※この作品はR-18です。

男女比1対100の彼女たちの世界で   作:ののじん

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155話 白線の向こう7

 監督が俺を呼ぶ。

 

「今日は瀬良を一段進める」

「止めるだけじゃない。紡を“通す”。線の向こうへ置く」

「分かりました」

「台詞は増やす。短いまま、決める言葉」

 

 監督が紙を見て言った。

 

「『ここは通る。俺が言う』」

 

 俺は頷いた。

 

「言える」

「段取りいきます!」

 

 助監督が声を張る。

 

 白石さくらさんが廊下の端に立つ。

 今日は走らない。歩く。視線の中を。

 

 中田涼子さんは少し離れた位置。

 中心は中心の距離のまま、噂を見下ろす側にいる。

 

「よーい」

「スタート」

 

 廊下。

 

 紡が歩く。手元は空。

 提出は終わった。でも、空気は終わってない。

 

 前から、別のクラスの女子が二人来る。

 声は小さい。でも、聞こえる。

 

「ねえ、あの子じゃない?」

「透花の“代理”の」

 

 紡の肩が一瞬だけ固くなる。

 歩幅が乱れそうになる。

 

 そこへ、注目グループ側の子がわざと大きめに言う。

 

「代理が調子乗ったらしいよ」

「瀬良くんが庇ったって」

 

 視線が集まる。

 紡が足を止めそうになる。

 

 俺は廊下の横から出る。

 止めるためじゃない。通すために。

 

 紡の横に並ぶ。半歩前。

 俺は前を見たまま言う。

 

「ここは通る」

 

 廊下の空気が止まる。

 

 誰かが笑う。

 

「瀬良くんが言うなら、特別?」

 

 俺は視線を動かさずに返す。

 

「特別じゃない」

「俺が言う」

 

 短い。

 でも、その二行で、線が引き直される。

 

 紡が息を吸って、足を出す。

 止まらない。

 

 後ろで、透花が笑う声がする。

 

「……瀬良くん、強いね」

 

 俺は返さない。

 返すと空気が揺れる。今は揺らさない方がいい。

 

 紡が小さく言う。

 

「……ありがとうございます」

 

 俺は同じ速さのまま言う。

 

「前見ろ」

「はい」

 

 それだけでいい。

 

「カット!」

 

 監督が頷いた。

 

「いい。今の瀬良の二行で、紡が“外側じゃない”になる」

「もう一回。瀬良は声をさらに落とす。強さを見せない」

 

「了解」

 

 二回目。

 

「スタート」

 

 噂が飛ぶ。視線が刺さる。

 紡が乱れそうになる。

 

 俺は並んで言う。

 

「ここは通る」

 

 間を置いて。

 

「俺が言う」

 

 紡が頷いて、歩く。

 自分で越えたように見える。

 

「カット。OK!」

 

 監督が手を上げた。

 

「今ので決定。次、外観で締める。噂が校門まで出る」

 

 助監督が叫ぶ。

 

「外観、移動!」

 

 外観(校門前)。

 

 人の数が増える。

 噂は教室だけじゃ終わらない。外に漏れて、視線の数になる。

 

「よーい」

 

「スタート」

 

 透花が中心のまま歩く。

 紡が少し遅れて付く。もう逃げない顔。

 

 俺は横切りで入る。

 今日は止めない。通す。

 

 紡が門をくぐる瞬間、誰かが言う。

 

「代理、もう代理じゃなくない?」

 

 笑い声が混じる。

 

 俺は横を通りながら、短く言う。

 

「気にするな」

 

 紡が頷く。

 

「……はい」

 

 透花が振り返らずに言った。

 

「紡ちゃん。次、こっち」

 

 紡が迷わず動く。

 中心の指示を受けてるのに、もう“従ってるだけ”には見えない。

 

「カット!」

 

 監督が頷いた。

 

「OK。これで“転”が回った。次が決着だ」

 

 撤収の声が上がる。

 俺は水を受け取って、一口飲む。

 

 浅野さんが近づいた。

 

「今日の瀬良、よかった。言葉が増えたのに、キャラが壊れてない」

「必要なら言う」

「そのままで。次でクライマックス」

「了解」

 

 命に連絡を送る

 スマホが震える

 

『お疲れさまです。温かいものを用意しています』

 

 短い。

 でも、それで十分だ。

 

 俺はポケットにスマホを入れて、帰り支度を始めた。

 次で、線を越える。今度は“戻れない”方へ。

 

 撤収が始まると、現場の人の動きが一気に現実に戻る。

 照明が落とされ、テープが剥がされ、カメラがケースに収まっていく。さっきまでの廊下が、ただのスタジオの通路になる。

 

 白石さくらさんが、壁の方に寄って小さく息を吐いた。

 

「……疲れますね」

「疲れる」

 

 俺は短く返す。

 

 白石さんが笑った。

 

「でも、楽しいです。怖いけど」

 

 中田涼子さんが水を持ってきて、白石さんに渡す。

 

「怖い時は、怖い顔していいんだよ」

「怖い顔、できるかな」

 

 中田さんが軽く肩をすくめる。

 

「できるよ。今の廊下、ちゃんと出てた」

 

 白石さんが少しだけ目を丸くする。

 

「出てました?」

「出てた」

 

 俺も言った。

 

「止まりかけたところ、ちゃんと踏ん張ってた」

 

 白石さんは一拍置いて頷く。

 

「……ありがとうございます」

 

 ああいう場面は、褒め言葉が効く。

 でも、言い過ぎると軽くなる。だから短く、確実に。

 

 監督がスタッフと話しながらこちらを見た。

 

「天城君、最後の外観の『気にするな』、よかった」

「了解です」

「次、決着は教室で撮る。瀬良は“言うべき一言”が来る」

 

 監督はそこまで言って、少しだけ間を置いた。

「増やすけど、長くしない。短いのに、逃げ道を塞ぐ一言」

 

「分かりました」

 

 浅野さんが横で頷く。

 

「今日はこのあと、簡単にカメラテストだけやって終わり。立ち位置確認だけ」

 

「了解」

 

 カメラテストはあっさり終わった。

 教室セットに戻って、机の配置と、目線の高さと、距離を確かめるだけ。

 

 助監督が声を張る。

 

「本日、全行程終了! 忘れ物確認! お疲れさまでした!」

「お疲れさまでした」

 

 現場の声が揃って返る。

 

 中田さんが俺に軽く手を振った。

 

「ハヤトくん、また来週」

「よろしくお願いします」

 

 白石さんも頭を下げる。

 

「またお願いします」

「お疲れ」

 

 俺は短く言う。

 

 浅野さんがスマホを見ながら歩いてきた。

 

「帰り、混みそう。駅まで一緒に出る?」

「出ます」

「よし。じゃ、外で」

 

 スタジオの外に出ると、空気が冷たかった。

 息を吐くと白い。現場の熱が、体の外へ抜けていく。

 

 浅野さんが歩きながら言う。

 

「今日の瀬良、良かった。噂を止めるんじゃなく、通した」

「止めても増える」

「そう。だから通した」

 

 浅野さんは少し笑った。

 

「君の役、そういう理屈が似合う」

「俺も、そう思う」

 

 浅野さんが横を見る。

 

「明日、家で台本読める?」

「読める」

「じゃあ、次の山の台詞だけ送る。短いから」

「了解」

 

 浅野さんはそれ以上は言わない。

 管理者として必要なことだけ言って、あとは任せる。それが浅野さんのやり方だ。

 

 駅のホームで、スマホが震えた。

 命からのメッセージが、もう一通増えている。

 

 命

『恵さんも一緒におります。お帰りの時間が分かりましたら、教えてください』

 

 恵もいる。いつもの形だ。

 俺は短く返す。

 

 隼人

『今電車。着いたら送る』

 

 送って、画面を伏せる。

 周りの乗客の顔を見ない。今は役じゃない。役の視線は、現場に置いてきた。

 

 揺れる車内で、俺は今日の台詞を思い出す。

 

「ここは通る」

「俺が言う」

 

 言葉は短い。

 でも、あれは“守る”の形だ。

 

 次はもっと決定的になる。

 紡が自分で越える。透花が迷いを捨てる。瀬良が一言で押す。

 

 その一言は、まだ知らない。

 知らないけど、分かる。

 

 次がクライマックスだ。

 

 最寄り駅に着いた。

 改札を抜けて、冷たい空気の中を歩く。

 

 門が見えたところで、スマホがまた震える。恵だった。

 

 恵

『今、玄関に灯りを点けましたわ。足元にお気をつけて』

 

 俺は短く返す。

 

 隼人

『分かった』

 

 門をくぐる。

 線のこちら側へ戻る。

 

 次に越える線が、もう見えているのに。

 今は、帰る。今夜は、温かいものを食べる。

 

 それで十分だ。

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