二学期に入り。放課後の教室は、夏休みの名残と二学期の空気が混ざって、ざわざわと落ち着かなかった。
黒板の隅に、担任が大きく書いた文字が残っている。
『文化祭 クラス出し物 決める』
前の席から順に案が出ていく。
「お化け屋敷!」
「クレープ屋!」
「演劇!」
「焼きそば!」
どれも一度は盛り上がる。でも、決め手に欠ける。声が散って、まとまらない。
そのとき、誰かが言った。
「執事喫茶、よくない?」
一瞬で空気が変わった。
ざわつきが、同じ方向に集まる。
「それ!」
「絶対行列できる!」
「写真映えする!」
わっと上がる声に、担任が苦笑いでチョークを置く。
「……はいはい、落ち着け。まずは多数決でも——」
「執事喫茶でしょ!」
「メイドも入れよう!」
「衣装、楽しそう!」
もう、止まらない。圧倒的人気だった。多数決を取る前から結果が見えている。
俺は斜め前のレンを見た。
「……どうする」
呼び捨ての声は短い。
レンは、少しだけ考える素振りをした。大げさには悩まない。目立つのは好きじゃないけど、否定するほど嫌でもない。
「……面白そうだし、いっか」
いつもの小さい声で言って、机の上のプリントを指で整える。
「俺も同じ」
俺も短く言った。
その二人の温度が、逆に周りを安心させたみたいに、クラスの熱が一気に“決定”へ流れる。
「決まりー! 執事&メイド喫茶!」
『執事&メイド喫茶 役割分担』
黒板にそれが書かれた瞬間、教室の空気が一段熱くなった。
「衣装どうする!?」
「店名! 店名先に決めよ!」
「絶対行列できる!」
視線が俺の方へ流れてくるのが分かる。慣れてる。男子が少ない世界じゃ、こうなる。
「ハヤト様、執事って似合いすぎない」
誰かが笑って言って、周りが一斉にうなずく。
でも、すぐ別の声が入った。
「いや、でも“確定”は違うよね」
「無理させるの、やめよ」
空気が少し整う。そこで、クラス委員が立ち上がった。
「ハヤト様。……お願いがあるんです」
静かになった。ちゃんと頼む形だ。強制じゃない。
「執事喫茶をやるなら、象徴が必要で……。でも負担をかけたいわけじゃなくて。
可能なら、短い時間だけでも、執事役に出てくれませんか」
俺は一拍置いた。考える間というより、決める間。
「いい。ただし条件」
すぐに続ける。
「常駐しない。シフト制。動画撮影可。行列は整理券」
担任が頷く。
「よし、それでいこう」
「ありがとうございます、ハヤト様」
周りからも声が飛ぶ。
「助かる!」
「ありがとう、ハヤト様!」
俺は頷くだけにした。余計なことを言うと、熱が変な方向へ行く。
横でレンが黒板を見て、小さく言った。
「……シフト、ちゃんと組めば回る」
担任が「じゃあ具体案」と言う前に、委員がレンの方を向いた。
「レン様も、よかったら運営側に入ってほしいです。裏方の動線、見てもらえたら心強い」
レンが一瞬だけ俺を見る。
「……どうする、ハヤト」
「好きにしろ、レン」
レンは小さく頷いた。
「……面白そうなら、何でもいい。手伝う」
教室が少し笑う。
「レン様、頼もしい!」
レンは照れたみたいに視線を逸らした。……と思ったら、誰かが「店名どうする!?」って騒いだ瞬間。
「それ、いい! 店名、先に決めよう!」
レンの声が跳ねた。本人も言ったあとで気づいて、咳払いする。
「……いや。うん。先に決めた方が早い」
その一発で、クラスの空気が前へ進んだ。
文化祭楽しみだな。
放課後の屋上の約束より前に、恵に呼び止められた。
「ハヤトさん。少し、よろしいですか」
廊下はまだ人が多い。文化祭の出し物が決まった直後で、どのクラスも浮き足立ってる。俺に向く視線も増える。だからこそ、恵は人の流れから一歩外れた場所――空き教室の前で止まった。
扉を少しだけ開けて、中へ促す。
「こちらへ。長くは取りませんわ」
入った瞬間、外のざわめきが薄くなる。窓から入る風がカーテンを揺らして、教室の中だけ時間が遅い。
恵は背筋を伸ばしたまま俺を見る。いつもの余裕の笑みはあるけど、目が笑ってない。
「単刀直入に伺いますわ」
「どうした」
「命さんが、ハヤトさんに完全に惚れているのは分かりますの」
言い方が軽いのに、刺さる。恵はそういう言葉を、わざと選ぶ。
まぁ命は前に比べて分かりやすくなったからな。
俺は黙って待った。恵は一拍置いて、次を投げる。
「……もう、命さんと“褥を共にした”のでしょう?」
俺は逃げずに言う。
「した」
恵の眉がわずかに動いた。
「本当ですの?」
「本当」
それ以上、説明はしない。してもいいけど、する必要がない。
恵が息を吐いて、今度は少しだけ声を落とした。
「……では、なぜそんなに落ち着いていられるのかしら。普通は、少しは動揺しますわ」
「動揺する話じゃない」
俺は言葉を選ぶ。
「そういうことは、命の口から出るまで外に出さない。俺の話でもない」
恵は目を細めた。怒った、というより納得しかけてる顔だ。
「命さんを守るため、ですの?」
「それもある。あと——」
俺は一拍置いて続ける。
「命を軽く扱わないため」
恵は唇の端だけで笑った。
「ふふ。ずるいですわね、ハヤトさん」
「そうかな?」
「そうですわ」
恵の声が、少しだけ尖る。
「命さんのこと。……わたくしは邪魔をするつもりはありません。けれど、曖昧に扱われるのも困りますの」
俺は頷く。
「曖昧にはしない」
「いつ?」
「今じゃない」
恵が瞬きをする。即答だからだ。俺は続ける。
「文化祭が先。外が騒ぐ時期に、内側を乱したくない。命も——揺れる」
恵は一度だけ目を伏せた。そこは同意なんだろう。
「……そう。そこまで見えているなら、安心ですわ」
安心、という言葉のわりに、恵の声は少しだけ寂しそうだった。ほんの一瞬。すぐに、お嬢様の笑みに戻る。
「では最後に。先ほどの質問は——失礼でしたわね」
「謝る必要はない」
俺はそう言って、扉の方へ視線を向けた。
「でも次からは、言い方を選べ。命が聞いたら傷つく」
恵の目が細くなる。負けた、というより、刺さった顔だ。
「……承知しましたわ。命さんには聞かせません。わたくしの胸に留めます」
「頼む」
恵が一歩横へ退いて、道を空けた。