※この作品はR-18です。

男女比1対100の彼女たちの世界で   作:ののじん

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132話 婚約の報告

 本邸の食堂は、夜になると音がさらに少なくなる。座椅子を引く音も、湯飲みを置く音も、小さい。

 

 今日も同じだ。

 

 座卓には、いつもの顔が揃っていた。綾乃さん、澄乃さん。母さん。命。

 

 命は俺の隣の座椅子に座っている。腕は組んでない。けど、距離は離れない。

 

「……いただきます」

 

 命が丁寧に言う。俺も短く。

 

「いただきます」

 

 箸が動き始めて、少し間が空いた。

 

 言うなら今だ。内側は、ここで固める。

 

 俺は湯飲みを置いて、命を見る。

 

「命」

「……はい、隼人さん」

「今日、恵と会った」

 

 命の指先が一瞬だけ止まって、すぐ動く。顔は崩れない。

 

「……はい」

 

 綾乃さんがこちらを見る。澄乃さんも、湯飲みに手を添えたまま目を上げた。

 

 俺は続ける。

 

「九条家と、婚約する」

「婚約パーティもやる」

 

 命は息を吐いて、短く言う。

 

「……承知しました」

 

 その「承知しました」は形を崩さないための返事だ。けど、湯飲みの縁を押さえる指に力が入って、すぐ抜ける。

 

 俺は命にだけ向けて言う。

 

「出るから、準備しといて」

 

 命は一拍置いて頷いた。

 

「……はい。準備いたします」

 

 綾乃さんが淡々と聞く。

 

「規模は?」

「大々的に」

 

 俺が言うと、綾乃さんは小さく息を吐いた。驚きじゃない。納得の方だ。

 

「……九条家らしいわね」

 

 母さんが目を丸くする。

 

「らしい、って?」

「噂を噂のままにしない」

「外が騒ぐなら、先に“公式”で潰す」

「やり方が派手でも、筋は通す。——九条家はそういう家よ」

 

 澄乃さんがふっと笑った。

 

「九条家とも婚約するなんて、坊やもよくやるわね」

 

 からかう声なのに、嫌味じゃない。澄乃さんの“認めた”言い方だ。

 

 綾乃さんが現実に戻す。

 

「ただし、条件がいる」

「会場、警備、撮影の線引き。御堂家も口を出す」

「命を外にしない。そこは絶対」

 

 俺は短く頷いた。

 

「分かってる」

 

 命が一拍置いて言う。

 

「……私の席は、近くに」

「そう」

 

 俺が即答すると、命の呼吸が少しだけ落ち着く。

 

 母さんが、わね、よ、を混ぜて言った。

 

「二人ともね、今日はまず食べなさい」

「決め事は決めた。体を崩したら元も子もないのよ」

「分かった」

「……はい」

 

 命の返事は丁寧で、でも逃げてない。

 箸を動かしながら、俺は命の横顔を見る。

 揺れてる。けど、席から降りない。

 それだけで、今夜は越えられる気がした。

 

 食事が進むと、座卓の上の空気も少しずつ柔らかくなる。出汁の匂い、湯気、箸の音。こういうのが「内側」だ。

 

 綾乃さんが箸を置いて、淡々と続けた。

 

「九条家が大々的にやるなら、こちらも“受ける側”で終わらない」

「条件は三つ」

 

 母さんが小さく頷く。

 

「条件、ね」

 

「一つ。会場の導線……」

 

 綾乃さんが一瞬言いかけて、言い直す。

 

「……出入りの管理。招待状のチェックと、本人確認。そこは九条に任せきりにしない」

 

 俺は短く返す。

 

「分かった」

「二つ。撮影」

「撮影可はいい。でも、撮っていい範囲と出していい範囲は、こちらも同意する」

「勝手に“命がどう見えるか”を決められたら困る」

 

 命が一拍置いて頷いた。

 

「……はい」

 

 綾乃さんは命を見る。

 

「命、準備はできる?」

「できます」

 

 命は言い切る。

 

「場に出るなら、整えます」

 

 澄乃さんが穏やかに言った。

 

「整えるのは得意でしょう」

 

 命が小さく息を吐く。

 

「……はい」

 

 綾乃さんが最後。

 

「三つ。席」

「主役席は九条。そこは変えない」

「でも命を“席の外”にしない。近くに置く。こちらが決める」

 

 俺は即答した。

 

「外にしない」

 

 母さんが、少しだけ安心した顔をする。わね、よ、が混じる。

 

「あなた、ちゃんと分かってるのね」

 

 澄乃さんが茶目っ気のある目で俺を見る。

 

「坊や、忙しいわね」

「忙しいです」

 

 短く返すと、澄乃さんが小さく笑った。

 

 食後、湯飲みが新しく置かれて、果物が出た。さっきより空気が落ち着く。決めることが決まったからだ。

 

 綾乃さんがスマホを取り出して、確認する。

 

「九条側の連絡先は、恵さんが回すとして」

「御堂家側の窓口は私。沙織さんは、体調優先で」

「ええ。任せるわね」

 

 母さんはすぐに頷く。

 

「私、口出ししすぎると空回りするの、分かってるのよ」

 

 綾乃さんが淡々と返す。

 

「分かってるなら大丈夫」

 

 母さんが小さく笑った。

 

 命が湯飲みを持ったまま、俺を見る。

 

「……隼人さん」

「当日は、私も同じ車で……」

「同じだな」

 

 俺が短く答えると、命の指先の力が少し抜けた。

 

「……はい」

 

 澄乃さんが言う。

 

「大々的にやるほど、内も外も揺れるものよ」

「でもね、揺れても席から降りなければいい。降りるかどうかは、自分で決めなさい」

 

 命は一拍置いて、丁寧に言った。

 

「……降りません」

 

 その言い切りが、いつもの命より強い。

 

 綾乃さんが頷く。

 

「なら、準備を始める」

「ドレスは九条側の色に合わせすぎない」

「命は命の色で。御堂家として出るんだから」

「承知しました」

 

 俺は湯飲みを置いて言った。

 

「俺も準備する」

 

 母さんが笑う。

 

「あなたの準備って何よ」

「当日、逃げない準備」

 

 短く言うと、母さんは一瞬止まって、それから頷いた。

 

「それが一番ね」

 

 解散になって、俺と命は別邸へ戻る。

 

 夜の敷地は静かで、灯りだけが道を作っている。

 

 命は俺の隣を歩く。腕は組まない。でも、肩が触れそうな距離を保ったまま離れない。

 

「……隼人さん」

「ん」

「大々的、という言葉が……少し怖いです」

 

 命がそう言うのは珍しい。怖い、って言葉を口にするのは、命にとって重い。

 

 俺は歩きながら言った。

 

「俺がいる」

 

 命は一拍置いて、呼吸を整えた。

 

「……はい」

 

 玄関に着いて、靴を脱ぐ。

 

 命が小さく言う。

 

「私、明日から準備を始めます」

「衣装の手配、髪、当日の動き」

「……隼人さんにも、確認してもらうことが増えます」

「やる」

 

 短く返すと、命の口元がほんの少しだけ柔らかくなった。

 

「……ありがとうございます」

 

 俺は言う。

 

「命の席は、俺が守る」

「今日も言った。これからも変えない」

 

 命は一拍置いて、はっきり頷いた。

 

「……はい」

「私も、席から降りません」

 

 言い切ったあと、命は少しだけ近づいた。袖が触れる距離。

 

 腕は組まない。

 

 でも、離れない。

 

 それで十分だった。

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