浅野さんから次の札を渡された夜、俺はスマホの予定を見て、息を吐いた。
放課後に読み合わせ。土日は朝から撮影。レンは土曜にスチールが入る。
放課後。
教室の空気が一気に軽くなる中で、俺だけが荷物を最小限にまとめた。寄り道って言い方はもう慣れた。言い換える気もない。
廊下に出ると、窓の外が少しだけ赤い。冬に向かってる色だ。
校門の手前で、命が俺の腕を取った。
外でも、もう当たり前になってる。
「隼人さん。今日は……」
「用事」
「……はい」
命は深掘りしない。けど、指先が少しだけ強くなる。
「遅くならない」
「……約束です」
「約束」
命は小さく頷いて、俺の袖から手を離した。
事務所の会議室は、静かだった。
撮影現場みたいな慌ただしさはない。代わりに、無駄な音が消えてる。机の上に台本。水。ペン。照明も明るすぎない。
入った瞬間、数人の視線が一度だけこっちを向いた。
有名だからじゃない。男子が希少で、新人が来たら一回チェックが入る。それだけ。
浅野さんが淡々と紹介する。
「本日読み合わせです。ハヤトくん、こちらへ。——皆さん、よろしくお願いします」
「お願いします」
返事は短くした。長くすると、場の温度が変わる。
席につくと、監督が資料を軽く整えてから言った。
「じゃあ、やります。今日は声を合わせて、間と温度を決める。立ち位置は次。まず、流れを切らない」
ページがめくられる音が揃う。
俺の役は“近寄りがたい憧れ枠”。
笑わない、軽くしない、でも冷たくしすぎない。距離があるのに、目が離せないタイプ。
台詞は少ない。だから、台詞の前後で勝つ。
「——はい、1話、頭から」
読み合わせが始まる。
相手役の女優が先に入って、俺の番が来る。
呼吸を一回だけ整えて、言う。
「……そこ、通るな」
声は強くしない。強くすると押しつけになる。強さは、間と目線で出す。
相手役が一拍止まった。台本を見てるのに、止まった。
監督がペン先で机を軽く叩く。
「いい。今の“止め方”は合ってる。もう一回。次は、最後の一拍だけ遅らせて」
「分かりました」
同じ台詞でも、間を変えると空気が変わる。
俺が遅らせた一拍で、相手役の呼吸が変わった。そこが欲しい。
「カットじゃない。続けて」監督が言う。
読み合わせは流れる。途中、監督が止めるのは数回だけ。
「ここ、軽く言いすぎると憧れじゃなくなる。ハヤトくん、抑えていい。抑えたほうが強い」
「はい」
「その返事も、それでいい」
浅野さんが横でメモを取ってる。顔は動かないけど、手の動きが早い。
終盤、相手役との掛け合いが一段増えるところで、監督が言った。
「ここは“優しくする”じゃなくて、“逃がさない”だな。言葉を増やさないで、距離だけ詰めて」
俺は台本から目を上げて、相手役を見た。
台詞は短い。
「……行くぞ」
相手役が、ほんの少し笑った。演技じゃなく、反射みたいな笑い。
監督が頷く。
「それ。今の“行くぞ”は使える」
読み合わせが終わると、会議室の空気が少しだけ緩んだ。誰かが水を飲む音がして、ようやく現実に戻る。
浅野さんが俺の横に来る。
「今日の目的は達成。次は“合わせ”と“カメラテスト”。放課後で巻く。遅刻は論外」
「分かりました」
監督も目線だけ寄越して言った。
「次、動き入れる。今日みたいに余計なことしないでくれれば、十分」
「はい」
席を立って、会議室を出る。
廊下の空気が少し冷たくて、現実に戻るスイッチになる。
スマホが震えた。
浅野
『次回:今週木曜 放課後 16:45入り。合わせ+カメラテスト。学校から直で。本番撮影:今週土曜 早朝集合(詳細は追って)』
浅野さんからだ。
俺は短く返した。
隼人
『了解。』
そのまま画面を伏せる。
12/24まで、余計な寄り道はできない。
ちゃんと積み上げて、間に合わせる。
会議室を出て、外の冷たい空気を吸った瞬間に、頭の中の音が少し静かになった。
読み合わせは撮影じゃない。けど、測られるのは同じだ。
台詞が短いほど、俺の癖が出る。
駅まで歩きながらスマホを見る。
来週じゃ遅い。今週で詰める。
俺は短く返した。
『了解。』
画面を伏せて、帰路に戻る。
玄関の灯りがついていた。
扉を開けると、居間の方から声がする。
「お帰りなさいませ、ハヤトさん」
恵の声。
「……おかえり」
もう一つ、明るい声。
日和だ。珍しい。
居間に入ると、日和はソファの端に座っていて、手には小さな紙袋。笑ってるのに、目が先に俺の顔を見た。
恵が俺の方を見て、さらっと言った。
「今日は日和を呼びましたの。……少しだけ、顔を出してもらいましたわ」
日和が肩をすくめる。
「恵に呼ばれたら来るでしょ」
「ふふ、ありがたいですわ。――今どういう距離なのかしら。落ち着いて聞いておきたくて」
命は少し離れた椅子に座っていた。湯呑みを両手で包んだまま、俺を見る。
「……お帰りなさいませ、隼人さん」
「ただいま」
命の表情は薄い。でも、言葉の端が柔らかい。
俺が靴下のまま一歩入っただけで、命の指先が少し動くのが分かった。
日和が、さらっと言う。
「命さん、今日はそのまま待つ感じね。うん、分かった」
命が一拍置いて、頷いた。
「……はい。隼人さんが言わないなら、待ちます」
「レンも何か隠してるけど、うん。じゃ、私も待つ」
日和はあっさり同意して、空気を重くしないまま次に進めた。
「その代わり、体調だけは申告して。倒れたら、さすがに笑えないから」
笑いを混ぜた釘。そこが日和らしい。
「平気」
「よし」
日和はそこで引く。引き際が早い。深掘りしない。