※この作品はR-18です。

男女比1対100の彼女たちの世界で   作:ののじん

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127話 引っ越し2

 箱は積まれてる。家具は置かれた。生活の形はでき始めてる。あとは中身を戻していくだけ——のはずだった。

 

 命が、玄関の上がり框のところで立ち止まった。

 

 腕は組まない。でも距離は近い。いつもの、離れない近さ。

 

「……ハヤトさん」

「ん」

 

 命は一拍置いた。息を吸って、吐く。その間に覚悟が混じる。

 

「私も……ここに住みます」

 

 母さんが一瞬目を丸くして、それから、ふっと笑った。驚きじゃなくて、嬉しい方の顔。

 

「いいわね」

 

 さらっと言って、俺と命を見比べる。

 

「二人でちゃんと決めたなら、それでいいのよ」

「一緒にいる方が、安心できるでしょ」

 

 命が小さく頷く。

 

「……はい」

 

 俺も短く返す。

 

「そう」

 

 母さんはうんうんと頷いて、すぐ実務に切り替える。

 

「じゃあね、無理だけはしないのよ」

「住むって毎日のことだから。疲れたら言う。黙って抱えない。——二人ともね」

 

 命が丁寧に答える。

 

「承知しました」

 

 母さんが「二人ともね」と言ったあと、空気が少しだけ軽くなった。

 

 決めたことが、言葉になって、形になったからだ。

 

 執事が一礼して、淡々と確認に入る。

 

「承知いたしました。では、部屋割りを整えます」

「命様のお部屋は二階。ハヤト様のお部屋の隣を用意しております」

「沙織様は同階の反対側。生活音が重ならぬ距離にいたします」

 

 母さんが頷く。

 

「それでいいわ」

「承知いたしました」

 

 執事が間を置いて、確認するように言った。

 

「寝室の件ですが——二部屋用意しております。分ける形にも、同室にも対応可能です」

 

 母さんが一瞬だけ俺を見る。

 

「どうするの?」

 

 俺は命を見る。

 

 命は、少しだけ息を吸ってから言った。

 

「……同じ部屋で」

 

 声は小さい。でも迷いはない。

 母さんが目を瞬かせて、それからすぐ笑った。

 

「いいわね」

 

 あっさり。

 

「どうせ近くにいるなら、一緒の方が安心でしょ」

「……はい」

 

 命は短く頷いた。

 

 執事が続ける。

 

「ベッドはツインにもできますが」

 

 命が、今度は間を置かずに言う。

 

「同じで、大丈夫です」

 

 言い切りだった。

 俺は短く言う。

 

「俺もそれでいい」

 

 執事が一礼する。

 

「承知いたしました。では主寝室を整えます」

 

 母さんが小さく息を吐いて、どこか嬉しそうに言った。

 

「ほんと、決めるところは早いのね、二人とも」

 

 命は何も言わない。ただ、俺の袖のすぐそばに立った。

 触れない距離で。

 でも、離れない。

 

 命が俺を見る。いつも通り読みにくい顔。でも、目がまっすぐだ。

 

「……ハヤトさん」

「ん」

「今日から、です」

「そうだな」

 

 短く返すと、命の息がふっとほどけた。腕は組まない。でも距離は近い。忙しい玄関でも、そこだけ静かになる。

 

 母さんが小さく笑う。

 

「ほんと、静かに近いわね」

 

 俺は返さない。命も返さない。返さないのに、否定もしない。

 

 執事が声を落として言った。

 

「命様の私物は、本邸より最小限を移し、まず生活を回す形にいたします。必要なものがございましたら、仰ってくださいませ」

 

 命が頷く。

 

「……お願いします」

 

 俺は言う。

 

「俺も行く」

 

 執事が一礼する。

 

「かしこまりました。では、こちらへ」

 

 本邸の廊下は静かだった。別邸とは空気が少し違う。人の気配があるのに、音が少ない。

 

 命の部屋は整っている。棚の角、机の上、カーテンの折り目まで。命の“整ってる”は、家の空気と同じだ。

 

 命がクローゼットを開ける。

 

「……最初は、これだけで」

 

 手に取ったのは、制服一式、普段着の数枚、部屋着。小さなポーチに洗面道具。箱に入れる量は少ない。でも、それが“住む”の始まりに見える。

 

 母さんが後ろで言った。

 

「えらいわね。必要なものだけって、一番できないのよ」

 

 命は一拍置いて答える。

 

「必要なものが、分かっているだけです」

「それがえらいのよ」

 

 母さんはそう言って、箱をひとつ開けた。緩衝材を入れて、命の服を丁寧に畳む。

 

 命が少しだけ目を伏せる。

 

「……沙織様、私が」

 

「いいのよ。今日はね、家族の引っ越しなの」

「手伝わせて。私も落ち着くから」

 

 命は言葉を飲んで、頷いた。

 

「……はい」

 

 俺は黙って、スーツケースを持ち上げる。軽い。命の荷物は、最初から“重くしない”つもりだ。

 

 執事が低い声で言う。

 

「必要な書類類は、私が管理いたします。外に見せない形で運びます」

「頼む」

「かしこまりました」

 

 別邸へ戻る途中、命が俺の隣に寄った。腕は組まない。でも、歩幅が完全に揃う。肩が触れそうで、触れない。

 

 母さんが少し後ろからついてくる。視線は優しい。

 

 別邸に着くと、二階の廊下へ上がった。

 

 命の部屋は、もう用意されていた。鍵、カーテン、ベッド、机。新品の匂いを消すように、すでに空気が馴染ませてある。

 

 命が部屋の中に入って、ゆっくり息を吐く。

 

「……ここが、私の部屋」

 

 その言葉が、思ったより重い。

 

 母さんがうなずく。

 

「うん。ここからね、生活が始まるのよ」

 

 命が「はい」と返す。短い。でも、今までで一番はっきりしてる。

 

 俺は隣の扉を見る。俺の部屋。距離は近い。壁一枚。逃げ道がない。

 

 命が俺の視線に気づいて、小さく言った。

 

「……近いですね」

「近いな」

 

 短く返す。

 

 命は一拍置いて、それでも言い切った。

 

「……良い、です」

 

 その“良い”が、命の決断の重さだ。

 

 母さんが笑う。

 

「いいわね。ほんとに」

 

 そしてすぐ、母親の顔に戻る。

 

「じゃあ二人とも、まずはね」

「今夜を回す。お風呂、着替え、ごはん。生活を崩さない。そこからよ」

「分かった」

 

 俺が返す。

 

「……はい」

 

 命も頷く。

 

 執事が控えめに告げた。

 

「夕食は本邸にご用意がございます。お疲れが強い場合は、別邸へお運びも可能です」

 

 母さんが即答する。

 

「行くわ。本邸で食べましょ」

 

 命が小さく頷いた。

 

「……はい」

 

 俺も短く。

 

「行こう」

 

 引っ越しは終わってない。

 

 でも、生活はもう始まってる。

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