婚姻の席当日になった。
屋敷の時間は早い。整ったまま進む。
朝。
目を開けると、視界の上に命がいた。
俺の胸に頬を寄せるみたいにして、眠っている。
腕を組む代わりみたいに、俺の腕を抱えている。
寝顔は静かで、表情はいつもより柔らかい。
結局昨日も命としてしまった。
命もすっかりハマってくれたようで毎日部屋に来てくれる。
起こさないように息を整える。
でも、命は目を覚ましてしまった。
「……ん」
命が目を開ける。
一瞬だけ、状況を理解するのに間があって――それから、耳がほんの少し赤くなる。
「……おはようございます、ハヤトさん」
「おはよう」
命はまだ俺の腕を抱えたまま、少しだけ顔を近づけた。
くっつくのに、押しつけない。命らしい距離。
「……昨日」
命が小さく言う。
「疲れて眠ってしまいました」
命が俺の腕を抱え直して、ぽつりと言った。
「……落ち着きます」
「俺も」
言ってから、俺はすぐ言い直す。
昨日の反省が残ってる。
「……落ち着くのは、命がいるからだ」
命が一瞬だけ固まって、でも逃げない。
赤くなった耳が、さらに少し赤い。
「……はい」
命は小さく頷いて、丁寧に言った。
「私も、同じです」
静かな朝の部屋で、言葉が落ちる。
落ちて、ちゃんと残る。
命が少しだけ身体を起こそうとして――迷って、起こさない。
まだ腕を抱えたまま、俺を見る。
本当にきれいな瞳をしている
そんな瞳に吸い込まれるかのように顔が近づく。
命の顔が近いのでついでにキスをする。
扉の外で、控えめな気配が止まる。
執事の声が、静かに届いた。
「お目覚めでいらっしゃいますか」
「朝食のご用意が整っております」
命が小さく息を吸って、俺を見る。
少しだけ名残惜しそうに。
「……行きますか」
「行こう」
命はゆっくり起き上がって、髪を整える。
整えながら、俺の方を一度だけ見て、ほのかに笑った。
命はゆっくり起き上がって、髪を整える。
整えながら、俺の方を一度だけ見て、ほのかに笑った。
今日だ。
屋敷の空気が、いつもより静かに感じる。
音が減ったんじゃない。整いが増えている。
命は立ち上がる前に、一度だけ息を吐いた。
声は崩れない。けど、その息にだけ緊張が混ざる。
「……ハヤトさん」
「先に……身支度を整えても、よろしいですか」
「うん」
俺は短く答える。
「待つ」
命は頷く。
それから、枕元に置いてあった小さな袋を手に取った。
家紋入りの白い絹袋。
それを胸の高さで、そっと押さえる。
”契り”か
命は袋を丁寧に抱えたまま、更衣室の方へ向かった。
扉の前で一度だけ立ち止まり、振り返る。
「……緊張しても、怖くはありません」
「うん」
俺はそれだけ返す。
それ以上の言葉は、いまは要らない。
命が中に入る。
扉が閉まる。
静けさが一段深くなる。
俺が先に整える。
俺はベッドを抜けて、用意されていたスーツに手を伸ばす。
ネイビー。無地。
白シャツ。無地の濃紺のネクタイ。
袖を通す。
鏡の中の自分が、少しだけ整う。
コン、と控えめなノック。
「お目覚めでいらっしゃいますか」
執事の声。
「朝食は軽めにご用意しております。お支度の後、控室へお通しします」
「分かりました」
丁寧に返すと、気配が引いた。
軽めの朝食。控室。全部、整ってる。
更衣室の扉が静かに開いた。
命が出てくる。
落ち着いた色のワンピース。線がきれいで、主張は強くない。
いつもの命より少しだけ“外向け”に整っている。
でも、表情は硬すぎない。
昨日の柔らかさが残っている。
命は俺を見る。
耳が、ほんの少し赤い。
「……どうでしょう」
「いい」
俺は即答する。
「命っぽい」
命が小さく息を吐いて、口元がわずかにほどけた。
「……ありがとうございます」
命は手の中の白い絹袋を見下ろす。
袋の口を開けて、慎重に中身を取り出した。
対になったペンダント。
重ねると一つになる――“契り”。
命は首元にかける前に、一拍だけ止まった。
覚悟を整えるみたいに。
「……ハヤトさん」
「一緒に、着けてもらえますか」
「うん」
俺は近づいて、命の髪が邪魔にならないように指先で避ける。
触れ方は優しいけど、迷わない。
命の首筋に、ほんの少し力が入る。
留め具を留める。
“契り”が命の胸元に落ち着く。
命は指先で一度だけ触れて、すぐ離した。
確かめるのは一瞬。軽く扱わない。
「……ありがとうございます」
今度の礼は、はっきり理由がある。
「俺も」
俺が言うと、命は小さく頷いた。
それから、自分の手の中に残ったもう片方を差し出す。
「……ハヤトさん」
「うん」
俺は受け取って、首にかける。
重みが落ち着く。
これが“身内側”の重さか。
命が俺を見る。
読みにくい表情のまま、でも目だけははっきり柔らかい。
「……行きましょう」
命は一歩近づいて、迷ってから俺の腕に手を添える。
指先だけ。
それから息を吐いて、腕を組んだ。
「……腕、今は」
小さな声。
「……必要です」
「分かった」
俺は短く答える。
堂々と、背筋を伸ばす。
来てくれてありがとう。俺はそれを言う。
扉を開ける前に、命が俺を見上げた。
ほのかに笑う。
「……ハヤトさん」
「今日、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
俺は短く言って、続けた。
「一緒に行く」
命が小さく頷く。
笑いを隠さない。
「……はい」
扉の外に、屋敷の静けさが待っていた。
でも、腕を組んだ温度がある。
それだけで、もう大丈夫だと思えた。