月曜の放課後。
レンと駅前で合流した。
レンは制服のままでも整ってる。俺は指定された通り、動きやすい服。こういうところは実務だ。
「……場所、ここ?」
「そう」
看板には、上品な文字で事務所名が出ていた。派手じゃない。けど、ちゃんとしてる空気がある。
受付で名前を告げると、すぐ通された。
通路の壁にポスターが並ぶ。ドラマ、CM、舞台。
“仕事”の匂いがする。
レンが小声で言った。
「……すごいね」
「慣れろ」
「……うん」
面談室に入ると、女性のマネージャーが名刺を差し出した。
「初めまして。
「あなたたち、学生さんよね。学業優先で組むから安心して」
母さんの紹介、というのが効いてるのが分かる。話が早い。
「今日は“所属”の話じゃないよ。登録して、短期の案件をいくつか紹介する形。合わなかったらやめていい。気楽にね」
レンがほっとした顔になる。
俺はうなずいた。
「分かった」
「いい返事」
浅野さんが笑う。
「じゃあ簡単に。身長、靴のサイズ、得意なこと、苦手なこと」
「あと、顔写真と全身。今から撮るね」
レンが一拍置いてから言う。
「……苦手なこと、あります」
「言って。現場で困る前に知りたい」
「……大声」
レンが言って、すぐ自分で補足する。
「テンション上がると、出ちゃう時があります」
浅野さんが笑った。
「それ、苦手っていうより“特徴”」
「使える時に使おう」
レンが少しだけ照れる。
「……はい」
俺も聞かれる。
「あなたは?」
「長く立ってられること、指示があれば動けます」
「最高。現場が欲しがるタイプ」
浅野さんが即答して、端末を叩く。
「じゃあ早速、軽いの入れようか」
「来週、ホテルのホールで撮るCM。『冬のギフト』」
「スーツで立って、受け取って、笑う。台詞は一言だけ」
レンが目を丸くした。
「……もう?」
「そう。動き早い方がいいでしょ」
俺はうなずく。
「やる」
レンも一拍置いて、頷いた。
「……やる」
マネージャーが満足そうに笑う。
「よし。じゃあ契約の紙、ここだけ読んで」
「未成年だから、保護者の同意も必要。お母さん、後で連絡していい?」
「してくれ」
俺が即答すると、レンが小さく息を吐いた。
「佐久間くんの方は?」
レンが小さく息を吸って頷いた。
「……僕の方は、これから」
「大丈夫」
浅野さんはさらっと言う。
「今は“登録”まで。案件入れる前に同意取ればいい」
レンの肩が少し落ち着いたのが分かった。
「じゃあ次」
浅野さんが立つ。
「プロフィール写真撮る。顔と全身。あと、簡単なカメラテスト。怖くないよ」
撮影スペースは、白い背景とライトだけ。余計なものがない。
「まずは立って」
「肩の力抜いて。顎は少し引く」
浅野さんの指示は具体的で、迷いがない。
レンが固まってるのが分かる。
「レン、息」
俺が短く言うと、レンが一拍置いて頷いた。
「……うん」
カメラが切られる。シャッター音。
レンは最初ぎこちなかったけど、三枚目で急に整った。真面目な顔が、ちゃんと“画”になる。
「いいね」
浅野さんが言う。
「作らなくていい。今の顔が使える」
レンが、ほんの少しだけ口元を緩めた。
次は俺。
「目線、こっち」
「……そう。笑わなくていい。落ち着いた方が合う」
撮られてるのに、変に意識しない。
こういうのは、やることが決まってる方が楽だ。
「よし。次、カメラテスト」
浅野さんが小さな台本を二冊、机に置いた。
「一行だけ。短い役」
「CMの想定。ギフトカウンターで“受け取る側”」
台本を開く。
台詞は一行。
『ありがとうございます』
それだけ。
浅野さんが言う。
「言い方、二種類やって」
「一つは丁寧」
「もう一つは、嬉しさが少し出る」
レンが先にやる。
声は小さい。でも、丁寧さは完璧だった。
『……ありがとうございます』
「うん、きれい」
浅野さんが頷く。
「じゃあもう一つ。嬉しい方」
レンが一瞬迷って――次に出した声が、少しだけ大きくなった。
『ありがとうございます!』
出した瞬間、レンが「あ」となって固まる。自分で声量に驚いた顔。
浅野さんは、笑った。
「今のがいい」
「出ちゃった、じゃなくて、出せた」
「レンくん、それ使えるよ」
レンの耳が赤い。
「……はい」
俺の番。
丁寧に。
『ありがとうございます』
余計な飾りは入れない。
受け取る時の手の動きだけ、きっちり。
「うん。安定」
浅野さんが言う。
「じゃあ“嬉しい”」
俺は一拍置いて、ほんの少しだけ息を柔らかくする。
『ありがとうございます』
同じ言葉でも、温度が変わる。
それだけでいい。
「いいね」
浅野さんは即答した。
「二人とも、今すぐ入れられる」
レンが目を丸くする。
「……今すぐ?」
「うん」
浅野さんはタブレットを見せた。
「来週、ホテルで撮るCM。冬のギフト」
「二人セットで欲しいって案件がある。年齢も身長差も、ちょうどいい」
レンが俺を見る。
俺は頷く。
「やる」
レンも一拍置いて、頷いた。
「……やります」
「よし。決まり」
「学校に支障出ない時間で組む」
「現場はスタッフが多い。保護者の同伴もOK」
レンが少し安心した顔になった。
「母さん、来るかも」
俺が言うと、浅野さんは「それがいい」とでも言うように頷いた。
「じゃあ、詳細は後で送る」
「集合時間、服装、持ち物」
「それと――」
浅野さんが笑う。
「遅れない。それが一番大事。それさえ守れば、あとは私が何とかする」
「分かった」
「……はい」
ビルを出ると、夕方の空気が冷たかった。
レンが、歩きながら小さく言う。
「……決まっちゃったね」
「始まっただけ」
「……うん」
レンは一拍置いて、少しだけ声が弾む。
「……ちょっと、楽しいかも」
「それでいい」
俺はスマホを取り出して、母さんに送った。
『面談終わった。来週CM案件入った。詳細あとで来る』
すぐ返事。
『了解。いいじゃない。レンくんの親御さんにも先に話すのよ。あと、内緒は最後までね』
最後の一文が、母さんらしい。
レンにも言う。
「親、今日言え」
レンが息を吸って、頷いた。
「……言う」
「日和にも、まだ言わない」
「驚かせたい」
「そうしろ」
駅のホームで電車を待ちながら、俺は頭の中で計算する。
ギャラ。交通費。回数。
命の誕生日。恵のクリスマス。
やることは増えた。
でも、嫌じゃない。
レンが、ぽつりと言った。
「……隼人」
「今日、初めて“僕に任せる場所”ができた気がする」
「そうだな」
「……嬉しい」
レンの声が少し大きくなりかけて、本人が気づいて口を押さえる。
「……やば。大きな声出ちゃう」
「出ていい時に出せ」
俺が言うと、レンが笑った。
「……うん」
電車が来る。
扉が開いて、俺たちは乗り込んだ。
この一歩は、たぶん小さい。
けど、ちゃんと“次”に繋がる一歩だ。