「……あのさあ、滅道記者」
リビングに重苦しい沈黙が流れていた。
電気バイブ発見事件の後、マリンはソファの隅で膝を抱え、完全に貝のように押し黙っていた。その顔はまだ赤く、瞳には羞恥と、彼をどう追い出すかという葛藤が渦巻いている。
「そろそろ夜も遅いし、帰ってくれない? 船長、もう精神的に限界なんだけど」
彼女の言葉は本音だった。プライベートな「おもちゃ」を見られた相手と、これ以上同じ空間にいるのは耐え難い。
しかし、滅道は時計を一瞥すると、まったく悪びれる様子もなく答えた。
「いえ、契約書にもある通り、密着取材は24時間体制が基本です。特に夜のルーティンは、素顔に迫る重要なファクターですから」
「正気!? さっきのアレ見た後に、まだ居座る気!?」
「プロですから。見て見ぬふりをするのも仕事のうちです」
滅道の鉄面皮な返答に、マリンは「ぐぬぬ」と唸る。
この記者は、帰らない。その事実を悟った彼女は、深い溜息をついた。
「……はぁ。わかったよ。じゃあ、シャワー浴びてくるから。アンタはそこで、壁のシミにでもなってて」
彼女が立ち上がろうとしたその時、滅道がふと思いついたように提案した。
「マリンさん。提案なんですが」
「……なに?」
「いっそのこと、常に『配信モード』でいるのはどうでしょう? そうすれば、羞恥心も紛れるのでは?」
その言葉に、マリンの目が丸くなる。
確かに、素の自分でいるから恥ずかしいのだ。何万人もの前で演じている「宝鐘マリン」という最強の鎧を纏えば、この気まずさもエンターテイメントに昇華できるかもしれない。
「……なるほどね。アンタ、たまにはいいこと言うじゃん」
彼女はニヤリと笑うと、パチンと指を鳴らした。
その瞬間、彼女の纏う空気が変わった。
「よーし! わかったわよ滅道記者! 船長のナイスバディとセクシーなバスタイム、特別に見せてあげようじゃないの! 全世界のキミたちが羨む特等席だよ!」
高らかに宣言し、腰に手を当てる。その姿は紛れもなく、いつもの自信満々な「船長」だった。
しかし、その頬が微かに引きつっているのを、滅道は見逃さなかった。
「じゃあ、船長はここで脱ぐから! アンタは後ろ向いてなさい! 音だけで想像して、悶々としちゃえばいいんだから!」
マリンはそう言うと、バスルームの前で服に手をかけた。
滅道は素直に後ろを向く……かと思いきや、体を半回転させただけで止まった。
「あ、契約上、取材対象から目を離すことは推奨されていないので」
「はあ!? 見る気!?」
「見ませんよ。ただ、そこにいるという事実を確認しておくだけです」
「くっ……! い、いいわよ! 船長の裸体を見ても、鼻血出して倒れないようにね!」
背後で衣擦れの音が響き始める。
カチャリとベルトが外れる音。布が床に落ちる音。
その一つ一つが、静かなリビングに鮮明に響く。
「ど、どうよ……今、スカート脱いじゃったんだから……きゃー、船長大胆!」
実況する声は震えていた。
無理をしているのは明白だった。羞恥心と、「キャラを維持しなければならない」という義務感の間で、彼女は必死に戦っている。
やがて、全ての音が止んだ。
滅道は、ゆっくりと振り返った。
そこには、バスタオル一枚を体に巻き付け、顔を真っ赤にしながらも、必死に妖艶なポーズを取ろうとしているマリンがいた。
「ふ、ふふん……どう? 滅道記者。船長の魅力に、言葉も出ない?」
彼女は震える指先で髪をかき上げ、精一杯の誘惑の視線を送ってくる。
その健気で、あまりにも無防備な姿。
滅道は、彼女の瞳をまっすぐに見つめ、静かに、しかし残酷な事実を口にした。
「そうですね。言葉も出ません」
彼は一歩、彼女に近づいた。
「それに……乳首、立ってますよ」
「――――ッ!!!」
その一言が、彼女の限界だった。
張り詰めていた糸が、プツリと切れる音がした。
「ひっ……!」
マリンは悲鳴のような声を上げると、脱兎のごとくバスルームへと駆け込んだ。
ガチャン! と激しい音を立てて鍵がかけられる。
「バカ! 変態! 最低! もう知らないッ!!」
ドアの向こうから、涙声の罵倒が聞こえてくる。
配信モードという鎧は、生理的な反応という「現実」の前に、脆くも崩れ去ったのだ。
滅道は、閉ざされたドアを見つめながら、小さく息を吐いた。
(……可愛い人だ)
その感情が、記者としての好奇心なのか、それとも男としての本能なのか。
彼自身にもまだ、判断がつかなかった。
ただ、シャワーの音が響く中、彼はこれから始まる長い夜に、静かな興奮を覚えていた。