薄い光が障子の向こうで白く広がって、部屋の輪郭だけが先に浮かぶ。
朝目覚めると裸の美少女がお腹の上で眠っている。
結局あの後朝まで続けて、最後はお互い疲れ果ててそのまま眠ってしまったようだ。
俺が少し動くと、命のまつげが揺れた。
「……おはようございます。ハヤトさん」
「おはよう」
「……眠れましたか」
「眠れた」
「……そうですか」
命は小さく頷いてから、目を逸らす。
逸らすのに逃げじゃない。照れだ。
「……昨日のこと」
命が言葉を探すみたいに息を吸う。
「忘れそうにありません」
「俺も」
命はそれだけで安心したみたいに、ゆっくり息を吐いた。
そして、ほんの少しだけ口元がほどけて、小さく笑った。
命の表情が柔らかくなった気がする。
そのとき、廊下の向こうで気配が止まった。
控えめなノック。
「失礼いたします。朝食のご案内でございます」
「……はい」
命が丁寧に返して、俺を見る。
「行きましょう。……皆が待っています」
命は立ち上がって、いつもの速度で身支度を整える。
ただ一つ違うのは、俺の目を見る時間が少しだけ長いことだった。
食堂に入った瞬間、空気が“整いすぎている”のが分かった。
いつもより、静かで、明るい。
卓の中心に置かれていたのは――赤飯。
湯気が立っている。
あからさまに、祝いの色。
由紀子さんが淡々と言った。
「……分かりやすすぎだろ」
千佳が目を輝かせて、声を弾ませる。
「赤飯! ね、命姉! 今日赤飯だよ!」
命は表情を崩さない。
でも、耳がほんの少しだけ赤い。
「……千佳。声が大きいです」
「えへへ。だって、おめでたいじゃん!」
綾乃さんが、取り繕った丁寧さで、きっちりと座を整える。
「おはようございます。二人とも、体調は問題ありませんか。無理はしていませんね」
言い方は丁寧なのに、確認が早い。
「……はい。大丈夫です」
命が答える。
俺も、綾乃さんには丁寧に返す。
「はい。問題ありません」
澄乃さんは、笑っているのに逃げ道がない目で俺を見る。
大人なお姉さん口調で、さらっと言った。
「おはよう、坊や。いい顔してるわね」
それから命に視線を移して、同じ温度で。
「命も。笑顔なんて珍しいわね」
「……お婆様」
命は短く呼ぶだけで、言い訳しない。
澄乃さんは満足そうに頷いた。
「いい子。今日はちゃんと食べなさい」
「赤飯はね、“続く”のよ。縁起物なんだから」
由紀子さんが箸を取って、淡々と補足する。
「祝いは祝い。妹の婚約祝いでもあるし」
俺を見て、短く。
「分かってるな」
「はい。分かってます」
千佳が身を乗り出す。
「ねえハヤトさん! 赤飯ってことはさ、もう“家族”ってこと!?」
俺は一拍も置かずに言った。
「そうだな。……お兄ちゃんだ」
千佳が目を丸くして、次の瞬間ぱっと笑う。
「え、ほんと!? じゃあ今日からハヤトさんじゃなくて――お兄ちゃん!」
命が小さく息を吐く。止めない。
表情は読みにくいままなのに、口元だけが少し柔らかい。
「……千佳。声が大きいです」
「だって嬉しいもん!」
それを聞いて、澄乃さんが小さく笑った。
「聞いた? 坊や。お兄ちゃんって呼ばれたのよ」
千佳が「お兄ちゃん!」と笑ったあと、食堂の空気が一段明るくなった。
由紀子さんは箸を動かしたまま、ちらっと俺を見る。
淡々としてるのに、目が少しだけ柔らかい。
「……弟ができるの、普通に嬉しい」
言い切ってから、照れ隠しみたいに味噌汁を一口飲む。
その間が、かわいい。
俺は反射で丁寧に返した。
「……その、弟でいいですか」
「いいに決まってる」
即答。迷いがない。
「命が決めた。家も受け取った。――なら弟だ」
千佳が身を乗り出して、嬉しそうに騒ぐ。
「由紀子姉、めっちゃ喜んでる!」
「うるさい」
由紀子さんは切り返す。いつも通りの短さ。
でも、否定じゃない。
由紀子さんは俺の顔をもう一度見て、言い方だけ少しだけ軽くした。
「……イケメンの弟とか、得じゃん」
言った瞬間、自分で気づいたみたいに目を逸らす。
「今のは忘れろ」
澄乃さんがくすっと笑う。
「由紀子、素直じゃないのね」
「うるさいです、お婆様」
由紀子さんは即座に返す。
それから、俺にだけ分かるくらいの小さい声で付け足した。
「弟。ちゃんと守られてろ、守られるのも、仕事だから」
俺は短く頷いた。
「……はい」
由紀子さんはそれで満足したみたいに、また箸を動かす。
淡々としてるのに、嬉しさだけは残っていた。
由紀子さんが箸を動かしながら言った「守られてろ」が、妙に胸に残った。
この家の言葉は、軽くない。軽く言う人ほど、なおさら。
赤飯は、塩気がちょうどいい。
噛むほど味が出る。祝いの味ってこういうやつだ。
「お母さん、赤飯おかわりしていい?」
綾乃さんが箸を止めずに、取り繕った丁寧さで即答する。
「いいですよ。ですが、まずお味噌汁を一口。落ち着いてからにしてください」
「はーい!」
千佳が立ち上がりかけたところを、綾乃さんが丁寧に止めた。
「千佳。立つなら椅子を引いてからにしてください。――落ち着いて」
取り繕った丁寧さ。内容は母の指示。
「はーい……」
千佳は一度座り直してから、今度はちゃんと立った。
それでも視線はずっと俺に向いてる。
命が小さく息を吐く。止めない。
でも目だけで「ほどほどに」と千佳に言っている。
澄乃さんが楽しそうに笑った。
「かわいいわね。坊や、すっかり家の人みたい」
俺は澄乃さんには丁寧に返す。
「……ありがとうございます」
「うん、いい子」
澄乃さんは満足そうに頷いて、箸を置いた。
「それじゃ、朝の段取り。綾乃、お願い」
綾乃さんが頷く。声は丁寧で、温度は低い。
「では、確認しますね」
視線が俺と命に向く。
「言葉は『結婚』でした。現実の扱いは『婚約』です。順番は守ります。異論はありますか」
命は短く。
「ありません」
俺も頷いて答える。
「ありません。……承知しました」
千佳が目を丸くする。
「婚約って、なに?」
素朴すぎる質問で、空気が一瞬だけ柔らかくなる。
由紀子さんが淡々と説明する。
「予約だ。正式な段取りの前に、決めたってことを形にする」
「へえー!」
千佳は分かったような分からないような顔で、それでも嬉しそうに笑う。
「じゃあさ、予約したお兄ちゃんってこと!?」
「……雑」
由紀子さんが小さく呟く。
でも、口元だけがほんの少しだけ動く。笑いを堪えてる。
澄乃さんが手を叩くみたいに、軽く言った。
「いいじゃない。千佳はそういう子。坊やも、そういうところ受け取りなさい」
「はい」
命が俺の横で、ほんの少しだけ笑った。
大きくはない。口元がほどけるだけ。
でも、昨日までの命にはなかったやつ。
それが嬉しくて、俺はそれ以上考えるのをやめた。