夕食の部屋は、朝の“迎える部屋”より少しだけ柔らかかった。
でも、広い。天井も高い。テーブルも、家族の人数に対して余裕がある。
席に案内される。
命は俺の向かいではなく、斜め前。近すぎないけど、遠くもない。
綾乃さんは落ち着いた顔で座る。
澄乃さん――澄乃さんは、もう“面白いことが起きる”って顔をしてる。
由紀子さんは淡々と周りを見て、千佳はわくわくが漏れそうで必死に抑えてる。
料理が並ぶ。
派手じゃないのに、全部がちゃんとしてる。温かいものは温かいまま出る。音が静かだ。
綾乃さんが最初に言った。
「では、いただきましょう」
「今日は……話が多い日なので」
「はい」
俺も頭を下げる。
「いただきます」
「いただきます!」
千佳が反射で声を上げて、由紀子さんに軽く肘で止められる。
「千佳、声」
「……はい!」
命は小さく言う。
「……いただきます」
表情は相変わらず読みにくい。
でも、箸の持ち方が少しだけ硬い。緊張してる。
最初は料理の話になった。
千佳が「これ何!うま!」って言いかけて、言い直して、由紀子さんが笑いを噛み殺す。
空気が少し温まったところで、澄乃さんが湯呑みを置いた。
「さて」
その一言で、みんなの意識が揃う。
澄乃さんは俺じゃなく、命を見る。
「命。さっきの話は、家として受け取った」
「だから次。――なれそめ、聞いていい?」
千佳の目が光った。
「え、聞いていいの!?」
「千佳」
「……はい!」
命の肩が少しだけ固くなる。
逃げないけど、恥ずかしいやつだ。
綾乃さんが一拍置いて、補助するみたいに言う。
「無理に話さなくていいわ」
「ただ、由紀子も千佳も、今日いきなりだから」
由紀子さんが頷く。
「情報ゼロで婚姻具は重い」
命が小さく息を吐いた。
「……分かりました」
「話せる範囲で、話します」
命は俺を見る。
“助けて”じゃない。“一緒に”の目。
俺は頷いた。
「俺から話す」
千佳が身を乗り出す。
「命姉とハヤトさん、どこで会ったの!?」
俺は短く言った。
「入学初日」
千佳が固まる。
「初日!?」
「千佳、声」
「……はい!」
俺は続ける。
「駅前で、落とし物を拾いました」
「白い絹の袋で、刺繍が入ってた。家紋みたいなやつ」
命が小さく頷く。
「……落としました」
由紀子さんがさらっと言う。
「そそっかしいな」
「由紀子姉さん……」
命が丁寧に言うと、由紀子さんは何も言わずに箸を動かした。
俺は言葉を足す。
「交番に届けようと思ってたら、命が後ろから声をかけてきました」
千佳が小声で言う。
「うわ……映画」
「千佳」
「……はい!」
命が少しだけ視線を落として言った。
「……『すみません』って」
俺は頷く。
「そう。で、袋を返しました」
「それで終わるはずでしたけど……俺が止めました」
澄乃さんが楽しそうに笑う。
「止めたのね」
「止めました」
俺が言い切ると、命の耳がほんの少し赤くなる。分かりやすい。
「同じ学校だよなって聞いて」
「新入生だろ……一緒に行かないかって誘いました」
千佳が手で口を押さえた。
「うわ……王道……」
由紀子さんが小さくため息をつく。
「初日から距離詰めるじゃん」
俺は言い訳せずに言う。
「詰めました」
命が小さく言った。
「……私は、『構いません』と答えました」
綾乃さんが静かに頷く。
「命が初日からそれを言うのは珍しいわね」
命は否定しない。できない。
その代わり、声だけ丁寧に整える。
「……判断しました」
澄乃さんがすぐに次を投げる。
「で、どっちが先に好きになったの」
直球。
場が一瞬止まって、千佳が息を呑む。
俺は即答した。
「俺です」
命がこちらを見る。
「……」
「袋返した瞬間に、もう決まりました」
「一目惚れでした」
千佳が机に突っ伏しそうになって、由紀子さんに止められる。
「千佳、死ぬな」
「……はい……!」
命は表情が読みにくいまま、でも目だけが揺れる。
恥ずかしさと、否定できないやつ。
俺は最後に、余計な飾りを足さずに言った。
「最初に会った時点で、もう“この子がいい”って思いました」
「だから、図書館とか、寄り道とか、全部そのあとに増えた時間だ」
「命姉は?」
命は一拍置いて、丁寧に言った。
「……分かりません」
「最初から、好きだと決めたわけではありません」
正直だ。命らしい。
命は箸を置いて、続ける。
「でも、ハヤトさんと一緒にいると……落ち着くことが増えました」
「嫌ではない、とか」
「……もっと一緒にいたい、とか」
千佳が静かに頷いてる。さっきより真面目だ。
綾乃さんが少しだけ柔らかい声になる。
「命がそう言えるのは、大きいわね」
澄乃さんが笑った。
俺は命を見た。
「今日は、命が一番強かった」
命はすぐに返さない。
でも、ほんの少しだけ息を吐いて、言った。
「……はい」
その「はい」が、昼の「はい」と違う。
落ち着いてる。
由紀子さんが箸を置かずに言う。
「……よし」
「今のは、みんな聞いた」
「命姉が言って、ハヤトさんが受け取った」
「じゃあ、この話はここで終わり」
「じゃあ今日の議題は終わり」
千佳が耐えきれず小声で言う。
「議題って何……」
澄乃さんが笑う。
「家の話は議題よ。うるさくしないで、ちゃんと決める」
綾乃さんが静かに続けた。
「今日は泊まっていく」
「明日は、疲れを取って帰りなさい」
俺は頭を下げる。
「ありがとうございます」
命も同じように頭を下げた。
「……ありがとうございます」
千佳が嬉しそうに言う。
「じゃあ、ほんとにお泊り会だ……!」
「千佳、声」
「……はい!」
そのやり取りで、テーブルの空気がやっと“いつもの家”寄りになる。
重さは残ってる。でも、息ができる重さだ。
命が箸を持ち直して、料理を一口食べる。
そして小さく言った。
「……おいしいです」
誰に言ったのか分からないくらい小さい。
でも、場が少しだけ明るくなる。
俺はその瞬間、思った。
この家の夕食は、試されてるんじゃない。
受け入れられてる。
だから俺も、ちゃんとここにいる。