※この作品はR-18です。

男女比1対100の彼女たちの世界で   作:ののじん

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126話 引っ越し1

 日曜日。

 

 朝から家の中が落ち着かない。昨日の動画の余韻じゃない。今日は、天城家そのものが動く日だ。

 

 チャイムが鳴った。

 

 ドアを開けると、引っ越し業者が数人。トラックが二台。段ボールと緩衝材が山みたいに積まれている。

 

「おはようございます。引っ越し作業、開始します」

「お願いします」

 

 短く返して、靴を揃えた。

 

 母さん——沙織が、奥から出てきて会釈する。

 

「おはようございます。手間かけるけど、よろしくお願いしますね」

「承知しました。大物から順に梱包していきます。貴重品だけはお手元で管理をお願いします」

「分かりました」

 

 母さんは俺を見て、小さく指を立てる。

 

「ハヤト、貴重品はね、絶対に箱に入れないのよ。あなたが持つの。分かった?」

「分かった」

 

 作業が始まると早い。棚の中身が出されて、包まれて、箱に入っていく。見慣れた部屋が“移動する形”に変わっていくのが、少し変な感じだった。

 

 途中でもう一度チャイム。

 

 黒いワゴンが止まっていて、御堂家の執事が玄関に立った。声も動きも静かだ。

 

「沙織様。本日はお手数をおかけいたします。天城家のお引っ越し先まで、こちらで誘導と確認を担当いたします」

「お願いしますね。ほんとに助かるわ」

 

 母さんの返事は丁寧だけど、少しだけ肩が落ちてる。引っ越しは気を張る。

 

 業者が大型家具を運び出す音が響く。床の養生シートが敷かれ、テープの音が鳴る。

 

 玄関の横で、母さんがふっと息を吐いた。

 

「早いわね。こういうのはね、始まると止まらないのよ」

「……母さん」

「何?」

 

 母さんは笑おうとして、ちゃんと笑えた。

 

「無理すんな」

「無理はしないわよ」

「でもね、ハヤト。これはあなた一人の話じゃないの」

「私も疲れたら休むし、あなたも疲れたら言いなさい。黙って抱えないのよ」

 

「分かった」

 

 母さんは俺の袖を軽くつまむ。

 

「それとね、ごはん。ちゃんと食べるの。引っ越しの日って、気づくと食べてないから」

「あなたも、私も。二人ともよ」

「分かった」

「よし」

 

 母さんが頷いた瞬間、少しだけ顔が整った。決めた顔だ。

 

 執事が確認の声をかける。

 

「沙織様、積み込みが終わり次第、先に出発いたします。新居側で受け取りの段取りを整えております」

「ええ。お願いします」

 

 母さんは一度だけ家の中を見回した。いつも通りの顔で、でも目だけが少しだけ長い。

 

「……行こうか、ハヤト」

「うん」

 

 トラックが先に出て、俺と母さんは御堂家の車に乗った。執事が運転席。車内は静かで、余計な音がない。

 

 母さんは窓の外を見てる。落ち着いてるふりじゃなくて、落ち着こうとしてる顔だ。

 

「……引っ越しってね、気持ちが追いつかないのよ」

「そう」

 

 俺が短く返すと、母さんは小さく笑った。

 

 車が門をくぐる。御堂家の敷地に入った瞬間、空気が変わる。外の音が一枚薄くなる感じがする。

 

 母さんが小さく息を吐いた。

 

「静か……」

「整ってる」

「うん。……落ち着く人、いるわよね。あなたみたいに」

 

 執事が後方へ一礼だけ見せて言った。

 

「沙織様、天城家の新居は、敷地内の別棟でございます。生活の導線が重ならぬように、最低限の距離を保ちつつ、必要なときはすぐに行き来できる位置に整えております」

 

 母さんが頷く。

 

「助かるわ。……ほんとに」

 

 車が砂利を踏む音。停車。ドアが開いて、母さんが降りた。

 

 目の前に、別棟の建物があった。派手じゃない。けど、手入れが行き届いてる。外壁も、玄関周りも、無駄がない。

 

「……ここが、うち?」

 

 母さんの声が少しだけ上がった。

 

「はい。天城家の住まいとして整えております」

 

 執事が鍵を開け、扉を押し開ける。

 

 中はもう住める形だった。必要最低限の家具が揃ってる。照明、カーテン、テーブル。空っぽじゃない。引っ越し直後に一番助かるやつだ。

 

 母さんが靴を脱いで、そっと床を踏む。

 

「……ちゃんとしてる」

 

 母さんはキッチンを見て、冷蔵庫を開ける。中に水が入ってるのを見て、もう一度息を吐いた。

 

「こういうの、助かるわ」

 

 外でエンジン音が止まった。トラックが着いた。

 

 作業員が次々と段ボールを運び込んでくる。ラベルが揃ってる。執事が指示を出す。

 

「こちらは居間。こちらは寝室。学用品は机の右側へ」

 

 その言い方が、まるで最初から決まってたみたいに迷いがない。

 俺は玄関の横で、箱を受け取りながら、必要なものだけを運ぶ。無駄な動きはしない。

 母さんも動く。声を荒げない。でも、やることはやる。

 

「この箱はね、先に開けるの。タオルと洗面道具。今日すぐ使うから」

「分かった」

 

 業者が大物を運び込む間、俺は箱を一つ開けて、最低限の生活を作る。布団、洗面、充電器。これが揃えば、夜は越えられる。

 

 母さんが腕を組み……かけて、やめた。代わりに腰に手を当てる。

 

「はぁ……引っ越しって疲れるわね」

「休めよ」

「休むわよ。ちゃんとね」

 

 母さんは俺を見て、念押しする。

 

「あなたも。黙って抱えない。さっき言ったでしょ」

「分かった」

 

 そのとき、玄関が控えめに鳴った。

 

 執事が扉を開けると、命が立っていた。

 

 制服じゃない。私服で、落ち着いた色。屋敷の空気に馴染む格好。表情はいつも通り読みにくいけど、目だけが少し柔らかい。

 

「……失礼します」

「命」

 

 俺が呼ぶと、命は一拍置いて頷く。

 

「……お引っ越し、お疲れさまです。沙織様も」

 

 母さんが驚いた顔をして、それから丁寧に微笑んだ。

 

「命さん。ありがとうね。……うちまでまとめてお世話になるの、申し訳ないわ」

「申し訳なくは……ありません」

 

 命は言い切らず、でも逃げない。

 

「こちらの都合でもありますので」

 

 母さんはその言い方に、少しだけ目を細めた。品のある子だって分かる顔。

 

「……そう。じゃあ、遠慮しないわね」

「はい」

 

 命は一歩、俺の方へ寄った。腕は組まない。でも距離が近い。忙しい玄関の中でも、そこだけ静かになる。

 

「……ハヤトさん」

「ん」

「落ち着きましたら……荷物の配置、少しだけ確認してもいいですか」

 

 命の“確認”は、整えるための言葉だ。

 

「頼む」

 

 命の息が少しだけほどける。

 

「……はい」

 

 母さんがそのやり取りを見て、ふっと笑った。

 

「あなたたち、ほんとに静かに近いわね」

 

 命が小さく言った。

 

「……邪魔には、なりません」

「うん。邪魔じゃない。……むしろ助かるわ」

 

 母さんはそう言って、箱のラベルを指さした。

 

「ハヤト、この『学用品』どこ置く?」

「机の右。すぐ出せるように」

 

 外の作業音が続く。けど、この別棟の中は少しずつ形になっていく。

 

 天城家は、ここで暮らす。

 

 それは、俺だけの引っ越しじゃない。

 

 “内側を整える”ための、家ごとの引っ越しだった。

 

 夕方には搬入が終わる。

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