※この作品はR-18です。

男女比1対100の彼女たちの世界で   作:ののじん

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144話 一行のセリフ

 土曜の朝は早い。

 まだ空が白くなりきってない時間に、俺は起きた。

 

 スマホを見る。浅野さんから来てる。

 

 浅野

『集合 6:45/ホテル裏口(搬入口)

服装:黒か紺の無地(上着・パンツ)

持ち物:学生証、飲み物、マスク、髪留め(必要なら)

※関東エリア+Web。情報は口外しないでね』

 

 レンにも転送してある。既読はついてる。

 

 寝室の方を見ると、命と恵はまだ寝ている。

 今日は起こさない。

 

 台所に行くと、母さんがもう起きてた。

 妊娠してから、朝は無理しないようにしてるのに、こういう時だけ早い。

 

「おはよ。行くのね」

「行く」

 

 母さんは水を一口飲んで、テーブルに小さな袋を置いた。

 

「これ」

「のど飴と、カイロ。現場って空調が変なのよ」

「助かる」

「それと」

 

 母さんが目を細める。

 

「現場で変なことがあったら、浅野さんに言う。いい?」

「分かった」

「よし」

 

 母さんは笑って、手をひらひらさせた。

 

「じゃ、行ってらっしゃい。天城くん」

 

 母さんがからかって言う。

 家の外で「天城くん」って呼ばれるのは慣れないだろうな。

 でも、今はそれでいい。

 

 駅でレンと合流した。

 

 レンは思ったより落ち着いてる。

 髪も服も整ってて、いつもの静かな顔。

 

「……おはよう、隼人」

 

「おはよう」

 

 レンは小さく息を吸って、スマホを見た。

 

「……場所、搬入口ってなんか本物だね」

「本物だ」

「……うん」

 

 それだけ言って、レンは前を向いた。

 緊張を外に出さない。今日のレンは、そういうモードだ。

 

 ホテルの裏口は、もう“現場”だった。

 

 台車が行き来して、スタッフがイヤホンで話してる。

 コーヒーの匂いと、機材の金属の匂いが混ざってる。

 

「天城くん、佐久間くん」

 

 呼ばれて振り向くと、浅野さんがいた。ジャケットにID。仕事の顔。

 

「時間どおり。いいね、まず受付。ここにサイン。体調は? 眠いとかはある?」

「大丈夫」

「……僕も大丈夫です」

 

 浅野さんは頷く。

 

「よし、じゃあ控室行こう。今日のCM、規模は大きめ、全国じゃないけど、関東一円で流れる。Webも回す」

 

 レンが一瞬だけ目を丸くした。

 

「……関東」

「そう」

 

 浅野さんはさらっと言う。

 

「だからって、やることは同じ。指示を聞く。勝手に増やさない」

「分かった?」

「分かった」

「……はい」

 

 控室は静かだった。

 机に台本と、簡単な説明紙。

 

 タイトルは『冬のギフトフェア』。

 設定は“ギフトカウンターで受け取る客”。俺とレンは別のカットで同じ役回りをやるらしい。

 

 浅野さんが紙を指でトントン叩く。

 

「段取り確認。衣装はスーツ。メイクは薄く整える程度、台詞は一言。目線と手の動きが大事。顔、固めない。怖くない顔で」

 

 レンが小さく頷く。

 

「……怖くない顔」

 

 俺は台本を開く。台詞は一行。

 

『ありがとうございます』

 

 それだけ。

 

 浅野さんが言った。

 

「面談でやったの、そのまま。丁寧、嬉しい、の二種類このCMは“嬉しい”寄りでいく」

 

 レンが一拍置いて、息を吐く。

 

「……やる」

 

 衣装に着替えて、控室を出る。

 

 廊下を歩くだけで、空気が変わる。

 ホテルの絨毯、照明、音の吸われ方。そこに機材の音が混ざって、別世界になる。

 

 撮影フロアに着くと、セットが組まれていた。

 

「じゃあ、まず佐久間くんから」

 

 浅野さんが言う。

 レンが前に出た。

 

 レンは落ち着いてる。立ち姿がちゃんとしてる。

 監督が声をかける。

 

「佐久間くん、ここに立って。目線はこの人」

「受け取って、少し驚いて、笑って」

「台詞は最後ね」

 

「……はい」

 

 レンが紙袋を受け取る。

 驚く。笑う。台詞。

 

『ありがとうございます』

 

 声は、想像よりしっかり出た。

 落ち着いてるのに、必要なところで届く声。

 

 監督が言う。

 

「いいね」

「もう一回。同じで、笑いを少しだけ柔らかく」

 

 レンは一拍置いて頷いた。

 

「……はい」

 

 二回目。

 今度は表情が少しだけほどける。

 

 撮影が止まる。

 

「OK!」

 

 レンが小さく息を吐いた。

 その瞬間、浅野さんがレンの肩に近づいて、低い声で言う。

 

「今の、すごく良かった、“作ってない”のに伝わる」

 

 レンが、ほんの少しだけ照れる。

 

「……ありがとうございます、浅野さん」

 

 声量がちょっと上がりかけて、レンが自分で気づいて口を押さえる。

 

「……あ」

 

 浅野さんは笑った。

 

「出ていい、現場は、届く声が正義」

 

 レンが小さく頷く。

 

「……はい」

「天城くん、一つだけ。現場では“目線”と“呼吸”、それだけで画が変わる」

「分かった」

 

 浅野さんは俺の顔を見て、ほんの少し笑った。

 

「……さすが、って言うのは早いか。でも、期待してる。次、天城くん」

 

 呼ばれて前に出る。

 

 撮影フロア。

 

 セットはギフトカウンター。冬の装飾と紙袋。

 スタッフの動きが速い。音が多い。けど、俺は落ち着く。

 

 こういう空気は、知ってる。

 小さい頃から、母さんの現場に何度もいた。

 “邪魔にならない場所”と、“今は動くな”って空気の読み方を、体で覚えてる。

 

「次、天城くん行こう」

 

 監督が呼ぶ。

 

 俺は立ち位置のテープを見る。

 足先を合わせる。肩の高さを揃える。

 台詞は一言でも、ズレたら全部やり直しになる。そこは分かってる。

 

「天城くん、落ち着いた感じで。嬉しいけど、騒がない、受け取り方丁寧に」

「はい」

 

 口から敬語が出た。

 現場では、それが一番ラクだ。

 

 紙袋を受け取る。

 目線は相手役の目。

 手の動きは、速すぎない。

 

『ありがとうございます』

 

 一回目で、監督が手を上げた。

 

「いい……なんだけど、もうちょい“温度”が欲しい。言葉は変えない。目でやって」

「分かりました」

 

 俺は一拍置く。

 母さんがよく言ってたやつを思い出す。

 

――台詞じゃない。最初に息を変えろ。

 

 息を少しだけ柔らかくする。

 目の奥の力を抜いて、ほんの少しだけ笑う。

 

『ありがとうございます』

 

 カット。

 

 現場が静かになる一瞬があって、次に監督が言った。

 

「……OK。今の、すごい。台詞は同じなのに、受け取った“重さ”が変わった」

 

 助監督が小声で言う。

 

「目、いいな」

 

 浅野さんが、横で短く頷いた。

 

「ね」

 

 監督が俺を見る。

 目が、ちょっとだけ鋭くなる。探る目だ。

 

「天城くん……天城沙織さんの、息子さん?」

 

 空気がまた一拍止まる。

 俺は逃げずに言う。

 

「はい」

 

 監督は笑った。

 

「そりゃ、分かるわ。“育ち”が現場の動きしてる。マークも見てるし、立ち位置がブレない」

「新人でそれ、なかなかいない」

 

 俺は短く返す。

 

「……なんとなくです」

「それが才能って言うんだよ」

 

 監督が言い切って、次の指示を出す。

 

「じゃあもう一回。同じで、最後の一瞬だけ“安心”を足して」

「渡す側が“この客に渡して良かった”って思う顔」

「はい」

 

 二回目。

 目線をほんの少しだけ落として、受け取ったあとに一拍だけ頷く。

 

『ありがとうございます』

「OK!」

 

 監督が即答した。

 

「いい。抜けがない」

 

 浅野さんが俺の横に来る。

 

「天城くん、今の完璧だった」

「……」

「褒めてるんだよ?」

 

 浅野さんが笑う。

 

「ありがとうございます」

 

 待ち時間。

 

 レンと俺は控えスペースで水を飲んだ。

 レンは落ち着いたまま、ぽつりと言う。

 

「……隼人、僕今日さ、“君はここで、こうして”って、ちゃんと役割を渡されたの初めて」

「そうか」

「……うん」

 

 レンの声が、少しだけ弾む。

 

「なんか、嬉しい」

 

 その言い方がレンらしい。

 俺は短く言った。

 

「次もやれ」

「……やる」

 

 昼過ぎ。撮影が巻いた。

 

 浅野さんが俺たちを呼ぶ。

 

「二人とも、お疲れ。現場、すごく良かった、このCM関東一円で流れる。Webも回る」

 

 レンが小さく息を吸う。

 

「……関東」

「うん」

 

 浅野さんは淡々と続けた。

 

「だからって何か変わるわけじゃない、今の調子で積み上げるだけ」

 

 俺は頷く。

 

「分かった」

 

 浅野さんは俺を見る。

 

「天城くん、“沙織さんの息子”って看板は、勝手に付いてくる。でも今日のは、看板じゃない。実力」

 

 俺は短く返した。

 

「……はい」

 

 レンが俺を見て、少しだけ笑う。

 

「……隼人、すごかった。言われた通り、空気が変わった」

「見てたか」

「見てた」

 

 レンの声が少しだけ上がる。

 

「……現場、楽しいかも」

「それでいい」

 

 電車が揺れて、窓に景色が流れる。

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