※この作品はR-18です。

男女比1対100の彼女たちの世界で   作:ののじん

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161話 クリスマスの匂い

 百貨店の紙袋を抱えて、俺は門をくぐった。

 

「お帰りなさいませ、隼人さま」

 

 執事の方が一礼する。

 

「ただいま」

 

 俺は短く返す。

 

「荷物が多い。中は見ないでくれ」

 

 執事の方が目を伏せる。

 

「承知いたしました」

 

 俺は言う。

 

「俺の部屋に置く」

「かしこまりました」

 

 俺はそのまま自室へ上がった。

 中身を一つずつ確認して、名前ごとに分ける。包装の角を潰さないように、そっと並べる。

 

「……よし」

 

 陽菜乃さんと千鶴さんの分は、箱に入れて送り状を書いた。

 家を出ているから、今日の席にはいない。届く方が確実だ。

 

 ☆

 

 クリスマス当日。

 

 リビングに入った瞬間、匂いで分かった。

 チキンの香ばしさ。甘いクリーム。焼き菓子じゃない、ちゃんと“今日はこれ”って匂い。

 

 テーブルの上には、大きな皿がいくつも並んでいた。

 ローストチキン。取り分け用のナイフとフォーク。

 サラダとスープ。

 そして、まだ箱のまま置かれたケーキ。

 

 灯りは柔らかい。ツリーの光が、壁と天井に揺れている。

 

 命はいつも通りの顔なのに、指先だけが落ち着かない。

 

 恵が座ったまま微笑む。

 

「ちょうど良いお時間ですわ」

「冷める前に始めましょう」

 

 綾乃さんが苦笑する。

 

「仕切りが恵さんなの、もう当然みたいになってるわね」

「当然ですわ」

 

 由紀子姉さんが淡々と言った。

 

「母さん、チキン、切る?」

「……それは、任せようかしら」

 

 綾乃さんが軽く笑って、執事の方を見る。

 

「承知いたしました」

 

 執事の渡会(わたらい)さんがナイフを取る。

 刃が皮に入った瞬間、ぱりっと音がした。

 湯気が上がる。匂いが濃くなる。

 

 切り分けられた皿が、順に置かれていく。

 手際は静かで、無駄がない。

 

 千佳が目を輝かせる。

 

「わ、すご……!」

「これ、全部食べていいの?」

 

「いいよ」

 

 綾乃さんが笑う。

 

「今日はね」

 

 澄乃さんがソファからゆっくり近づいて、椅子に腰を下ろした。

 

「坊や」

「澄乃さん」

「いい匂いねえ」

 

 澄乃さんが楽しそうに言う。

 

「こういうの、家の空気が柔らかくなるわ」

「うん」

 

 俺が短く返すと、澄乃さんは満足そうに頷いた。

 

 全員が席に着く。

 執事の方が皿を置き、メイドの方が飲み物を注いでいく。手際が静かで、邪魔をしない。

 

 恵がグラスを持ち上げる。

 

「では」

 

 恵の声は上品で、いつもより少しだけ柔らかい。

 

「メリークリスマスでございますわ」

 

 千佳が慌てて真似をする。

 

「め、メリークリスマス!」

 

 由紀子姉さんが淡々と言う。

 

「発音はどうでもいい」

「乾杯」

「乾杯」

 

 グラスが軽く鳴る。

 音が小さいのに、ちゃんと“始まった”って分かる。

 

 チキンを口に入れる。

 皮がぱりっとして、肉が柔らかい。塩気がちょうどいい。

 温かさが、胃の方へ落ちていく。

 

 千佳が言う。

 

「うまっ……!」

「命姉、食べた?これやばいよ!」

「……はい」

 

 命が小さく頷く。

 

「とても、美味しいです」

 

 恵が静かに言った。

 

「……美味しいですわ」

 

 恵が言う。

 

「渡会風香様。皆さま。お手間をありがとうございます」

「恐れ入ります」

 

 渡会風香が一礼する。

 

 命がチキンの骨をきれいに外して、皿の端に整える。

 そういうところが、命だ。丁寧で、静か。

 

 俺はその手元を見て、ひとつ息を吐く。

 今日は、落ち着け。

 

 食事が少し落ち着いたところで、恵がケーキの箱に手を置いた。

 

「そろそろ、甘いものへ移りましょう」

 

 その言葉に合わせたみたいに、ワゴンが静かに入ってくる。

 押しているのは執事の渡会さんだった。

 

 銀の皿の上に、ホールが三つ。

 

 まず、アップルパイ。

 焼き色が綺麗で、表面が薄く光っている。

 その横に、白いクリームのホール。苺が控えめに並ぶ。

 もう一つは、チョコレートのホール。艶があって、切る前から濃い匂いがする。

 

 千佳が目を丸くした。

 

「え、全部……?」

 

 渡会風香が落ち着いた声で言う。

 

「はい。本日は三種でございます」

 

 恵が微笑む。

 

「選べるのは、豊かですわ」

 

 由紀子姉さんが淡々と口を挟む。

 

「千佳。走るな」

「走らない!」

 

 千佳は勢いよく言ってから、姿勢を正す。

 

「……走りません」

 

 渡会さんがアップルパイにナイフを入れる。

 さくっと小さな音がして、湯気が薄く上がった。

 りんごとシナモンの匂いが、リビングに広がる。

 

 皿が順に置かれていく。

 

 俺はアップルパイを選んだ。

 フォークを入れると、層がほどけて、りんごが柔らかい。

 

 千佳は苺のホールを見て、満足そうに頷いた。

 

「これ、勝ち」

 

 命は少し迷ってから、アップルパイにした。

 一口食べて、目を伏せる。

 

「……温かい」

 

 その声が小さく落ちたところで、綾乃さんが手を止める。

 

「そうだ」

 

 綾乃さんが言った。

 

「命。お誕生日、おめでとう」

 

 千佳が勢いよく頷く。

 

「おめでとう、命姉!」

 

 恵が上品に微笑む。

 

「おめでとうございます、命」

 

 由紀子姉さんが淡々と言う。

 

「おめでとう」

 

 澄乃さんが楽しそうに言った。

 

「おめでとう、命」

「いい日に生まれたわねえ」

 

 命は一拍置いて、目を伏せる。

 

「……ありがとうございます」

 

 それだけ。

 でも、その一言が、今日の中心だった。

 

 俺はフォークを置かずに言う。

 

「命。誕生日、おめでとう」

 

 命が俺を見る。

 ほんの少しだけ、口元がやわらかくなる。

 

「……はい、ありがとうございます、隼人さん」

 

 会話はそれで終わる。

 でも、灯りの温度が一段上がった気がした。

 

 恵はチョコレートを選ぶ。

 口に運んでから、上品に頷いた。

 

「濃いのに、重すぎませんわ」

 

 綾乃さんが笑う。

 

「甘いもので喧嘩しないの、平和ね」

 

 澄乃さんが楽しそうに言った。

 

「こういう日があると、明日もちゃんと頑張れるのよ」

「そうだな」

 

 俺が短く返すと、澄乃さんは嬉しそうに頷いた。

 

 皿が空いて、グラスの中身が少し減る。

 会話は多くないのに、空気は温かい。

 

 ツリーの灯りが揺れている。

 その光の中で、命が俺の方を見る。

 

「……隼人さん」

「何」

 

 命は少し迷ってから言った。

 

「……今日は、暖かくて」

「落ち着きます」

「俺も」

 

 俺がそう返すと、命の口元がほんの少しだけやわらかくなる。

 

 クリスマスは、こういうのでいい。

 焦らない。騒がない。

 ちゃんと温かいだけで、十分だ。

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