタジオでの波乱含みの対面から数時間後。
二人はタクシーに揺られ、都内某所の閑静な住宅街にある高級マンションへと到着していた。
「ここが船長のお城だよ! どう? 滅道記者、興奮する?」
オートロックを解除し、部屋のドアを開けた瞬間、宝鐘マリンはくるりと振り返り、悪戯っぽく微笑んだ。
その仕草、声色、そして放たれるオーラ。
それは、タクシーの中での少し砕けた会話の時とは違う、完全に「配信モード」の彼女だった。
「ええ、とても素敵なマンションですね。セキュリティもしっかりしていますし」
「もー、そこじゃないでしょ! もっとこう、『トップアイドルの秘密の花園に入っちゃった!』みたいなドキドキ感はないわけ?」
彼女は不満げに頬を膨らませつつも、手招きをして彼をリビングへと誘う。
玄関を抜けた先に広がっていたのは、まさに「宝鐘マリン」という存在を凝縮したような空間だった。
壁には自身のタペストリーやグッズがセンス良く飾られ、棚にはフィギュアや漫画が整然と並んでいる。奥には、世界中のファンと繋がるための要塞のような配信機材。
しかし、それと同時に、脱ぎ捨てられた上着や、飲みかけのペットボトルといった、生々しい生活感も同居していた。
「さてと! 船長のプライベート空間へようこそ! さあ、どこから撮る? ベッド? それともお風呂?」
マリンはソファに座ると、足を組み、スカートの裾を少しだけ直しながら挑発的な視線を送ってきた。
(……なるほど)
滅道は、カメラのレンズを調整しながら冷静に分析する。
彼女は、自宅という最も無防備な場所に他人を招き入れた緊張感を、「宝鐘マリン」というキャラクターを演じることで隠しているのだ。過剰なサービス精神は、彼女なりの防衛本能なのだろう。
「では、まずはリビングの全体像と、普段配信されているデスク周りからお願いします」
「了解! 船長の聖域、しっかりその目に焼き付けなさいよね!」
取材は順調に進んだ。
マリンはプロフェッショナルだった。カメラを向ければ即座にポーズを取り、インタビューにはウィットに富んだ回答を返す。
滅道もまた、そんな彼女の魅力を引き出すように、丁寧にシャッターを切っていく。
一通りの撮影が終わり、機材の撤収を始めた頃だった。
滅道は、部屋の全景を最後に一枚押さえようと、ソファの脇にかがみ込んだ。
その時、視界の端に、違和感のあるものが映り込んだ。
ソファとクッションの隙間。
そこに、淡いピンク色をした、流線形の物体が落ちていた。
シリコン特有の鈍い光沢。見慣れない、しかし、どこかで見たことがあるような形状。
(……え?)
滅道の思考が一瞬停止する。
プロの記者としての冷静な脳が、その物体の正体を弾き出すことを拒絶しようとしたが、情報は無慈悲に統合された。
――電気バイブ。
時が止まったように感じた。
聖域に足を踏み入れた者が、見てはいけない「神の道具」を見てしまったかのような背徳感。
彼は反射的に視線を逸らそうとしたが、その不自然な動きを、目の前の主は見逃さなかった。
「ん? 滅道記者、どうしたの? そんなところで固まっちゃって」
ソファの反対側にいたマリンが、不思議そうに小首を傾げる。
「もしかして、船長の魅力に見とれて腰が抜けちゃった?」
いつもの調子でからかってくる彼女。
しかし、滅道の視線が、自分の足元付近の「ある一点」に釘付けになっていたことに気づいた瞬間、彼女の表情が凍りついた。
彼女の視線もまた、そこへ吸い寄せられる。
ピンク色の、あからさまな、それ。
「………………あっ」
マリンの口から、素っ頓狂な、小さな声が漏れた。
次の瞬間、彼女の顔からサッと血の気が引いたかと思うと、即座に沸騰したかのように、耳の先まで真っ赤に染め上がった。
「あ、あ、あ、あ……!」
配信で見せる余裕たっぷりの笑みは、跡形もなく消え失せた。
彼女は弾かれたようにソファから飛び起きると、目にも留まらぬ速さでそれをひったくり、背中に隠した。
「なっ、なななな、何見てんのよ! バカ! ヘンタイ! この変態記者ァッ!」
裏返った声がリビングに響く。
彼女は隠したそれを守るように後ずさり、涙目で滅道を睨みつけた。
「み、見てない! 俺は何も見てません!!」
「嘘つけ! 今、絶対見たでしょ! いやらしい目でガン見してたでしょーが! この、スケベ! 最低! 訴えてやる!」
「いえ、機材のチェックをしていたら偶然……」
「言い訳無用! ああもう、最悪! なんでこんなところに落ちてんのよぉぉぉ!」
彼女はその場にしゃがみ込むと、顔を両手で覆ってしまった。
完璧に作り上げていた「宝鐘マリン」の鎧が、物理的な「ブツ」の登場によって粉々に砕け散った瞬間だった。
配信での下ネタトークは、あくまでエンターテイメントだ。計算された「言葉」の遊びだ。
しかし、これは違う。
これは、「モノ」だ。
彼女の生々しい性欲と、孤独な夜の営みを証明する、逃れようのない現実だ。
滅道は、狼狽する彼女の姿を見下ろしながら、申し訳なさと同時に、奇妙な高揚感を覚えていた。
(……これが、本当の彼女か)
トップVTuberの、誰も知らない、あまりにも人間らしく、無防備な素顔。
このハプニングこそが、二人の関係を決定的に変える、最初の鍵となることを、彼は予感していた。