水曜。放課後。
授業が終わって、俺は真っ直ぐ校門へ向かった。命の腕が自然に絡む。恵も隣で歩幅を揃える。いつもの形のまま、いつもの顔で。
「今日は、少し寄り道ですか」
恵が上品に言う。
「いや。今日は直で行く」
「……用事、ですね」
命が言う。
「うん。終わったら戻る」
俺がそう言うと、命の指先が少しだけ強くなる。
「……はい」
校門の前で、恵が立ち止まった。
「では、ここで。隼人さん」
「ありがとう」
「当然ですわ。帰りの目安だけは、忘れずに」
「分かった」
命が小さく頭を下げる。
「……気をつけてください」
「大丈夫」
短く言って、俺は走らずに早足になった。
現場は前回と同じスタジオ。今日は「合わせ」だけの予定だった。
でも、入ってすぐ空気が違うのが分かった。
人が増えてる。スタッフの声も少し低い。動きが速い。
浅野さんが俺を見つけて近づく。
「ハヤトくん、来たね。更衣室先に。今日は変更がある」
「変更?」
「一条透花役――中田涼子さんが現場入りした。顔合わせ兼ねて、撮れるところは撮る」
俺は頷いた。
「分かりました。俺、何を押さえる?」
「まずは“輪の中心”の空気。君はそこに立つだけで線が引ける。台詞も少し足す」
「足すのは歓迎」
自分で言って、少し笑いそうになる。
俺は台詞が少ない枠だ。けど、足すなら足すで、ちゃんと使う。
教室セットに入ると、中央に一人だけ別の温度がいた。
中田涼子。
何というか雰囲気が温かい。
涼子さんは俺を見て、にこりと笑った。
「瀬良役の人よね。今日はよろしくね」
声は柔らかい。だけど、距離は詰めさせない。
俺は一歩だけ近づいて止まる。礼は崩さない。
「よろしく。俺は天城隼人」
涼子さんの眉がほんの少し上がる。
“自分から名乗る”のが意外だったのかもしれない。
「ふふ。ちゃんと喋るんだ」
「必要なら喋る」
監督がすぐに入ってくる。
「いい、その温度。中田さん、強いね。天城君は“強く言わない強さ”で合わせて」
涼子さんが軽く頷く。
「うん。じゃ、さくらちゃん呼ぶ?」
高瀬紡役――白石さくらさんが入ってくる。台本を胸に抱えてる。代理としてグループに入る緊張が、目に出てた。
「お疲れさまです。白石さくらです。よろしくお願いします」
声は小さめだけど、言い切りははっきりしている。
中田涼子さんが立ち上がって、軽く手を振った。
「よろしくね、さくらちゃん。今日も一緒に頑張ろ」
浅野さんが横から補足する。
「ハヤトくん、さくらさんとは初日に顔は合わせてるけど、ちゃんと挨拶するのは今日が初めてよね」
俺は一歩前に出て、短く言った。
「ハヤトです。よろしく」
白石さんが少しだけ肩の力を抜いて、頭を下げる。
「よろしくお願いします」
監督が手を叩いた。
「本番いきます! よーい!」
俺は位置に立つ。
台詞が増えても、やることは変わらない。
止める。
余計を削る。
必要な一言だけ残す。
「スタート!」
透花の輪の中心が、今日の現場を動かし始めた。
高瀬紡役――白石さくらさんが教室の入口に立つ。手元の紙を握りしめて、視線だけが落ち着かない。代理として入ってくる“初日”の顔だ。
中田涼子さんは椅子に座ったまま、笑う。
笑ってるのに、教室の空気がそっちに寄る。
「紡ちゃん、これお願い」
透花としての声は柔らかい。
でも頼み方は命令に近い。輪の中心は、そういう温度で回る。
「……はい。一条さん」
紡が一歩入った瞬間、周りの視線が集まる。
台詞は少ないのに、そこだけで“輪に入った”が伝わる。
取り巻き役の子が、わざと遅れて言う。
「代理って、便利だね」
紡の指が紙を握り直す。返し方が分からない顔。
俺は動かないまま、先に言葉を落とした。
「高瀬。最初に言っとく」
紡が俺を見る。
「代理でも関係ない。やることやればいい」
余計な慰めじゃない。線を引くだけ。
教室の空気が少しだけ戻る。
「やさしいのね、瀬良くん」
透花が笑う。
「やさしくない。面倒が増えるのが嫌なだけだ」
「それを、やさしいって言うの」
透花の一言で、また空気が整う。中心は自分で締め直せる。
「カット!」
監督の声が入る。
「いい。今の流れ、全員そのまま。次、寄り。瀬良、目線だけもう少し下げて。紡は息を一回飲んでから返事」
「了解」
白石さんが小さく頷いて、深呼吸をする。
中田さんが笑って言う。
「もう一回いこ。大丈夫」
素の声だ。
でも、次の瞬間には役に戻る。
「寄り、いきます! よーい!」
「スタート!」
カメラが近い。逃げがきかない。
紡が紙を差し出す。
「……一条さんに頼まれて。今日だけ、代わりに回してます」
紡が自分で言った。
その一行で、代理の理由がちゃんと立つ。
取り巻きの視線が動く。
透花が軽く顎を上げる。
「そう。だから、お願いね」
俺は余計に動かない。
言葉を一つだけ足す。
「高瀬。迷うな」
紡の目が一瞬だけ戻る。
「……はい」
その返事が、画として足りる。
「カット。OK!」
監督が頷いた。
「次、外観(校門前)に移る! “注目グループ”の圧を外でも見せる。瀬良は歩くだけで線ができるから、歩きで押さえる」
助監督が叫ぶ。
「移動! 外観、段取り急いで!」
スタッフが一斉に動く。
俺はジャケットの襟を整えて、浅野さんの方を見た。
「次、俺の動きは?」
「校門前。まず透花が出てくる。次に紡。最後に君が横切って、空気を変える。台詞は一言だけ増える」
「何て?」
浅野さんが香盤を指でなぞる。
「『……そこじゃない』。ルートを変える台詞。短く、誘導」
「分かった」
外に出ると、夕方の光が冷たくてきれいだった。
校門セットの前に、白いテープがまた貼られている。立ち位置。動線。視線。
止める。
導く。
それだけで、物語が進む。