土日の現場は、同じ教室セットでも空気が違う。
今日は「決める日」だと、入った瞬間に分かった。
机の配置が、昨日より少しだけ狭い。
囲う形になってる。逃げ道が減る。だから画が締まる。
監督が手を叩いた。
「今日で教室は決着まで撮る」
「紡が席を取る」
「透花が認める」
「瀬良が最後に一言。短く、逃げ道を消す」
「了解です」
白石さくらさんが頷く。
中田涼子さんは笑ってるけど、目が少しだけ鋭い。中心の顔だ。
助監督の声が落ちる。
「よーい」
「スタート」
教室。
透花が中心の席にいる。取り巻きが周りを固める。
紡は少し離れた位置でプリントを揃えている。代理の仕事の延長みたいに見える位置。
取り巻きが言う。
「ねえ、今日もそれやるの?」
「透花の代わり、いつまで?」
紡は顔を上げる。返事は急がない。
一拍置いてから言う。
「代わりじゃない」
「頼まれた分をやってるだけ」
取り巻きが笑う。
「同じじゃん」
透花が軽く言う。
「紡ちゃん。落ち着いて」
優しい言い方に見える。
でも中心の声は、相手を下げることもある。
紡は透花を見る。
頭は下げない。
「落ち着いてます」
「私は、私でやります」
教室が止まる。
中心に向かって、その言い方は珍しい。
取り巻きが噛みつく。
「透花に向かって何それ」
「代理のくせに」
紡が息を吸う。
言い返すんじゃない。線を引くために言う。
「その呼び方、やめてください」
「私の名前で呼んで」
透花の笑みが一拍遅れる。
迷いが出る。でも、長くは出さない。中心は迷い続けられない。
透花はゆっくり立ち上がる。
教室の空気が、透花に寄る。
「……分かった」
透花は取り巻きを見た。
「今日から『代理』って言うの、やめて」
取り巻きが言葉を失う。
中心が決めたら、ルールになる。
透花は次に、紡を見る。
「紡ちゃん」
「席、こっち」
透花が、自分の隣の席を指で示す。
中心の隣。注目グループの内側。いちばん分かりやすい場所。
紡の目が揺れる。
嬉しさじゃない。重さに揺れてる。
「……いいんですか」
透花は短く言う。
「私が決めた」
取り巻きが小さく言う。
「でも……」
透花は視線だけで止める。
「でも、じゃない」
教室が静かになる。
紡は一歩進む。
そこで俺の役が、最後に入る。
俺は壁際から一歩だけ出て言う。
「行け」
短い。
でも、その一言で、紡の迷いが終わる。
紡が頷く。
「……はい」
紡が席に着く。
中心の隣に座っても、へりくだらない姿勢で座る。
紡が透花を見る。
「私、ここでやります」
「透花さんの代わりじゃない」
透花が一拍置く。
それから、笑った。
「うん」
「じゃあ、よろしく」
紡が返す。
「よろしくお願いします」
ここで初めて、紡の声が落ち着く。
席を得た声になる。
「カット!」
監督が手を上げた。
「OK。今の透花の『私が決めた』、最高」
「紡の『ここでやります』も刺さった」
「瀬良の『行け』、短いのに決まった」
教室セットの空気が、やっとほどける。
スタッフが動き出して、現実の音が戻る。
白石さんが息を吐いた。
「……やっと、座れました」
「そうだな」
俺は短く言う。
「よかった」
中田さんが笑う。
「ね。やっとだよ」
監督が香盤を見て言った。
「教室は回収できた。次は余韻」
「“席ができた後”の静けさを一本だけ撮って終わろう」
助監督が声を張る。
「次、余韻の一本! 準備お願いします!」
助監督の声が飛ぶと、教室の中がもう一度だけ静かになる。
机の位置はそのまま。人の立ち位置だけが、少しだけ整え直される。
監督が言った。
「余韻は台詞なし。席が決まった後の空気だけ、透花は中心のまま。でも、支配じゃない」
「紡は落ち着く。でも、媚びない。瀬良は入らない。距離で見せる」
「了解」
俺は壁際のテープに戻る。
入らない。入らないのに、見えるように。
「よーい」
「スタート」
教室。
透花が席にいる。いつもの中心の場所。
でもさっきと違うのは、周りが黙ってることだ。
紡が隣でプリントを揃える。
手の動きが落ち着いている。速くもしない。遅くもしない。
取り巻きが、少し離れた場所で視線を泳がせる。
言いたいことがある顔をしてる。でも、言えない。
透花がペンを回して、軽く息を吐く。
それだけで、教室の温度が整う。
紡が顔を上げる。
透花と視線が一瞬だけ重なる。
紡が小さく頷く。
透花が笑って返す。
たったそれだけ。
でも、さっきの「席」が本物になったのが分かる。
「カット」
監督の声が優しかった。
「OK。今の一枚で締まる」
教室の中に、現場の音が戻る。
椅子が鳴って、スタッフが動いて、ケーブルを巻く音がする。
助監督が言った。
「本日、教室終了! 撤収入ります!」
白石さくらさんが深く息を吐いた。
「……ありがとうございました」
「お疲れ」
俺は短く返す。
中田涼子さんが白石さんの肩を軽く叩いた。
「お疲れ。よくやったね」
「はい」
白石さんの声が、さっきより落ち着いていた。
監督がこっちを見て言う。
「瀬良、今日の最後」
「余計なことしてないのがいい。短い一言で決まってる」
「了解です」
浅野さんが俺の横に来る。
「教室の山は回収できた。次からは余韻と、次の流れの仕込み」
「次は何」
「透花が“中心として認めた後”、外でどう見られるか」
浅野さんは短く言った。
「噂が変わる」
「分かった」
更衣室で私服に戻って、スマホを出す。
短く送る。
隼人
『今終わった。これから帰る』
少し間があって、返事が来た。
命
『はい。お待ちしています』
短い。
でも、それで十分だ。
ポケットに入れて、スタジオを出る。
外の空気が冷たい。
線の向こう側に立つ役をやって。
線のこちら側へ帰る。
その往復が、今の俺のリズムになっていた。