命が湯呑みを置いて、日和に向き直った。
「日和さん。よろしければ……夕食を一緒に召し上がっていってください。今日は、来てくださったので」
日和が一瞬だけ目を丸くして、すぐに笑う。
「え、いいの? じゃ、ありがたく。……命さん、そういうの言うの意外と強いね」
「……御堂家ですから」
命は表情を崩さないまま、言い切った。言い切れるところまで来たんだ、って分かる。
恵が満足そうに頷く。
「日和、遠慮は要りませんわ。席は整っておりますもの」
「恵、そういうとこ好き」
「ふふ。存分に褒めなさいませ」
日和が肩を揺らして笑って、そこで終わらせた。盛り上げるけど、必要以上に膨らませない。空気が重くならない温度で止める。日和はそこが上手い。
命が静かに立ち上がる。
「……では、こちらへ」
俺は自然にその隣に並ぶ。命の手が俺の腕を探して、触れて、軽く組む。家の中でも、もう当たり前になっている。
食卓は派手じゃない。けど、温かい。御堂家の“整った家”のやつだ。
日和は座る前に一度だけ周りを見て、それから軽く頭を下げた。
「お邪魔します。……命さん、ありがとう」
「いいえ」
命は短く返す。短いのに、きちんと伝わる。
恵が席に着いてから、いつものお嬢様口調で言った。
「日和。今日は少し静かに食べますわよ」
「了解。……ハヤトさん、顔、いつもより硬い」
「普通」
「その“普通”は信用しないやつ」
日和は笑って言う。笑って言うけど、視線はちゃんと見てる。釘だけ刺して、深掘りしない。
命が箸を置く音を小さくして、俺の方を見る。
「……隼人さん。お味は」
「うまい」
「……はい」
命の口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
食事が進むにつれて、会話も少しずつ戻る。日和が無理に話題を作らない。代わりに、場が固くなりそうなところだけ軽くずらす。
「ねえ恵、最近さ、屋上の風、冷たくない? あれ、髪終わる」
「冬ですもの。終わりますわ」
「即答やめて」
「事実ですわ」
日和が笑う。命も目を伏せて、少しだけ息を抜く。その“少し”を引き出すのが日和の役割なんだと思う。
廊下の方から、ゆっくり足音が近づいた。
澄乃さん――お婆様が食卓に顔を出す。
「まあ。楽しそうね」
声が柔らかい。家の空気が、ふっと温かくなる。
「お婆様」
命が丁寧に頭を下げる。
「こんばんは」
俺も言う。
澄乃さんは俺を見て、目尻をゆるめた。
「坊や。お帰りなさい」
「ただいまです」
視線が日和へ移る。初めて見る顔に驚くより、丁寧に受け止める目。
日和がすぐに立ち上がって、軽く頭を下げた。
「こんばんは。日和です。今日はお邪魔しております」
「はじめましてね、日和さん。来てくれて嬉しいわ」
日和がつい本音をこぼして、すぐに笑ってごまかす。
澄乃さんはそれを責めずに、くすっと笑った。
「遠慮しなくていいのよ。御堂家は、来てくれた人に温かい家でいたいの」
恵が上品に頷く。
「ええ。日和、どうぞ気楽に。……と言いたいところですが、食事は冷めますわ」
「恵、相変わらず正しい」
澄乃さんが楽しそうに目を細める。
「ふふ。いいわね、その調子」
それから澄乃さんは、俺に向き直った。
「坊や。今日は忙しかったの?」
「少しだけ」
「坊やの“少しだけ”は、頼もしい言い方ね」
そこで、澄乃さんは叱らないまま、さらっと続ける。
「ただ、頼もしいまま倒れたら、私は寂しいわ。だから――眠ることと、食べることだけは、守ってちょうだい」
「はい」
命の肩がほんの少しだけほどけたのが分かった。
澄乃さんは命を見る。
「命。あなたも頑張り屋さんだからね。坊やのこと、抱え込みすぎないで。気になる日は“気になる”って言っていいのよ」
「……はい、お婆様」
次に、恵へ。
「恵も。支えるのが上手い子ね。けれど、全部を整えようとしなくていいの。楽しい時間も残しておきましょう」
「承知いたしましたわ」
最後に日和へ視線を戻す。
「日和さん。あなた、場を明るくするのが上手ね。今みたいに、自然に笑える方へ連れていってあげて」
「……はい。得意です」
日和は照れたみたいに頬をかいて、でも真面目に頷いた。
澄乃さんは満足そうに笑って、立ち上がる。
「では、私はお茶だけいただいて戻るわね。皆さん、ゆっくり食べて」
「はい」
澄乃さんが廊下へ戻ると、食卓の空気はさらに軽くなった。
軽いのに、崩れない。温かいまま、ちゃんと前へ進む感じだけが残った。
日和が小声で言う。
「……澄乃さん、めちゃくちゃ優しい」
「そうですわね」
命が箸を取り直して、淡々と言った。
「……お婆様は、いつもそうです」
俺は味噌汁を一口飲んで、息を吐いた。
秘密はまだ言わない。
でも、“倒れない約束”は、もう俺だけのものじゃない。
食卓の温度が、少しだけ前に進んだのが分かった。
お風呂のあと、ハヤトは一人で澄乃の部屋へ向かった。襖の前で一度だけ息を整える。
「澄乃さん。ハヤトです」
「どうぞ。入っていらっしゃい」
澄乃は湯呑みを二つ用意して待っていた。灯りが柔らかい。
「最近時間が取れずすみません」
俺が言うと、澄乃さんは湯呑みを指先でそっと回して、穏やかに笑った。
「いいのよ命や恵さんの事もあるし」
「久しぶりに恋人の時間なんてどうです?」
澄乃さんの目尻がさらに柔らかくなる。
「ふふ嬉しいわね」
「……ねえ。最近、寂しかった?」
俺は一拍置いて、嘘をつかない方を選ぶ。
「少しだけ」
「ふふ。正直でえらい」
澄乃さんに近づきキスをする。
「坊や、愛してるわ」
「俺もです」
その後盛り上がった俺たちは久しぶりにハッスルしすぎてしまった。
あまりの激しさに澄乃さんはがに股で失神してしまった。