月曜の朝でも、体は軽い。
週末が忙しくても、俺はちゃんと切り替えられる。
玄関で靴を履いていると、命が横に並んだ。言葉は少ないのに、手が先に来る。
「……行きましょう、隼人さん」
「ああ」
命の腕が、自然に俺の腕に絡む。外でも、もうこれが当たり前になっている。
門を出たところで、澄乃さんの声がした。
「坊や、いってらっしゃい」
「行ってきます。澄乃さん」
澄乃さんは穏やかに笑って、手を振った。送り出すだけ。背中に余計な心配を乗せない。
校門をくぐった瞬間、視線が刺さる。
悪意じゃない。希少な男子と、腕を組む命。形が見えると、人は勝手に納得したがる。
命は気にしない顔をして、ほんの少しだけ指先を強くする。
「……今日は、風が冷たいですね」
「手、冷たい?」
「……少し」
俺は歩幅を合わせたまま、命の手をそっと取る。強く握らない。
「こっち」
手をつないだまま、その手ごと俺のコートのポケットに入れる。
命の指先が一瞬止まって、すぐに力が抜けた。
「……温かいです」
「ならいい」
命は視線を前に戻したまま、小さく頷く。
「……はい」
昼休み、屋上。
扉を開けた瞬間、日常の音が戻ってきた。
「お、ハヤトさん」
日和が先に気づく。テンポは早いけど、騒がない。
「命さん、今日も安定してる」
「……こんにちは、日和さん」
命が丁寧に返す。
「こんにちは、日和」
恵が淑やかに言う。
「席が整っているのは結構ですけれど、風邪だけは召しませんように」
「恵、そういうとこ母」
「褒め言葉として受け取りますわ」
レンは少し遅れてやってきて、息を吐いた。
「おはよう。……風、冷たいね。レン、ほら、こっち」
日和が当たり前みたいに場所を作る。呼び捨てはレンだけ。そこだけで距離が分かる。
俺は壁にもたれて、水を一口飲んだ。
日和が軽く、でも外さずに言う。
「週末、用事あったんでしょ。……ちゃんと寝た?」
「寝た」
「よし。じゃ、今日はそれでいいや」
深掘りしない。そこで止める。空気が軽くなる。
恵が扇子もないのに扇子みたいな間で言う。
「放課後の予定は、詰まっていませんの?」
「今日は大丈夫」
命が俺の腕にそっと触れたまま、静かに言った。
「……無理は、していませんか」
俺は短く頷く。
「してない」
レンが小さく目を丸くした。
「……なんか、みんな、優しいね」
「レン、今さら?」
日和が笑う。
「優しいっていうか、普通に守るだけ」
レンは照れたみたいに視線を逸らして、でも声は少しだけ大きくなる。
「……僕も、ちゃんとする」
「お、いいね。レン、行こ」
「うん」
日和が引っ張って、レンがついてくる。自然すぎて、見ていて安心する。
屋上の空気が、いつもの温度に戻ったところで、スマホが震えた。
浅野さんだ。
『次回:水曜 放課後 17:10入り。軽い合わせ(台本読み直し)』
俺は画面を伏せて、息をひとつ吐いた。
日常に戻っても、止まらない。
でも、屋上がある。命の腕がある。
日和が俺の顔を見て、軽く言う。
「用事?」
「……分かる?」
「分かるよ。だからさ」
日和は笑って、だけど声は落とす。
「今日は、帰り道だけはちゃんと楽しいやつ。命さん、連れてってあげて」
命が小さく頷く。
「……はい。連れていきます」
恵が満足そうに言う。
「素晴らしいですわ。日常は、積み上げてこそですもの」
レンが小声で言った。
「……みんな、頼もしい」
日常に戻っても、俺の中の線は消えない。
でも、線のこちら側に“帰る場所”がある。
それだけで、次も行ける。
チャイムが鳴って、昼休みが終わる合図が校舎に響いた。
「じゃ、戻ろ」
日和が軽く言う。
「ええ」
恵が頷く。
「午後の授業は、さぼれませんわ」
「……僕も戻る」
レンが小さく言う。
いつもの流れで、屋上の空気がたたまれていく。
放課後。門を出ると、風が冷たかった。
命はいつも通り俺の腕に絡む。
恵も隣に並んで、歩幅をきっちり揃える。
「……帰りましょう、隼人さん」
「ああ」
「寄り道は、できますわ」
恵がさらっと言う。
「時間は押しておりませんもの」
日和の言葉を思い出す。
“帰り道は普通に”。それだけでいい。
命が前を見たまま言う。
「……寄り道、しますか」
「したい」
恵が小さく頷く。
「では、甘いものにいたしましょう。隼人さんはお好きでしょう」
命が一拍置いて、静かに言った。
「……私も、甘いものは嫌いではありません」
商店街の手前で、恵が店を一つ選ぶ。派手じゃない、でも品がいい焼き菓子屋。
「ここ。最近できたの。並びすぎないのも、よろしいですわ」
店に入ると甘い匂いがする。
恵は店員に丁寧に頭を下げてから、命に視線を向けた。
「命、選びなさいませ」
「……はい」
命は迷わず二つ。俺には一つ、恵には一つ。
外に出ると、命が袋を抱えて小さく言う。
「……楽しいですね」
「そうだな」
俺が短く返す。
恵が満足そうに言った。
「日常は、こういう小さな寄り道で整いますわ」
別邸に戻ると、玄関の灯りがついていた。
靴を脱いだところで、奥から足音が走ってくる。
「命姉ー!」
千佳が顔を出した。久しぶりに“ちゃんと来た”感じだ。毎日会ってても、こうやって突撃してくるのは久々。
命が一拍置いて、いつも通りに返す。
「……千佳。どうしました」
「今日、いいことあった!」
千佳は俺を見つけると、目を輝かせた。
「ハヤト兄もいる! 聞いて!」
「聞く」
千佳は胸の前でプリントを振った。
「小テスト、めっちゃ良かった!」
紙の端が少し折れてる。握りしめてきたんだろう。
「ほら、これ!」
命が覗き込む。
「……すごいですね」
「でしょ! 前回より上がったの!」
千佳は照れたみたいに笑って、でも誇らしそうに言う。
「先生に“ちゃんと積み上げたね”って言われた。私、そういうの嬉しい」
俺は短く言う。
「努力したな」
「うん!」
千佳は勢いよく頷いて、命の方を見る。
「命姉も褒めて!」
命が一拍置いて、丁寧に言った。
「……よく頑張りました。千佳は、続けられるのが強いです」
「命姉が言うと、重くて嬉しい!」
千佳は笑ってから、ふと俺と命の腕に目を向ける。
「てか今日も腕組み。ラブラブすぎ~」
「……はい。ラブラブです」
命は表情を崩さないまま言い切った。
千佳が満足そうに頷く。
「じゃ、私、今日の点数見せびらかしてくる」
千佳は手を振って、廊下の奥へ走っていった。
「またね、命姉! ハヤト兄も!」
軽い足音が消える。
家の中の温度が、少しだけ上がった。