※この作品はR-18です。

男女比1対100の彼女たちの世界で   作:ののじん

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136話 命は腕を組む

 朝のニュースの音が、別邸のリビングに流れていた。

 

 いつもなら静かな時間だ。湯が沸く音と、食器が触れる小さな音だけ。

 

 今日は違う。

 

 テレビの画面に、昨夜のホテルが映っている。ホールの照明。花。整えられた席。フラッシュ。――そして、俺。

 

『九条家は昨夜、天城隼人氏と九条恵氏の婚約を正式に発表しました』

 

 淡々とした声が、逆に刺さる。

 

 映像は公式のものだ。角度が綺麗で、余計なものが映らない。拍手も、フラッシュも、必要な分だけ。

 

『また同時に、御堂家も声明を発表。御堂命氏との婚約についても、家として正式に認めたことが明らかになりました』

 

 テロップが出る。硬い文章の抜粋だ。言い訳がない。整っている。

 

『専門家は「この社会でも、名家が複数の婚約を同時に公式化するのは非常に珍しい」としています』

 

 その一言で、空気の重さが変わった。

 

 命が隣で画面を見ている。表情は読みにくい。けど、湯飲みの縁に置いた指先が、一度だけきゅっと力を入れて、すぐ離した。

 

 次に、俺の言葉が字幕で出る。

 

『私、天城隼人は、九条恵さんと婚約します。あわせて、御堂命さんとも婚約しています。どちらも曖昧にしません』

 

 自分の声がスピーカーから出ると、少しだけ現実味が増す。

 

 命が小さく息を吐いた。

 

「……ニュースで見ると」

「……本当に、外に出たんだって分かります」

「そうだな」

 

 短く返す。

 

「……世間にも、私の立場が出たんですね」

「出た」

 

 俺は即答した。

 

 ニュースは続く。

 

『九条家は広報を通じ、会場での公式映像と写真を提供。発表内容の誤解や憶測が広がらないよう配慮した形です』

 

 画面の端に、短い動画が流れる。恵が微笑んで、俺が横に立つ。俺の視線が一度だけ、別の席へ向く。――命の席へ。

 

 そこまでが、公開できる範囲だ。

 

 命はその一瞬を見逃さなかったみたいで、わずかに息を吐いた。

 

「……世間にも、私の立場が出たんですね」

「出たな」

 

 命の指先が、俺の袖を小さく掴む。腕を組む前の、確認みたいな触れ方。

 

「……はい」

 

 母さんが廊下から顔を出した。髪はまだ整え切ってないのに、声はいつも通りだ。わね、よ、が混じる。

 

「二人とも、見ちゃったのね」

「朝から大変よね」

「大変」

 

 俺が言うと、母さんは苦笑して、でも目は少し潤んでいる。

 

「でもね、よかったわ」

「曖昧じゃないって、こういうことだもの」

 

 命が丁寧に頭を下げた。

 

「……ありがとうございます」

 

「礼はいらないわよ」

「さ、学校。行ける?」

 

 俺は湯飲みを置いた。

 

「行く」

 

 命も一拍置いて、頷く。

 

「……はい。行きます」

 

 その返事は、崩れない。だけど、今朝は少しだけ強い。

 テレビの音を背にして、俺は立ち上がった。

 

 外が騒ぐのは、分かってる。

 でも、席はもう置いた。

 崩れない方へ、進むだけだ。

 

 命の肩が、ほんの少しだけ落ちた。落ち着いた合図だ。

 テレビの音が続いている。SNSの反応、識者っぽいコメント、ホテルの外観。全部、遠い。

 俺はリモコンで音を切った。

 

 静かになる。

 

 命が湯飲みを置いて、俺の方を見る。表情は読みにくい。けど、目が迷ってない。

 

「……隼人さん」

「ん」

「今日から」

「……腕を、組みます」

 

 言い切りだった。命が自分から言い切るのは、そう多くない。

 

 俺は一拍置いて、頷いた。

 

「分かった」

 

 命は、小さく息を吐く。

 

「……昨日まで」

「外の目を、怖がっていました」

「でも……もう、隠す理由がありません」

 

 言葉は丁寧なのに、芯が強い。吹っ切れた声だ。

 

 母さんが廊下から顔を出す。

 

「命ちゃん、いいわね」

「ね、ハヤト。腕組んで行きなさいよ。堂々と、ね」

 

 命が一拍置いて頭を下げる。

 

「……はい」

 

 俺は立ち上がって、荷物を手に取った。

 

「行くか」

「……はい」

 

 門を出ると、10月の朝の空気が冷えていた。駅までの道はいつも通り。家の敷地を抜けて、住宅街の角を曲がる。

 

 命が、俺の隣に並ぶ。

 そして、俺の腕を組んだ。

 迷いがない。

 

 俺は一拍置いて、横を見る。

 

「……大丈夫か」

 

 命は頷く。

 

「……大丈夫です」

 

 腕の重さは軽い。けど、意味は重い。

 

 駅までの道はいつもと同じはずなのに、今日は違って見えた。視線が増えてる。音も増えてる。俺たちに気づいた瞬間、空気が少しだけ変わる。

 

 命はほどかない。

 

 俺の腕に腕を絡めたまま、歩幅を揃えてくる。背筋が伸びていて、顔は相変わらず読みにくい。けど、迷いがない。

 

 改札へ向かう途中、制服の集団がすれ違った。小声が混ざる。

 

「……今朝のニュースの……」

「え、腕組んでる……」

 

 命の呼吸が一瞬だけ深くなる。指先が俺の袖を押さえて、すぐ離した。崩れない。

 

 俺は前を見たまま、短く言う。

 

「見てくるのは、止められない」

「……はい」

「でも、私が引く必要はありません」

 

 命の声は小さいのに、言い切っていた。

 

 駅に着く。人が流れて、ホームへ降りる階段の音が続く。電車が入ってくる前の、あのざわつき。

 

 ホームの端に立つ。命は腕を組んだまま、つり革の位置も考えているみたいに立ち位置を微調整した。段取りの癖だ。

 

「……混みますね」

「毎朝だ」

「……今日は、いつもより」

 

 命は言い切らない。けど、分かる。視線の話だ。

 

「でもハヤトさんがいるので大丈夫だと思います」

 

 命はそうこぼす

 

 電車が来る。風が抜けて、ブレーキの音。扉が開く。

 

 俺は命の歩幅に合わせて乗る。押さない。引かない。ただ、並んで入る。

 

 車内は混んでいた。肩が当たりそうな距離が当たり前になる。だから、腕を組んでいても不自然じゃない。むしろ、自然に見える。

 

 でも命は、自然に見せるためじゃない。

 

 命は俺の腕をほどかない。視線が来ても、微動だにしない。

 

 数駅。揺れ。アナウンス。車輪の音。途中で乗ってきた人が、俺たちを見て小さく固まる。

 

「……あの、天城……」

「九条家の……」

「御堂命……」

 

 言葉は途中で切れて、飲み込まれる。周りも空気を読んでる。大々的に出した分、触れていい線引きも見えてる。

 

 命は、息を吐いた。

 

「……変な感じです」

「慣れる」

 

 俺が短く言うと、命は少しだけ口元を緩めた。ほんの一瞬。

 

「……はい」

 

 最寄り駅。人が一斉に動く。

 

 降りる流れに乗って、俺たちはホームに出た。ここから学校までの道が、いちばん見られる。隠れようがない。

 

 命が、腕に少しだけ力を入れる。

 

 俺は横を見る。

 

「平気か」

 

 命は頷いた。

 

「……平気です」

「今日から、引きません」

「分かった」

 

 改札を抜ける。朝の光が強い。校門へ向かう道に、もう生徒が溜まっている。ざわつきが目に見える。

 

 その中で、日和とレンが待っていた。校門前。いつもより少し早い時間。

 

 日和が俺たちを見るなり、目を見開いて、それから笑った。

 

「おはよ! ……うわ、腕ミコト、今日つよいね!」

 

 レンは少し遅れて、控えめに言う。

 

「……おはよう、命さん、ハヤトもおはよう」

 

 命は丁寧に返した。腕はほどかないまま。

 

「……おはようございます。日和さん、レンさん」

 

 日和は俺たちの真似をするみたいにレンの方へ回り込んだ。

 

「……じゃ、私も」

 

 レンの腕に、遠慮なく腕を絡める。勢いがあるのに、躊躇がない。日和らしい。

 

 レンが一瞬だけ固まって、目を瞬いた。

 

「……日和さん」

「日和でいいって!ね、レン。毎日これで行こ」

 

 声が少し大きい。テンションが上がってる。

 

 レンは困ったみたいに視線を泳がせて、それから小さく息を吐いた。

 

「……うん」

「……僕も、その方が落ち着く」

「でしょ!」

 

 日和が満足そうに笑う。

 

「じゃ、決まり!」

 

 命が一拍置いて、日和を見る。

 

「……素敵だと思います」

 

 日和が得意げに胸を張る。

 

「えへへ!」

 

 俺は短く言う。

 

「行くぞ」

「はーい!」

 

 四人で校門をくぐる。

 

 視線が刺さる。小声が走る。スマホが一瞬上がりかけて、周りの空気で下がる。

 

 命は、ほどかない。

 

 俺の隣で、背筋を伸ばしたまま歩く。

 

 腕を組んだまま。

 

 それが、命の答えだった。

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