百貨店の紙袋を抱えて、俺は門をくぐった。
「お帰りなさいませ、隼人さま」
執事の方が一礼する。
「ただいま」
俺は短く返す。
「荷物が多い。中は見ないでくれ」
執事の方が目を伏せる。
「承知いたしました」
俺は言う。
「俺の部屋に置く」
「かしこまりました」
俺はそのまま自室へ上がった。
中身を一つずつ確認して、名前ごとに分ける。包装の角を潰さないように、そっと並べる。
「……よし」
陽菜乃さんと千鶴さんの分は、箱に入れて送り状を書いた。
家を出ているから、今日の席にはいない。届く方が確実だ。
☆
クリスマス当日。
リビングに入った瞬間、匂いで分かった。
チキンの香ばしさ。甘いクリーム。焼き菓子じゃない、ちゃんと“今日はこれ”って匂い。
テーブルの上には、大きな皿がいくつも並んでいた。
ローストチキン。取り分け用のナイフとフォーク。
サラダとスープ。
そして、まだ箱のまま置かれたケーキ。
灯りは柔らかい。ツリーの光が、壁と天井に揺れている。
命はいつも通りの顔なのに、指先だけが落ち着かない。
恵が座ったまま微笑む。
「ちょうど良いお時間ですわ」
「冷める前に始めましょう」
綾乃さんが苦笑する。
「仕切りが恵さんなの、もう当然みたいになってるわね」
「当然ですわ」
由紀子姉さんが淡々と言った。
「母さん、チキン、切る?」
「……それは、任せようかしら」
綾乃さんが軽く笑って、執事の方を見る。
「承知いたしました」
執事の
刃が皮に入った瞬間、ぱりっと音がした。
湯気が上がる。匂いが濃くなる。
切り分けられた皿が、順に置かれていく。
手際は静かで、無駄がない。
千佳が目を輝かせる。
「わ、すご……!」
「これ、全部食べていいの?」
「いいよ」
綾乃さんが笑う。
「今日はね」
澄乃さんがソファからゆっくり近づいて、椅子に腰を下ろした。
「坊や」
「澄乃さん」
「いい匂いねえ」
澄乃さんが楽しそうに言う。
「こういうの、家の空気が柔らかくなるわ」
「うん」
俺が短く返すと、澄乃さんは満足そうに頷いた。
全員が席に着く。
執事の方が皿を置き、メイドの方が飲み物を注いでいく。手際が静かで、邪魔をしない。
恵がグラスを持ち上げる。
「では」
恵の声は上品で、いつもより少しだけ柔らかい。
「メリークリスマスでございますわ」
千佳が慌てて真似をする。
「め、メリークリスマス!」
由紀子姉さんが淡々と言う。
「発音はどうでもいい」
「乾杯」
「乾杯」
グラスが軽く鳴る。
音が小さいのに、ちゃんと“始まった”って分かる。
チキンを口に入れる。
皮がぱりっとして、肉が柔らかい。塩気がちょうどいい。
温かさが、胃の方へ落ちていく。
千佳が言う。
「うまっ……!」
「命姉、食べた?これやばいよ!」
「……はい」
命が小さく頷く。
「とても、美味しいです」
恵が静かに言った。
「……美味しいですわ」
恵が言う。
「渡会風香様。皆さま。お手間をありがとうございます」
「恐れ入ります」
渡会風香が一礼する。
命がチキンの骨をきれいに外して、皿の端に整える。
そういうところが、命だ。丁寧で、静か。
俺はその手元を見て、ひとつ息を吐く。
今日は、落ち着け。
食事が少し落ち着いたところで、恵がケーキの箱に手を置いた。
「そろそろ、甘いものへ移りましょう」
その言葉に合わせたみたいに、ワゴンが静かに入ってくる。
押しているのは執事の渡会さんだった。
銀の皿の上に、ホールが三つ。
まず、アップルパイ。
焼き色が綺麗で、表面が薄く光っている。
その横に、白いクリームのホール。苺が控えめに並ぶ。
もう一つは、チョコレートのホール。艶があって、切る前から濃い匂いがする。
千佳が目を丸くした。
「え、全部……?」
渡会風香が落ち着いた声で言う。
「はい。本日は三種でございます」
恵が微笑む。
「選べるのは、豊かですわ」
由紀子姉さんが淡々と口を挟む。
「千佳。走るな」
「走らない!」
千佳は勢いよく言ってから、姿勢を正す。
「……走りません」
渡会さんがアップルパイにナイフを入れる。
さくっと小さな音がして、湯気が薄く上がった。
りんごとシナモンの匂いが、リビングに広がる。
皿が順に置かれていく。
俺はアップルパイを選んだ。
フォークを入れると、層がほどけて、りんごが柔らかい。
千佳は苺のホールを見て、満足そうに頷いた。
「これ、勝ち」
命は少し迷ってから、アップルパイにした。
一口食べて、目を伏せる。
「……温かい」
その声が小さく落ちたところで、綾乃さんが手を止める。
「そうだ」
綾乃さんが言った。
「命。お誕生日、おめでとう」
千佳が勢いよく頷く。
「おめでとう、命姉!」
恵が上品に微笑む。
「おめでとうございます、命」
由紀子姉さんが淡々と言う。
「おめでとう」
澄乃さんが楽しそうに言った。
「おめでとう、命」
「いい日に生まれたわねえ」
命は一拍置いて、目を伏せる。
「……ありがとうございます」
それだけ。
でも、その一言が、今日の中心だった。
俺はフォークを置かずに言う。
「命。誕生日、おめでとう」
命が俺を見る。
ほんの少しだけ、口元がやわらかくなる。
「……はい、ありがとうございます、隼人さん」
会話はそれで終わる。
でも、灯りの温度が一段上がった気がした。
恵はチョコレートを選ぶ。
口に運んでから、上品に頷いた。
「濃いのに、重すぎませんわ」
綾乃さんが笑う。
「甘いもので喧嘩しないの、平和ね」
澄乃さんが楽しそうに言った。
「こういう日があると、明日もちゃんと頑張れるのよ」
「そうだな」
俺が短く返すと、澄乃さんは嬉しそうに頷いた。
皿が空いて、グラスの中身が少し減る。
会話は多くないのに、空気は温かい。
ツリーの灯りが揺れている。
その光の中で、命が俺の方を見る。
「……隼人さん」
「何」
命は少し迷ってから言った。
「……今日は、暖かくて」
「落ち着きます」
「俺も」
俺がそう返すと、命の口元がほんの少しだけやわらかくなる。
クリスマスは、こういうのでいい。
焦らない。騒がない。
ちゃんと温かいだけで、十分だ。