文化祭当日。
校門の前から、もう人の流れが違う。制服じゃない来場者が混じって、空気が甘い匂いと紙の音でざわついてる。
俺は教室の扉を開けた。
中はもう戦場だった。机が寄せられて、簡易の待機列が作られて、黒板には大きくこう書いてある。
『執事&メイド喫茶』
『撮影OK』
『整理券制/時間枠あり』
『拡散歓迎(ルールも一緒に)』
担任が腕を組んで、俺を見る。
「……よし、ハヤト様。条件通りにやるぞ」
「分かってる」
俺は短く返して、エプロンの紐を結ぶ。
視線が集まるのは、もう前提だ。だからこそ、形を崩さない。
レンは裏で手袋をはめてた。普段通り静かで、でも動きが早い。
「レン、準備は」
「……僕は大丈夫。回せる」
その一言で安心する。レンは派手じゃないけど、店が崩れる前に支える。
そして、命は——教室の隅。メニュー札と案内板の位置を、指先で微調整していた。表情は読みにくい。けど、こっちを見てる時間が、少し長い。
「ハヤトさん」
命の声は丁寧で、落ち着いてる。
「……時間、決めた通りに」
「分かった」
それだけで通じる。俺が出る時間、俺が引く時間。命が作った“守れる形”。
開店の合図が鳴った。
次の瞬間、廊下がざわっと揺れた。
「え、ここ!?」
「執事喫茶、動画、写真OKってマジ?」
「整理券ある、助かる!」
扉の外に、もう列ができてる。昨日投稿した写真の反響が、そのまま現実になってた。
クラスの女子が、声を張る。
「いらっしゃいませ! 整理券の方はこちらです!」
俺は裏から状況を見て、短く言った。
「落ち着け。回すぞ」
レンが小さく頷く。
「……うん」
最初の枠が入ってくる。カーテンの向こう、客席は“お嬢様席”みたいに作ってある。机の上には小さなカード。
『撮影OK/ハッシュタグはこちら』
『※他のお客様の映り込みは配慮してください』
恵が作った文章だ。品があるのに、抜けがない。
メイド役のクラスメイトが、俺の袖を引いた。
「ハヤト様、お願いします!」
「いま行く」
俺は前に出た。
——瞬間。
「きゃっ……!」
「本物じゃん……!」
「やばい、近い!」
黄色い声が、教室の天井に当たって跳ねた。
俺は表情を動かさず、でも視線は外さない。短く、型通りに言う。
「お嬢様。ようこそ。こちらへ」
それだけでまた声が上がる。面倒くさい。でも、崩さない。
席へ案内する途中で、スマホが向けられる。
「撮っていいですか!?」
「いいよ」
短く言うと、逆に盛り上がる。
「かっこいい……!」
……そういう世界だ。
俺は必要なことだけする。椅子を引く。メニューを置く。水を置く。距離は詰めない。言葉は短い。
甘い言葉? 求められるのは分かってる。
だから、逃げない範囲でやる。
「本日のご機嫌は、いかがですか」
俺がそう言った瞬間、また「きゃー!」が起きた。
背後で、レンが出てきた。
レンは基本静かだ。歩き方も音がしない。だから、余計に効く。
「……お嬢様。お待たせしました」
レンが言っただけで、別方向の悲鳴が上がる。
「レン様、声、反則……!」
「やさしい……!」
レンは一瞬だけ目を逸らして、すぐ戻す。そのまま小さく続ける。
「……笑顔、もらえると嬉しいです」
——破裂したみたいに黄色い声が増えた。
「え、言った!!」
「今の撮った!!」
俺は横で、短く言う。
「レン、効きすぎ」
「……僕も、びっくりしてる」
レンの声が小さいままだから、余計に“刺さって”いく。
店は回る。けど、反響が想像以上だった。
整理券の枠が次々埋まって、廊下の掲示板に「本日分、残りわずか」が貼られる。
その文字を見た瞬間、外でまた声が上がった。
「え、もう少ないの!?」
「次の枠取ろ!」
——これが“拡散の力”ってやつだ。
昼前、ひと段落したところで、扉が少しだけ開いた。
恵と日和が顔を出す。
「ハヤト様。状況、すごいですわね」
「たこ焼きも列できてる! でもこっち、悲鳴が多すぎ!」
日和が笑って、俺を見た。
「ハヤトさん、ちゃんとやってる?」
「やってる」
恵がスマホを構えた。
「追加で短い動画を上げますわ。整理券の注意と、列の動かし方も」
「頼む」
「当然ですわ」
恵は上品に微笑む。こういう時の恵は強い。
日和はレンの方を見て、呼び捨てで言った。
「レン、顔死んでない?」
「……僕は平気」
そう言いながらレンは、次のテーブルに向けて一言落とす。
「……お嬢様、寒くないですか。ひざ掛け、どうぞ」
また悲鳴。
「やっさし……!」
日和が肩を震わせて笑った。
「ほら、平気じゃん!」
「……仕事だから」
レンは淡々と言う。でも、目だけが少し楽しそうだ。
午後。
ピークが来た。
俺とレンはシフトで交代しながら、表に出る。出て、回して、引く。
出るたびに撮られる。出るたびに声が上がる。
ただ、ここからは“甘い言葉”のリクエストが増えた。
席に座ったお嬢様たちが、スマホを構えて言う。
「一言ください! 執事っぽいやつ!」
「甘いやつ! お願いします!」
俺は一拍置いて、短く返す。
「一言だけ」
「きゃー!」
「お嬢様、今日は来てくださりありがとうございます」
それだけで十分だった。黄色い声が波みたいに押し寄せる。
次にレンが出る。レンは静かに見えて、こういう瞬間はちゃんとやる。
「……お嬢様。僕が、そばにいます」
——悲鳴が教室を揺らした。
「え、無理!!」
「心臓止まる!!」
レンは言ったあとで、ちょっとだけ照れて視線を外す。そこがまた刺さる。
俺は横から短く突っ込む。
「レン、言い切ったな」
「……求められたから」
「やるようになったな」
「ハヤトのお陰かな」
レンはそのまま、次のテーブルへ。
——ここで、レンのテンションが一瞬だけ上がった。
「お嬢様、今日の笑顔、最高です!」
声が大きい。
教室が一瞬静まって、次の瞬間、爆発みたいに悲鳴が増えた。
「声でかいのやばい!!」
「今の、保存した!!」
レンは、言ったあとに気づいて咳払いした。
「……いや。うん。つい」
その“つい”が、さらに燃料になる。
俺は内心でため息をついて、表情は動かさないまま、回す。
——そして、視線の端に命が見えた。
命はホールに出ない。出なくても存在がある。案内板を直して、皿の位置を整えて、騒がしさの中でも空気を落ち着かせる。
俺が引く時間になって、裏に戻る。
命は一歩近づいて、小さく言った。
「……お疲れさまです、ハヤトさん」
「平気」
短く返す。
命は、ほんの少しだけ息を吐く間を長くした。
「……すごい反響です」
「想定内。拡散したから」
命は頷く。
「はい。……でも、線は守れてます」
「守る」
俺が言うと、命の指先から力が抜けた。言葉じゃないところで分かる。
閉店。
片付けが終わって、床のテープを剥がして、机を戻す。教室の匂いが“学校”に戻っていく。
最後に、クラス委員が深く頭を下げた。
「ハヤト様、レン様、本当にありがとうございました!」
レンは小さく返す。
「……僕も、楽しかった」
言ってから、少しだけ照れる。
俺は短く。
「お疲れ」
教室を出る直前、命が俺の隣に並んだ。
そして、迷いみたいな一瞬のあと——腕を組んでくる。
当たり前になりつつある形。
「……帰りましょう」
「行こう」
廊下の向こうから、まだ文化祭のざわめきが聞こえる。
でも俺の中は、静かだった。
派手に盛り上がっても、崩れなかった。
それが一番、嬉しい。