扉の向こうの“席”へ。
俺たちは、揃って進んだ。
襖が開く。
畳の部屋。広い。けど、広さで圧をかけない。
座る場所が最初から決まっている。
視線の流れまで、整っている。
(……御堂家の仕事は、“場”だ。)
先に澄乃さんが入る。
次に綾乃さん。由紀子姉さん。陽菜乃。千鶴。
命が一歩だけ遅れて入って、俺はその隣に続いた。
最後に母さんが入ってくる。
全員が座って、部屋が静かになる。
静かになった瞬間、重さが出た。
綾乃さんが、きちんと頭を下げる。
「本日はお時間をいただき、ありがとうございます。御堂家の綾乃です。こちらは、祖母の澄乃」
澄乃さんが、大人なお姉さんみたいに微笑む。
「沙織さん。ようこそ、この席は、“形”を整える席です」
母さんが頷く。
「はい、沙織です。本日はありがとうございます」
俺は背筋を伸ばして、丁寧に言った。
「……隼人です。本日は、よろしくお願いいたします」
綾乃さんが、一枚の白い封を卓に置いた。
家紋入り。
中身は見せない。置くだけで十分な紙だ。
「家としての確認です。法的な手続きの話ではありません。ここは、家の中の“婚約”の席、互いの負担は最小にします」
母さんの目が、一度だけ封に落ちる。
それから俺を見る。母親の確認の目。
「……隼人、大丈夫ね」
「はい」
俺は短く答える。
「大丈夫です」
命が小さく息を吸って、俺を見る。
読みにくい表情。
でも、目はまっすぐ。
(命の番だ。)
命が畳に手をついて、丁寧に頭を下げた。
「……御堂 命です」
「本日は、お越しいただきありがとうございます」
声は静か。
言葉は少ない。
でも、逃げない。
命は顔を上げて、母さんを見た。
「……沙織さん、私は、隼人さんと一緒にいたいです」
部屋が、さらに静かになる。
陽菜乃が微動だにしない。
千鶴が息を止めてる。
由紀子姉さんは目を細めもしない。
澄乃さんだけが、少しだけ笑った。
命は続ける。
丁寧で、まっすぐで、短い。
「……私は、まだ上手に言葉が出ません、でも隼人さんの隣を私の居場所にしたいです」
胸の奥が熱くなる。
俺は口を開きかけて、飲み込む。
ここは命の言葉を、最後まで受け取る。
命が一拍置いて、袋を取り出した。
家紋入りの白い絹袋。
軽く扱わない手つき。
“契り”。
命は袋を卓の上に置いてから、俺を見る。
「……隼人さん、“契り”を改めて、受け取ってください」
俺は丁寧に頷いた。
「……はい」
命が袋の口を開ける。
中から、対になったペンダントが現れる。
重ねると一つになる形。
命はそれを、俺の前に差し出した。
手は震えていない。
でも、指先だけが少し強い。
「……これは、私の、覚悟です」
俺は受け取って、掌の中の重さを確かめた。
軽くない。
でも、怖くはない。
俺は母さんを見る。
母さんは頷く。言葉は要らないって顔。
俺は命を見る。
丁寧に言った。
「……受け取ります、大事にします」
命の肩が、ほんの少しだけ緩んだ。
「……はい」
澄乃さんが、柔らかく言った。
「いい子ねそれで十分」
綾乃さんが続ける。
「この席で確認したいのは二つです、ひとつ、命の意思は今の通り」
命が小さく頷く。
「……はい」
「ふたつ」
綾乃さんが俺を見る。
「隼人さん、あなたの意思です」
部屋の視線が俺に集まる。
俺は一拍置いて、背筋を伸ばした。
初対面の人もいる。だから丁寧に。
「……俺は、命と、一緒にいます」
「命の隣に、います」
言い切った瞬間、千鶴が反射で頷きすぎた。
「うん!」と言いそうな勢いで、喉が鳴る。
陽菜乃が、何も言わずに千鶴の肘に指先を添えて止めた。
止め方が静かで、場を崩さない。
「声、出すな。ここは“席”の中だ」
由紀子姉さんが淡々と言う。
千鶴ははっとして、口を押さえる。
そして、深く頷き直すだけにした。
母さんが、静かに笑った。
「うん、ちゃんとしてる」
命が俺を見て、小さく笑う。
隠さない笑い。
それだけで、胸が楽になる。
綾乃さんがまとめる。
「では、この席はここで整いました。外向けのことは、必要になるまで動きません、内側は、ここで終わりです」
澄乃さんが楽しそうに言った。
「……さて、まずはお茶にしましょう。甘いものを入れたら、肩の力が抜けるわ」
綾乃さんがすぐに頷く。
「そうしましょう。席は終わりました。ここからは、落ち着く時間です」
執事が一礼して、音もなく下がった。
少しして、部屋に盆が運ばれてくる。
湯気の立つ急須と、漆の皿。
和菓子は季節もの――上品で、色が静かに華やかだ。
母さんが湯呑みに手を伸ばして、小さく息を吐く。
「緊張すると、喉が乾きますね」
千鶴が反射で頷いて、口を開きかける。
陽菜乃が何も言わず、指先で軽く止めた。
千鶴は一拍置いて、丁寧に言い直す。
「……私も、です」
由紀子姉さんが淡々と茶を啜って言った。
「いい顔してる、命」
命が一拍止まってから、小さく頷く。
「……はい……少し、落ち着きました」
俺は命の横で、湯呑みを持った。
手は震えてない。
でも、胸の奥だけ熱いままだ。
澄乃さんが和菓子を見て、楽しそうに言う。
「千鶴、あなた好きでしょう、これ、当たりよ」
「好きです」
千鶴が素直に言って、すぐに両手で受け取った。
受け取ってから、はっとして陽菜乃を見る。
「……いただきます」
「ええ」
陽菜乃が頷く。
「美味しい時間にしましょう」
母さんが小さく笑った。
「いい家ですね」
「こういうの、落ち着くわ」
(母さんが笑うと、俺も楽になる。)
綾乃さんが携帯を取り出して、さらっと言う。
「写真、一枚、撮っておきましょうか」
「“今日の記録”です」
千鶴が目を輝かせる。
声は上げない。けど表情が正直だ。
「……撮りたいです」
由紀子姉さんが淡々と補足する。
「騒ぐなよ、撮るなら、早く並べ」
「はい」
陽菜乃が丁寧に返す。
「では、整えましょう」
澄乃さんが楽しそうに手を叩いた。
「ほら。こういうのは、私が仕切るの。沙織さんこちら、命は隼人の隣よ。もちろん」
命が一瞬だけ固まって、耳が少し赤くなる。
でも、逃げない。
「……はい」
俺も背筋を伸ばして、丁寧に言う。
「……お願いします」
並ぶ。
命が俺の袖をつまんで――迷ってから、腕を組んだ。
綾乃さんが画角を見て、静かに言った。
「いきます……笑顔は、無理に作らなくていいです、いつものままで」
千鶴が小声で言う。
「……命姉、笑って」
言ってから、陽菜乃を見て慌てて言い直す。
「……命さん。すみません」
命が一拍置いて、でも怒らない。
むしろ、口元が柔らかい。
「……千鶴姉さん、大丈夫です」
千鶴がほっとして、つられて笑う。
その笑いが伝染して、母さんも少しだけ笑った。
由紀子姉さんがぼそっと言う。
「今の、撮れ」
綾乃さんが即答する。
「撮ります」
シャッター音が小さく鳴った。
その瞬間、命が――ほんの少しだけ笑った。
隠さない笑い。
俺はそれを見て、胸の奥が静かに満たされる。
……大丈夫だ。
澄乃さんが満足そうに頷いた。
「いいわ、今日の顔残った」