※この作品はR-18です。

男女比1対100の彼女たちの世界で   作:ののじん

149 / 238
149話 白線の向こう2

 廊下セットの空気が、最後のテイクでふっとほどけた。

 

「カット。——OK。今日はここまで!」

 

 助監督の声が走って、現場が一斉に動き出す。ライトが落ち、ケーブルが巻かれ、次の班が入る準備を始める。撮影の終わりは静かじゃない。けど、俺の中だけは静かになっていく。

 

 監督が俺のところに来た。

 

「止める、余韻、導く、全部繋がった。君、盛らないのが強いな」

「ありがとうございます」

「礼はいい。次は別ロケ。今日みたいに“削る”で頼む」

 

 浅野さんが横から紙を出す。

 

「次の予定。平日、放課後に軽い合わせが一回。土日はロケがもう一日」

 

 俺は頷いた。

 

「撤収、押してますか。終わり、どのくらいですか」

 

浅野さんは手元の進行を見て答えた。

 

「予定より少しだけ。今から出れば、遅くてもこのくらい」

「分かりました。家に一言入れます」

「そうして。未成年なんだから、そこはちゃんとして」

 

 スマホを取り出す。命に短く送る。

 

『今終わった。これから帰る。遅くなるけど戻る。』

 

 送って、画面を伏せる。

 

 帰り道、電車の窓に自分の顔が映る。

 制服でも、セットでもない。いつもの俺に戻っていく途中の顔。

 

 ポケットの中で、香盤の紙が少しだけ角を立てている。

 今日撮ったのは、あのドラマの“始まり”だ。

 

 主人公を止める。

 説明しない。

 導く。

 

 短い台詞と、短い間。

 それだけで成立するのが、怖いくらいに面白い。

 

 スマホが震えた。

 

 命

『はい。お疲れさまです。気をつけて。待っています。』

 

 短い。けど、ちゃんと届く。

 

 俺も短く返す。

 

『帰ったら言う』

 

 家に着くと、玄関の灯りがついていた。

 

 靴を脱いだ瞬間、廊下の奥から足音がする。

 命が出てきた。表情は薄い。でも、目が真っ直ぐだ。

 

「……お帰りなさいませ、隼人さん」

「ただいま」

 

 命の手が、俺の腕を探して、そっと添えられた。家の中でも自然になってる。

 

「お茶を、入れます」

「頼む」

 

 台所の湯気が立つ。湯呑みが二つ、音を立てずに置かれる。

 命は座っても、距離を詰めすぎない。ただ、視線だけは外さない。

 

「……今日の“用事”は、無事に済みましたか」

「ああ終わった」

 

 短くても、ちゃんと“恋人の時間”になる。

 

 そのとき、襖の向こうから澄乃さんの声がした。

 

「坊や、帰ったの?」

「はい。澄乃さん」

 

 襖が少し開いて、澄乃さんが顔を出す。怖さはない。いつも通り柔らかい。

 澄乃さんは命を見る。

 

「命、ちゃんと話せてる?」

「……はい。今、ちょうど」

「いいわね。続けなさい。私はそれで満足」

 

 それだけ言って、澄乃さんは襖を閉めた。

 音が静かで、優しい。

 

 命が小さく息を吐く。

 

「……お婆様、嬉しそうでした」

「澄乃さんはそういう人だ」

「はい」

 

 命は湯呑みを両手で包んで、言った。

 

「明日もちょっと行ってくる」

 

 命が頷く。

 

「はい」

 

 命の指先が、俺の袖を軽く摘んだ。引き留めるほど強くはない。けれど、離さない程度に確かめるみたいな力。

 

「……遅くなりますか」

「少し」

「……分かりました。では」

 

 命は小さく息を吸って、言葉を整えた。

 

「無事、戻ってきてください」

「戻る」

 

 命が、ほんの少しだけ目を伏せる。

 

「……はい」

 

 それだけで終わる。深掘りしない。約束だけ残す。

 

 襖の向こうから、澄乃さんの声がやわらかく届いた。

 

「坊や。明日も頑張るのね」

「はい。澄乃さん」

「無理はしないでね」

「分かりました」

「うん。いい子」

 

 声が消えて、家の静けさが戻る。

 

 日曜の朝。土曜より少し遅い。外はもう明るい。

 スマホが震える。

 

 浅野

『本番(二日目)

 集合 8:40/回し 10:00

 教室セット→外観(校門前)

 到着したら連絡』

 

 俺は短く返す。

 

 隼人

『了解。向かいます。』

 

 玄関で靴を履くと、命が廊下の端に立っていた。起こしたくなくて音を立てないようにしてたのに、気づかれてる。

 

「……行ってらっしゃいませ」

「行ってくる」

 

 命は頷く。昨日より言葉が少ない。心配を増やさない言い方。

 

「……帰宅の目安は」

「昼過ぎ。押したら連絡する」

「はい」

 

 命は一歩だけ近づいて、俺の袖に触れない距離で止まる。

 

「……お気をつけて」

「分かった」

 

 そのまま家を出る。空気が冷たい。頭が冴える。

 

 スタジオは昨日と違うフロアだった。今日は教室セット。机が並び、窓の外の光も作られている。

 

 浅野さんに到着だけ伝える。

 

「着きました」

「うん。今日は教室から。代理を引き受ける場面、分かりやすく撮る。君は“出番は短いけど空気を変える”カットが多い」

「了解」

 

 監督が手を叩いた。

 

「二日目いくよ。今日は“輪の内側”の圧を見せる。主人公が代理として入ってくる、その瞬間の空気を作る」

 

 主人公役が教室のドア前に立つ。緊張を隠す顔。

 上位層の子たちが机の周りにいて、視線が揃っている。輪の中心は、椅子に座ったまま微笑む。

 

 俺は教室の後ろ側。壁にもたれて、目線だけで存在感を出す位置。

 派手な台詞はない。けど、ここで“俺がいる意味”が必要になる。

 

「よーい、スタート!」

 

 主人公が入ってくる。言われた通り、代理の紙を握ってる。

 

「……あの、今日、代わりに来ました。一条透花さんに頼まれて……」

 

 空気が止まる。

 輪の中の誰かが、わざと遅れて笑う。

 

「へぇ。代理って、そういうのもアリなんだ」

 

 主人公が言葉に詰まる。そこで、俺は動かないまま視線だけを上げる。

 

 監督が求めてるのは、ここだ。

 “輪”が崩れそうなときに、俺が線を引く。

 

 短い台詞。

 

「……時間、無駄だ」

 

 言い切って終わりじゃない。言い切った後の間で、教室の空気を戻す。

 

 輪の中心の子が、ふっと笑って空気を受け取る。

 

「……そうだね。じゃ、始めよっか」

 

 主人公が息を吸って、席に向かう。

 

「カット!」

 

 監督が頷く。

 

「いい。今の“無駄だ”は効いた。押し付けじゃなく、線だけ引いてる。もう一回、寄りで」

 

 寄り。逃げがきかない。

 昨日と同じ。盛らない。削る。

 

「よーい、寄り……スタート!」

 

 主人公の視線が揺れる。輪の圧が見える。

 俺はそこに一言だけ落とす。

 

「……やるぞ」

 

 導く側に切り替える。短く、迷わせない。

 

「カット。OK」

 

 二日目も、積み上がっていく。

 

 次は外観(校門前)。

 “注目の輪”が外でも見える場面だ。

 

 助監督が叫ぶ。

 

「外観いきます! 移動! 段取り早く!」

 

 俺はジャケットの襟を整えて、外の光の中へ出た。

 昨日より、少しだけ風が強い。

 

 でも、役の芯は変わらない。

 

 止める。

 余韻を残す。

 導く。

 

 その繰り返しで、二日目も進む。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。