※この作品はR-18です。

男女比1対100の彼女たちの世界で   作:ののじん

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158話 白線の向こう9

 教室の山を回収した翌週。

 スタジオに入った瞬間、空気が少し硬いのが分かった。

 

 噂のシーンは、現場の外にまで伝染する。

 演技じゃなく、空気として。

 

 浅野さんが俺に寄って言う。

 

「今日が決着。外で刺す。廊下と外観で締める」

「了解」

「台詞は最後に一行だけ。増やす。でも長くしない」

「分かった」

 

 廊下セット。

 

 床の白い線が目に入る。立ち位置のテープ。

 撮影用の線なのに、作品の白線に見える。

 

 監督が言う。

 

「紡はもう迷わない。透花は認めた。でも、中心であることは変えない」

「瀬良は、今日は“止める”じゃない。線を越えさせる」

 

「よーい」

「スタート」

 

 紡が廊下を歩く。

 中心グループの隣に座った翌日だ。だから視線の質が変わっている。

 

 小声が飛ぶ。

 

「ほんとに、席できたんだ」

「透花が認めたって」

 

 別の小声が刺さる。

 

「でも、結局さ」

「瀬良が言ったから通れたんでしょ」

 

 紡が一瞬だけ足を止めかける。

 その言葉は、紡の努力を否定する形になるから。

 

 透花が少し離れた位置で歩いている。

 中心の速度。振り返らない。

 

 紡は、息を吸う。

 止まらない。止まらないまま、言葉だけ出す。

 

「違う」

 

 声は大きくない。

 でも、廊下の空気が変わる。

 

「私が決めた。ここでやるって」

 

 周りが静かになる。

 噂は騒ぐほど弱くなる。

 

 そこで、透花が初めて足を止めた。

 振り返って、紡を見る。

 

 透花の顔は笑っていない。

 中心の顔で言う。

 

「聞こえた?」

 

 取り巻きたちが固まる。

 

「私が言った」

「紡ちゃんは、ここ」

 

 短い。

 中心が決める声は、言い訳がない。

 

 紡は透花を見て、頭を下げない。

 代わりのままじゃ終わらない姿勢のまま、頷く。

 

「はい」

 

 透花が小さく笑う。

 

「行こ」

「はい」

 

 それで充分なはずなのに、最後の一刺しが来る。

 

 廊下の端から、誰かが言う。

 

「瀬良がいなかったら、どうしてたの?」

 

 空気が止まる。

 紡の指先が、ほんの少しだけ揺れる。

 

 ここだ。

 ここが、瀬良一の最後の役目。

 

 俺は壁際から出る。

 紡の隣には立たない。半歩前に出る。

 

 視線をその声の方へ向けて、言う。

 

「俺がいなくても、同じだ」

 

 間を置く。

 

「紡が決めたから」

 

 それだけ。

 

 短いのに、逃げ道が消える。

 噂の居場所がなくなる。

 

 紡が息を吐く。

 その息が、初めて“自由”に見えた。

 

「カット!」

 

 監督が手を上げる。

 でもすぐには笑わない。余韻を壊さないためだ。

 

「……OK」

 

 その一言で、現場がほどける。

 

 外観のラストカットは台詞なしだった。

 透花が先に抜ける。

 紡が遅れずに並ぶ。

 俺が横切る。

 

 紡は止まらない。

 誰の声にも引っ張られない。

 

「カット。OK! オールアップ!」

 

 助監督が叫ぶ。

 

「オールアップです! お疲れさまでした!」

 

 拍手が起こる。

 大きすぎない拍手。ちゃんと温度のある拍手。

 

 白石さくらさんが目を潤ませる寸前で笑った。

 

「……終わった」

 

「終わった」

 

 俺は短く返す。

 

「お疲れ」

 

 中田涼子さんが軽く頷く。

 

「いい終わり方だったね」

「はい」

 

 現場の外に出たら、また別の線が待ってる。

 でも、作品の線は、ちゃんと越えた。

 

 拍手が落ち着いても、現場の熱はすぐには引かない。

 

 助監督が声を張る。

 

「オールアップ、段取りいきます! 集合写真、先に撮ります!」

 

 スタッフが忙しく動き出す。ケーブルが巻かれて、照明が落とされて、さっきまでの廊下がただのセットに戻っていく。

 

 白石さくらさんが、俺の方に小さく近づいてきた。

 

「ハヤトくん」

「ん」

「最後の『紡が決めたから』、助かりました。私、あそこ、目が泳ぎそうだった」

 

 俺は短く言う。

 

「泳がなかった」

 

 白石さんが笑う。

 

「……言い方が、瀬良だ」

 

 中田涼子さんが、後ろから合流してきた。

 

「二人ともお疲れ。いい締まり方だったね」

「お疲れさまでした」

 

 白石さんが頭を下げる。

 

「お疲れ」

 俺も短く返す。

 

 中田さんが俺を見る。

 

「ハヤトくん、台詞増えても、変わらないのすごい。変に説明しないで、ちゃんと決める」

「必要なとこだけ言う」

「うん。それ」

 

 監督がこちらに歩いてきて、手を上げた。

 

「三人、集合写真の前に一言。今日のラスト、良かった」

「ありがとうございます」

「透花の『私が言った』、あれが中心」

 

 監督は中田さんを見る。

 

「紡の『私が決めた』、あれが主人公」

 

 白石さんが小さく息を吐く。

 

「よかった……」

「瀬良は最後、二行」

 

 監督が俺を見る。

 

「一行目で空気止めて、二行目で回収した。あれで噂が死んだ」

「了解です」

 

 監督が頷く。

 

「いい。じゃ、写真行こう」

 

 集合写真は、笑顔が多すぎない。

 でも、空気は明るい。

 

「はい、寄ってください!」

 

 カメラマンの声。

 

 肩が触れる距離に人が並ぶと、現場って同じ方向を向いてたんだと分かる。

 

「いきます、せーの」

 

 シャッターの音。

 

「ありがとうございました!」

 

 また拍手が起きる。今度はさっきより軽い。

 

 廊下を抜けて更衣室の方へ向かう途中、浅野さんが追いついた。

 

「ハヤトくん」

「はい」

「今日で教室と廊下、区切り」

「次は別の場所。話は続くけど、山は一回越えた」

「分かった」

「帰りの時間、家に送って」

 

 浅野さんは淡々と言う。

 

「急に流れるものがあると、驚くから」

「分かった」

 

 浅野さんが少しだけ口元を緩めた。

 

「……ギフトのCM、少し前から出てる」

「知ってる」

「現場でも何人か見たって言ってた」

 

 浅野さんは小さく肩をすくめる。

 

「有名になるとかじゃない。『あ、見たことある』が増えるだけ」

「それでいい」

「その温度で行こう」

 

 更衣室の前で、中田さんが白石さんに声をかけた。

 

「さくらちゃん、帰り大丈夫?」

「大丈夫です。電車で帰れます」

「無理しないでね。こういう回のあと、変に疲れが来るから」

「はい」

 

 白石さんが頷いて、俺の方を見る。

 

「ハヤトくんも、ちゃんと食べてね」

「食べる」

「短っ」

 

 白石さんが笑って、少しだけ安心した顔になった。

 

 私服に戻って、スタジオを出る直前。

 

 スタッフの一人が俺に軽く会釈した。

 

「お疲れさまでした」

「さっきの二行、気持ちよかったです」

「お疲れ」

 

 俺はそれだけ返す。

 こういう時、長く話すと軽くなる。短い方がいい。

 

 外に出る。冷たい空気が俺の頬を撫でた。

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