シフトが終わった。
手袋を外して、袖口を整える。ジャケットの前を軽く払って、襟元を指で直した。せっかくなので着替えはしないでおく、宣伝にもなりそうだし。
「ハヤト様、ありがとうございました!」
クラス委員が頭を下げる。
「お疲れ」
短く返して、教室を出た。
廊下に出ると、文化祭の音が一気に戻ってくる。呼び込みの声、笑い声、BGM。揚げ物の匂いが混じって、腹が少し鳴った。
隣に、命が来る。
「……お疲れさまです、ハヤトさん」
「命もな」
命は半歩後ろに下がらない。腕は組んでないのに、ぴったり横にくっつく距離で歩く。肩が触れそうなほど近い。
視線が痛いくらい寄ってくる。スマホのレンズも向く。
「執事いる!」
「写真いいですか!?」
「いいよ」
俺は短く返す。
「撮るなら、邪魔すんな」
「は、はい!」
それだけで道が空く。変な世界だ。
命が小さく言った。
「……宣伝、になっていますね」
「狙い通り」
俺が言うと、命の息が少しだけ長くなる。安心したときの間だ。
「少し回るか」
「……はい。ご一緒します」
校舎の外に出ると、空気が少し楽だった。人は多いけど、壁がないぶん逃げ道がある。
そのまま、ソースの匂いに引かれて歩く。鉄板の音。甘い匂い。聞き覚えのある声が、遠くから突き抜けてくる。
「いらっしゃいませー! たこ焼き! あつあつ! 外カリ中トロ!」
日和の声だ。
屋台の前はちゃんと列ができてた。並ぶ場所も分かりやすい。掲示も丁寧。恵の仕事だ。
恵がこっちに気づいて、上品に手を振る。
「ハヤトさん、命さん。いらっしゃいませですわ」
日和がぱっと振り返って笑う。
「ハヤトさん! 命さん! 来た来た! 執事のまま来るの強すぎ!」
「宣伝かねてる」
俺が言うと、日和が嬉しそうに頷く。
「最高! 写真撮っていい!?」
「大丈夫」
命が一拍置いて、小さく補足する。
「……通り道の邪魔にならないように」
「命さん、さすが!」
日和が笑う。
鉄板の横に、レンがいた。レンも執事服のまま。袖を少しまくって、手際よく丸を返してる。
……自由時間のはずなのに。
「レン、何してる」
俺が言うと、レンは一瞬だけ目を上げて、淡々と返した。
「……僕、暇だった。手伝いに来た」
「優しい! レン最高!」
「テンション高いな」
その短いやり取りを、命が静かに見てる。表情は変わらないけど、目の奥が少し柔らかい。
恵がすっと間に入った。
「お二人とも、何味になさいます? ソース、ねぎ塩、明太マヨ。あと——日和の“文化祭限定”がございますわ」
レンが一回だけ、声が大きくなる。
「それ、いい!」
言ったあとで、レンはすぐ静かになって、鉄板へ視線を戻す。
「……いや。うん。面白い」
命が小さく聞いた。
「……限定、とは」
「見た目は普通! でも中身がちょっと違うのが混ざってる!」
「激辛はやめろ」
俺が即座に止める。
「分かった! 激辛は無し!」
日和が素直に引っ込めた。
俺はソースを指す。
「俺はこれ」
命は一拍置いて頷く。
「……ねぎ塩で」
レンが頷いて、箱を差し出した。
「……どうぞ。熱いから、気をつけて」
「ありがと、レン」
命にも同じように渡す。
「……命さんも。火傷しないで」
「……ありがとうございます、レンさん」
ベンチに移動して食べる。命は俺の隣に座る。腕は組んでない。でも、肩が触れそうな距離のまま離れない。
命が一口食べて、息をふっと吐いてから、短く言った。
「……おいしいです」
「良かった」
俺が返すと、命は小さく頷いた。
「……はい」
文化祭の喧騒の中で、俺の隣だけが少し静かになった。
たこ焼きを食べ終えて、紙皿を捨てる。指先に残ったソースの匂いが、文化祭らしくて嫌じゃない。
命は俺の隣から離れない。腕は組んでないのに、肩が触れそうな距離を保ったまま歩く。人の視線が来ても、引かない。
「次、どこ行く」
俺が言うと、命は一拍置いて答えた。
「……劇が、あるそうです」
「劇?」
「はい。ダンスも、同じ教室で……時間が決まっているようです」
命がそう言うなら、見たいんだろう。あの言い方は、迷ってるふりをした決定だ。
「行こう」
「……はい」
校舎の奥の方へ向かう。廊下の掲示に、手書きのタイムテーブルが貼ってあった。
『演劇(十五分) → ダンス(十分) → 休憩(五分)』
『以後、繰り返し』
俺はそれを見て、命に言う。
「次、間に合う」
「……助かります」
教室の前には、すでに人が集まっていた。ざわざわしてる。スマホも多い。俺の執事服が目に入ると、視線が一度だけ強くなる。
「執事いる」
「写真いいですか?」
「今は無理、またあとでね」
俺が短く言うと、道が空いた。命はその横を、当たり前みたいに付いてくる。離れない。
教室の中は暗い。カーテンが閉められて、簡易の舞台が作られている。椅子は足りなくて、後ろは立ち見。
命が小さく言った。
「……ここ、立っていても大丈夫です」
「座れるとこ探す」
俺がそう言って視線を巡らせると、壁際に二席だけ空いていた。俺はそこへ歩き、短く声をかける。
「すみません。ここ座っていい?」
相手が俺を見る。執事服。男。少し戸惑ってから、慌てて頷く。
「ど、どうぞ! ハヤト様!」
「ありがと」
俺と命は並んで座った。命は距離を詰める。肩が触れそうで、触れない。けど、離れない。
照明が落ちて、劇が始まる。
内容はシンプルだった。学園ものの短い恋愛劇。役者の女子たちは練習してきたんだろう、台詞がよく通る。笑いどころもちゃんとある。
俺は見てるだけ。命は、表情は変えない。でも、面白い場面で息をふっと吐く。声にはしない。けど、それで分かる。
クライマックスで、役者が言う。
「……私は、逃げない。あなたの隣にいるって決めたから!」
客席が「おお〜」って沸く。
命の指先が、膝の上でほんの少しだけ動いた。握って、ほどく。ああいう台詞は、命に刺さる。
俺は横目で命を見る。
「どう?」
命は一拍置いて、短く答えた。
「……良いです」
言い切らないくせに、今は言い切った。小さいのに重い。
劇が終わると、拍手が起きる。役者が一礼して、舞台裏へ下がった。
すぐに照明が変わって、次の準備が始まる。机が下げられて、スピーカーの位置が動く。前に空間ができた。
ダンス。
BGMが鳴った瞬間、客席の空気が変わる。さっきより明るい。スマホが一斉に上がる。
命が小さく言った。
「……撮影、すごいですね」
「文化祭だ」
短く返す。
曲が始まる。女子たちが揃って動く。タイミングが合ってて、足さばきが軽い。歓声が上がる。黄色い声も混じる。
「かわいい!」
「やば、キレある!」
俺は黙って見てる。命は、視線を外さない。興味があるときの命はそうだ。
曲の途中、センターの子がターンを決めた瞬間、命の息が一つだけ浅くなる。驚いた反応だ。声は出さないけど、ちゃんと感動してる。
終盤、決めポーズ。拍手と歓声が重なる。
命が、ほんの少しだけ俺に寄った。肩が触れた。
「……綺麗です」
その言葉は、ダンスに向けたものなのに、妙に俺の胸に残った。
「そうだな」
俺は短く返した。
照明が戻って、観客が立ち上がり始める。次の回に向けて人が動く。俺も立つ。
「次、どうする」
俺が言うと、命は一拍置いて——今日は、いつもより短い。
「……もう少し、回りたいです」
「分かった、お腹すいてる?」
「はい」
「カレー食べてかない?」
「はい」
俺は歩き出す。命はぴったり隣に来る。
命とそのあとも文化祭を楽しんだ。