※この作品はR-18です。

男女比1対100の彼女たちの世界で   作:ののじん

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140話 整う夜

 引っ越しの最後の段ボールが消えて、家の中が静かになった。

 

 音が戻る。時計の針。廊下の足音。食器が触れる小さな音。

 

 命が台所で手を動かしている。段取りが早い。今日みたいな日は、なおさら崩れない。

 

 恵はリビングの端で、持ってきた荷物の一覧を見直していた。お付きの人が一度だけ確認に来て、静かに頭を下げて戻っていく。距離も動きも、九条家の「いつも通り」だ。

 

「飯、食うか」

 

 俺が言うと、二人とも同時に頷いた。

 

「……はい」

「ええ」

 

 それだけで、十分だった。

 

 食事は派手じゃない。けど、落ち着く。

 

 命が味噌汁をよそって、恵に渡す。恵は一瞬だけ受け取り方に迷って、それから自然に「ありがとう」と言った。

 

 命が小さく頷く。

 

 身内、ってこういうことだ。

 

 食後、命が湯飲みを置いて言う。

 

「……寝室、確認します」

 

「行く」

 

 恵も一拍置いて立つ。

 

「……私も」

 

 寝室の扉を開けた瞬間、空気が変わった。

 

 畳じゃない。床は張り替えられていて、足裏に静かに返ってくる木の感触がある。新しい匂いが、まだ少し残っている。

 

 部屋の真ん中に、ワイドキングのベッド。

 

 デカい。笑うしかないサイズだ。

 

 恵が一歩だけ入って、息を吐いた。

 

「……これなら、三人で当たり前に眠れますわね」

 

 命が頷く。

 

「……はい」

 

 俺はベッドを見て、短く言った。

 

「いい判断だ」

 

 恵が一瞬だけ赤くなりかけて、すぐ整える。

 

「当然ですわ」

 

 いつもの強さに戻ろうとしてる。その癖も、もう分かる。

 

 命がカーテンを少しだけ整えて、照明の明るさを落とした。こういう時の命は無駄がない。落ち着く方へ持っていく。

 

 恵が言う。

 

「お付きの者の部屋も、すぐ隣です」

「何かあれば、すぐ動けます」

 

「分かった」

 

 俺は頷く。

 

「今日は、もう終わりでいい」

「疲れたなら言え。明日でいい話は、明日」

 

 恵が一拍置いて、小さく笑った。

 

「……助かりますわ」

 

 命も、いつもより少しだけ肩の力が抜けた気がした。

 

 空気が落ち着いたところで、命が静かに言う。

 

「……お風呂、どうしますか」

 

 俺は一拍置いて答えた。

 

「一緒に入るか」

 

 恵が目を瞬いて、すぐに視線を外した。分かりやすい。

 

「……一緒、ですの?」

 

 命は驚かない。いつも通り丁寧に頷く。

 

「……この家の浴室は広いです」

「今日みたいな日は、順番にすると余計に遅くなります」

 

 恵が口元に指を当てたまま、少しだけ考える。

 

「合理的ではありますわね……」

 

 俺が短く言う。

 

「無理ならやめる」

 

 恵は一拍置いて、息を吐いた。

 

「……いえ」

「今日は……変に遠慮して、疲れる方が嫌ですわ」

「入ります」

 

 命が小さく頷いた。

 

「……はい」

 

 浴室は、確かに広かった。

 

 湯気が天井に溜まって、静かな熱だけがある。外の騒がしさが、ここでは届かない。

 

 命が棚から新しいタオルを出して、二人に渡す。動きが整ってる。

 

「……温度、少し高めにしてあります」

「冷えますので」

 

「助かる」

 

 俺が言うと、命は一拍置いて頷いた。

 

「……はい」

 

 恵が小さく咳払いをして、わざと平静な声を作る。

 

「……では」

「今日は、変に気を遣わない、で」

 

「そうだな」

 

 俺はそれだけ返す。

 

 余計なことは言わない。ここは“生活”だ。

 

 湯に入ると、体の芯がほどけた。

 

 命が先に肩まで沈んで、静かに息を吐く。恵も少し遅れて入ってきて、湯の温度に目を細めた。

 

「……あたたかい」

 

「温度、ちょうどいいですわね」

 

 命が小さく頷く。

 

「……よかったです」

 

 湯気の向こうで、恵の頬がまだ少し赤いのが分かる。さっきの赤面とは違う。温度のせいだ。

 

 俺は壁にもたれて言った。

 

「今日は終わった」

「引っ越しも、無事だ」

 

 恵が一拍置いて、静かに頷く。

 

「……ええ、“無事”って言葉が、いちばん合いますわ」

 

 命も、同じ速度で頷いた。

 

「……はい、整いました」

 

 その言い方が命らしくて、俺は少しだけ口元を緩めた。

 

「整ったなら、十分」

 

 恵が俺を見て、すぐに視線を外す。

 

「……そういう言い方」

「ずるいですわね」

 

「そうか」

 

 俺がいつも通り返すと、命が小さく息を吐いた。笑ったのに近い。

 

 湯の音だけが続く。

 

 日和の声も、掲示板も、ニュースもない。ここには湯気と、呼吸と、今日の終わりだけ。

 

 恵が、少しだけ真面目な声になる。

 

「……明日から」

「学校は、また騒がしいでしょうね」

 

「どうだろうな」

 

 俺が返答すると、命が続けた。

 

「……でも、家の中は揺れません」

 

 恵が頷く。

 

「ええ、私ももう迷いません」

 

 俺は短く言った。

 

「それでいい」

 

 上がるタイミングは、自然に揃った。

 

 浴室を出る前、命が一度だけ恵を見る。

 

「……恵さん」

「改めて。来てくださって、ありがとうございます」

 

 恵は一拍置いて、まっすぐ返した。

 

「こちらこそ……よろしくお願いいたします」

 

 命が頷く。

 

「……はい」

 

 俺は二人を見て、最後に言う。

 

「さあ寝室に行くぞ」

「……はい」

「ええ」

 

 風呂の熱が残ったまま、俺たちは部屋へ戻った。

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