※この作品はR-18です。

男女比1対100の彼女たちの世界で   作:ののじん

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145話 次の案件

 家に帰ると、いつも通りの夜があった。

 

 命は台所で湯を沸かしてて、恵はテーブルの上を整えてる。

 俺が帰った気配に気づいて、二人とも顔を上げた。

 

「おかえりなさいませ」

 

 恵が先に言う。今日は“九条の顔”じゃなくて、家の中の声だ。

 

「……おかえりなさい」

 

 命も短く続ける。目が柔らかい。

 

「ただいま」

 

 それだけ言って、鞄を置く。

 現場の空気はもう抜けてる。いつもの俺に戻す。

 

 命が湯呑みを差し出した。

 

「……温かいです。飲みますか」

「飲む」

 

 口にすると、肩が少し落ちる。

 今日のことは――当然まだ言わない。

 

 恵がちらっと俺を見る。何か察してそうな目だ。

 でも聞かない。恵もそういう距離の取り方ができる。

 

「……明日、学校のあとも予定がありますか」

 

 命が聞く。

 

「ないと思う」

「……そうですか」

 

 それ以上は詰めない。命らしい。

 

 翌日。

 放課後、レンと合流した。

 

 レンはいつもより落ち着いてる。昨日を越えた顔だ。

 レンは息を吐く。

 

「……隼人、現場また行きたい。でも、いきなり台詞増えるのは……まだ怖い」

「わかる」

 

 レンは俺が同意したのが意外だったのか、目を瞬いた。

 

 その時、スマホが震えた。

 浅野さんからだ。

 

『二人とも今、話せる? 電話でいい』

 

 俺はレンに見せる。

 

「浅野さん」

「……出て」

 

 俺はその場で折り返した。

 

「もしもし。浅野さん」

 

『お疲れ。昨日の現場、評判よかった』

『特に天城くん。監督がべた褒め』

『で、次の話。天城くんに“台詞多め”の案件を持ってきた』

 

 心臓が少しだけ跳ねた。

 でも声は変えない。

 

「どんな」

 

『Webドラマ。全8話』

『準レギュラー。毎話出る。天城くん、今回の役は学園の“憧れ枠”』

『作品の中で、視線を集める位置に立つ、派手に動くより立ってるだけで画が持つ人が必要』

『あなたは、そこが強い。今週、顔合わせと軽い読み合わせ。行ける?』

 

 俺は即答した。

 

「行く」

 

 横でレンが息を止めたのが分かる。

 

『よし』

 

 浅野さんの声が少しだけ笑ってる。

 

『で、佐久間くん。君は別で入れる』

『スチール撮影*1。ギフトのポスター素材。撮影一日』

『台詞なし。立ち位置と表情だけ。向いてるよ』

 

 レンが小さく頷く。

 電話越しに聞こえたのか、浅野さんが続けた。

 

『無理に合わせなくていい。二人は二人で積み上げる。大丈夫?』

 

 レンが小さく言った。

 

「……大丈夫です、浅野さん」

 

『いい返事』

『詳細送る。天城くんは読み合わせの場所、佐久間くんは撮影場所』

『時間だけ守って。余計な心配はしないでいい』

 

「分かった」

 

『じゃ、また』

 

 浅野さんは切った。

 スマホの画面が暗くなる。

 レンが、少しだけ声を落として言った。

 

「……隼人、準レギュラー、すごいね」

「やりたい」

 

 俺が言うと、レンが笑った。

 

「……隼人は、そう言うと思った」

「本格的にやる」

 

 言ってから、自分で思う。

 これ、俺の中でちゃんと“欲しい”って感情だ。

 

 レンは一拍置いて頷く。

 

「……僕は、スチールでいい」

「まず、上手く立つのを覚える」

 

「それでいい」

 

 レンは少しだけ肩の力を抜いた。

 

「……日和に何買うか、そろそろ決めないとね」

「最後はベッドで決めろよ」

「……うん」

 

 レンの声が、ほんの少しだけ上がる。

 

「僕、ちょっと燃えてる」

「いいな」

 

 俺は短く返して、歩き出した。

 

 家に戻ると、命が本を読んでた。

 恵はスマホで何かを調べてる。二人とも顔を上げた。

 

「おかえりなさい」

「おかえりなさいませ」

「ただいま」

 

 俺は水を一口飲んでから、言う。

 

「今週、予定入る」

 

 命の指が一拍止まる。

 でも表情は崩れない。

 

「……学校のあと、ですか」

「そう」

 

 恵が目を細める。

 

「今週、放課後に用事がある。ふふ。隠している顔ですわね」

「勘がいいな」

「当然ですわ」

 

 命は俺を見て、静かに言った。

 

「……無理は、しないでください」

「しない」

 

 短く返す。

 命は頷く。

 

「……はい」

 

 恵が軽く息を吐いた。

 

「では、必要なものがあれば、言ってくださいませ」

「大丈夫だ」

 

 俺は自室に戻って、浅野さんから届いた資料を開く。

 Webドラマのタイトル。役の説明。スケジュール。

 

 “準レギュラー”。

 

 次の札が、もう手の中にある。

 

 俺は、やる。

 レンも、やる。

 

 命の誕生日と、クリスマス。

 恵のクリスマス。

 

 その前に――俺は、もう一歩、進む。

 

 机の上に、スマホを置く。

 浅野さんからのメッセージが残っていた。

 

『ギャラは月末締め、翌月15日振込。明細は後で送るね』

 

 画面を消して、資料を閉じる。

 名前と時間と場所だけが、頭に残った。余計なことは考えない。

 

 ドアの外から、足音。

 命の気配は、静かだ。ノックも小さい。

 

「……隼人さん」

「どうした」

 

 ドアを少し開けると、命が立っていた。

 いつもの顔。整ってる。けど、目だけがこちらを確かめている。

 

「……お風呂、先に入ります」

「分かった」

 

 命は頷いて、一拍置いてから言った。

 

「……帰りが遅くなる日、連絡は、いただけますか」

「する」

 

 短く返すと、命の肩がほんの少しだけ落ちた。

 安心の方に落ちる。

 

「……はい」

 

 命はそれだけ言って、廊下を戻っていった。

 

 俺はスマホを手に取って、カレンダーを開く。

 水曜、放課後。

 土曜、レンのスチール。

 自分の予定は、必要な分だけ入れる。

 

 通知がもう一つ増えた。レンからだ。

 

『隼人、日和にバレそう。どうしたらいい?』

 

 俺は短く返す。

 

『顔に出すな、言うのは最後』

 

 すぐに返事。

 

『……努力する』

 

 レンらしい。

 

 俺はスマホを伏せて、息を吐いた。

 やることが増えると、余計なことが減る。俺はそっちの方がいい。

 

 リビングに戻ると、恵がソファで本を閉じたところだった。

 目が合って、恵が微妙に視線を逸らす。珍しい。赤いのが分かる。

 

「……」

「……」

 

 黙ったまま、数秒。

 恵が先に負けた。

 

「見ないでくださいませ」

「見てない」

「見ています」

「見てた」

 

 恵が頬を押さえる。

 

「……昨日のこと、思い出すからですわ」

「俺も」

 

 言った瞬間、恵が固まった。

 そのあと、耳まで赤くなる。

 ベッドの上で甘い言葉を投げかけたのだった。

 

「……あなた、ああいう事を、さらっと言うの、ずるいですわね」

「可愛かったから」

 

 短く言うと、恵は小さく息を吐いた。

 照れて、でも嬉しそうな息。

 

「命さん、どこまで察してますの?」

「詳しいことは聞かない」

「そう」

 

 恵は本を抱え直す。

 

「家の中が整っているの、ありがたいですわ」

 

 俺は頷く。

 

「崩さない」

 

 その言葉に、恵が少しだけ笑った。

 

「では、わたくしも、崩しません」

 

 真正面から言われると、妙に強い。

 九条の強さじゃない。身内の強さだ。

 

 浴室の方から、湯の音が聞こえる。

 命が先に入ったらしい。

 

 俺は立つ。

 

「俺も入る」

「……はい」

 

 俺は浴室の前で止まって、スマホを取り出す。

 浅野さんからのメッセージをもう一度確認して、画面を消す。

 

 秘密は、守る。

 でも、逃げない。

 

 湯気の向こうに、家の温度がある。

 俺はそれを崩さないまま――外で、もう一歩進む。

 

*1:
映画・ドラマ・舞台・CMなどの“宣伝用の静止写真”を撮る撮影のこと

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