文化祭が終わった。
あれだけ騒がしかった校舎が、夕方になると急に静かになる。BGMが消えて、呼び込みの声が消えて、残るのは足音とガムテープを剥がす音だけだ。
俺は教室に戻った。まだ執事服のまま。着替える気にならない。今は片付けの方が先だ。
「ハヤト様、お疲れさまでした!」
クラス委員が深く頭を下げる。
「お疲れ」
短く返して、机の上を片付け始めた。紙コップ、メニュー札、整理券の残り。全部、元の教室に戻すためのゴミと道具だ。
レンが段ボールを抱えて運んできた。
「……僕、裏、まとめる」
「頼む」
レンは黙って頷いて、手際よく角を揃えて詰めていく。こういうときのレンは強い。余計な言葉がない分、作業が早い。
命は黒板の前に立って、掲示物を一枚ずつ剥がしていた。テープが残らないように、角から丁寧に。指先の力だけで、きれいに剥がしていく。
「命、無理すんな」
「……無理は、していません」
いつもの返事。だけど今日は、その「……」が短い。疲れてるのを認めたくないだけだ。
俺は黙って、命が剥がしやすいように次の紙の角を少し浮かせた。
命が一拍置いて、小さく言う。
「……ありがとうございます」
「そう」
それだけでいい。
教室の外から、担任の声が聞こえた。
「各クラス代表、体育館に集合! 売り上げ報告と表彰な!」
空気が一瞬だけ変わる。片付けの手は止まらない。でも、耳だけがそっちへ向く。
クラス委員が俺を見る。
「ハヤト様、行けますか?」
「俺が行く」
短く返すと、レンが小さく言った。
「……僕も、行く」
「来い」
命が一歩近づいて、丁寧に言う。
「……私も、ご一緒します」
体育館は、さっきまでの熱が薄く残ってた。クラスごとの代表が前に並び、先生たちが紙を持って話している。舞台の横に、でかいホワイトボード。
『売り上げランキング』
そこに、次々と数字が書かれていく。
最初は接戦だった。焼きそば、クレープ、ドリンク。どれも行列ができてたのを見た。
でも、途中から空気が変わった。
先生が一度、咳払いしてから言う。
「……えー、今年の一位は——」
紙を確認して、もう一度確認して、笑う。
「ぶっちぎりです。圧倒的です」
体育館がざわつく。
「一位、1年A組。執事&メイド喫茶」
瞬間、歓声。拍手。どよめき。
「え、マジ!?」
「強すぎ!」
「そりゃそうだろ!」
俺は顔を動かさない。予想してた。拡散もした。撮影OKもした。整理券も回した。全部、積み上げた結果だ。
レンが小さく息を吐いた。
「……やっぱり」
俺は短く返す。
「そうなる」
舞台に上がって、表彰状を受け取る。クラス委員が笑顔で頭を下げる横で、俺は必要な礼だけする。
戻る途中、先生が言った。
「ちなみに二位との差、かなりあります。……圧倒的一位です」
またどよめきが起きる。
体育館を出ると、廊下で待ってたクラスメイトが俺たちを見つけて叫んだ。
「ハヤト様! 一位です!」
「レン様も! やりました!」
レンが少しだけ困って、でも小さく頷く。
「……お疲れ」
俺は言う。
「片付け戻るぞ」
「はい!」
教室へ戻る。片付けの続き。机を戻して、床のテープ跡を拭いて、ゴミ袋を縛る。
命が黒板を最後に一度だけ見て、息を吐く。
「……終わりました」
「終わったな」
俺がそう言うと、命が俺の隣に来る。腕は組まない。でも、ぴったり。今日の文化祭みたいに、近いのが当たり前になってる。
命が小さく言った。
「……圧倒的、でした」
「お前が服買ったおかげだな」
俺は冗談じゃなく言う。命が整えた形が、客を呼んだ。
命は一拍置いて、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「……そう言っていただけると、救われます」
「事実」
短く返すと、命は「はい」とだけ頷いた。
教室の窓の外は、もう夕方だった。文化祭の熱が消えていく。その代わりに、残るものがある。
派手な一日だった。でも、内側は崩れなかった。
それが、一番でかい収穫だった。
教室の隅に積んだゴミ袋を見て、俺は短く言った。
「最後。運ぶぞ」
「……僕、持つ」
レンがすぐ動く。軽く見えるのに、持つと重い。紙コップと段ボールと、湿った布の匂いが混ざってる。
命は黒板消しでチョークの跡を落としていた。丁寧に、一度で終わらせる。そういうやり方。
廊下に出たところで、スマホが震えた。
恵から。
『圧倒的一位、おめでとうございますわ。こちらも片付けに入りました。余っているたこ焼き、少し持って行きます』
俺は短く返した。
『助かる。こっちも片付け中』
ゴミ捨て場まで往復して、戻る。教室に入った瞬間、クラスの空気がまた少しだけ明るくなった。
「ハヤト様! 表彰状、見せて!」
「あとで」
俺は紙を机の上に置くだけにした。騒ぎすぎると、片付けが終わらない。
レンが小さく言う。
「……早く終わらせた方が、楽しい時間増える」
「正しい」
俺が返すと、クラスが「確かに!」って一斉に動き出す。こういうとき、レンの一言は効く。
そのタイミングで、教室の扉が開いた。
「お邪魔しますわ」
恵が入ってくる。手には袋。後ろから日和も顔を出した。
「片付け終わってる!? 早っ!」
「まだ」
俺が言うと、日和が袋を掲げる。
「じゃーん。たこ焼き、余り! 差し入れ!」
恵が上品に頷く。
「一位のお祝い、ということで。——あ、命さん、こちらも」
「……ありがとうございます、恵さん」
命が小さく頭を下げる。恵は命に「さん」を付ける。そこは崩さない。
日和が俺を見てニヤッとする。
「ハヤトさん、文化祭の王様だったね。廊下、ずっと悲鳴だった」
「うるさかった」
「それが文化祭!」
日和は笑って、レンにだけ呼び捨てで言う。
「レン、手伝ってたの見たよ。執事のままたこ焼き焼くの、反則だった」
レンが小さく咳払いした。
「……僕は、暇だっただけ」
「嘘。楽しそうだった」
「……まあ」
その“まあ”が出た時点で、認めてる。
恵が俺を見る。
「投稿の反応も、すごいですわ。『整理券制で助かった』という声が多いですの。ハヤトさんの条件、正解でした」
「そう」
俺は短く返す。正解かどうかは、結果が出る。
命が、片付けの手を止めずに言った。
「……外が騒いでも、崩れませんでした」
俺は命を見る。
「命が整えたからだ」
命は一拍置いて、ほんの少しだけ息を長く吐いた。
「……はい」
その返事は軽い。今日の一日が、命の中でちゃんと“良い日”になってる。
クラス委員が手を叩いた。
「よーし! 片付け終わったら、差し入れ食べながら反省会! 表彰状も写真撮ろ!」
「撮りすぎるな」
俺が言うと、笑いが起きた。
「分かってるー!」
机が元に戻る。床が見える。ゴミ袋が消える。教室が“学校”に戻っていく。
最後に、担任が戸口から顔を出した。
「二年A、終わったか? ……よし。解散。気をつけて帰れ」
「ありがとうございました!」
クラスが一斉に頭を下げる。俺は礼を最低限で済ませた。
帰り支度をして、廊下に出る。
命が、当然みたいに隣に来る。腕は組まない。でも、ぴったり。
「……ハヤトさん」
「ん」
「今日は……楽しかったです」
命が「楽しかった」と言うのは、簡単じゃない。だから刺さる。
「俺も」
短く返すと、命は小さく頷いた。
「……はい」
後ろから日和の声が飛ぶ。
「ハヤトさん! 命さん! また写真見せてね!」
「恵さんもね!」
恵が上品に笑って手を振る。
「ええ。今日の記録は、きちんと残しておきますわ」
レンが小さく付け足す。
「……僕も、あとで見る」
そしてすぐ、いつもの静かさに戻る。
校門へ向かう道。夕方の光が長く伸びる。