玄関の方で音がした。
荷物を引く音。少し慌てた足音。
「お母様っ」
声が先に飛び込んでくる。
「遅くなりました!」
次に扉が開いて、千鶴さんが入ってきた。
荷物が多い。片方の手がふさがっているのに、もう片方でも何かを落としそうになってる。
「……ただいま、です!」
綾乃さんが目を細める。
「おかえりなさい、千鶴」
「はい!」
千鶴さんが頷く。
「途中で、切符……じゃなくて」
「えっと、えっと」
「落ち着いてください」
俺が言うと、千鶴さんが俺を見た。
「ハヤトさん!」
千鶴さんが言う。
「ただいまです!」
「おかえりなさい」
「よし!」
千鶴さんは何がよしなのか分からないまま、勢いで頷いた。
「千鶴姉!」
千佳が言う。
「遅い!」
「ごめん!」
千鶴さんが言う。
「でも、ちゃんと来た!」
澄乃さんが楽しそうに笑う。
「うっかりは健在ねえ」
由紀子姉さんが淡々と言った。
「変わってない」
「うん……」
千鶴さんがしょんぼりする。
「変わりたい……」
綾乃さんが手を叩く。
「はいはい」
綾乃さんが言う。
「まずは荷物。置いてきなさい」
「はい!」
千鶴さんは勢いよく動き出して、途中で立ち止まった。
「あ」
千鶴さんが言う。
「靴、揃える」
その背中を見ながら、俺はみかんを一房取った。
帰ってくる人が増えると、家の時間が厚くなる。
「全員集合ね」
沙織がリビングの端から言った。
恵が上品に言う。
「では、皆さまこちらへ」
「……はい」
命が小さく頷く。
「千佳」
陽菜乃さんが言う。
丁寧で落ち着いた声。
「走ってはいけません」
「走ってません!」
千佳が言う。
すぐ声を落とす。
「……走ってません!」
「ふふ、賑やかねえ」
澄乃さんが楽しそうに笑った。
綾乃さんが言う。
「陽菜乃」
「卒業したら、こちらに戻ってくるのでしょう?」
「はい」
陽菜乃さんが頷く。
「卒業しましたら」
「こちらへ戻ってまいります」
「そうですか」
綾乃さんが丁寧に言う。
声が少しだけやわらかい。
「それなら」
「安心します」
「お母様」
陽菜乃さんが言う。
「ご心配をおかけしてしまい、申し訳ありません」
「謝らなくていいです」
綾乃さんが首を横に振る。
「戻ると聞けたことが嬉しいだけです」
「……ありがとうございます」
陽菜乃さんは小さく息を吐いた。
肩の力が、ほんの少しだけ落ちる。
「今は、卒業まできちんと学びを終えてくださいね」
「はい」
陽菜乃さんが言う。
「中途半端に戻るつもりはございません。卒業してから、整えて戻ります」
「陽菜乃らしいです」
綾乃さんが微笑む。
「でも、無理はしないでください。身体を壊してしまったら、意味がありません」
「承知いたしました、気をつけます」
リビングには、でかい塊がある。
特注の大型こたつだ。
普通の家庭用じゃない。囲む前提で、最初から人数分の“辺”がある。
布団も分厚い。
触れた瞬間、指先が沈む。
「こたつ、出したのね」
沙織が言う。
「出しました」
恵が上品に返す。
「この家の冬は、これが一番整いますわ」
「整うって言い方」
由紀子姉さんが言う。
「まあでも、分かる」
「でしょ」
沙織が即答する。
「こたつは正義」
千佳が布団の端を持ち上げて、潜りかけた。
「私ここ!」
「千佳」
陽菜乃さんが言う。
「まず座ってからです」
「座ってから潜る!」
千佳が言う。
澄乃さんが楽しそうに笑った。
「ふふ元気ねえ」
渡会さんが、湯呑みを並べていく。
動きは無駄がない。
でも今日は、少しだけ柔らかい。
「皆さま、熱いのでお気をつけくださいませ」
渡会風香が言う。
「ありがと」
俺が言うと、渡会風香は一礼だけして、すっと下がった。
恵が自分の席を決める。
命の正面にならない位置。
全員が見える位置。
「では」
恵が言う。
「皆さま、ここで落ち着きましょう」
「落ち着きますか」
沙織はこたつの角に座って、布団を自分の膝に整えた。
座り方は雑じゃない。
雑な言葉で場を回すだけだ。
千鶴さんが、座る直前に膝をぶつけた。
「痛い」
千鶴さんが言う。
「千鶴」
綾乃さんが丁寧に言う。
「足元、見てくださいね」
「はい、お母様」
千鶴さんが頷く。
頷きながら、もう一回ぶつけそうになる。
陽菜乃さんが静かに手を伸ばして、千鶴さんの肘を支えた。
「千鶴、落ち着いて」
「うん」
千鶴さんが言う。
「落ち着く」
由紀子姉さんが湯呑みを持つ。
口をつけて、淡々と一言。
「冬休みって感じ」
「ほんとそれ」
沙織が言う。
「家が静かだと、逆に落ち着かないのよね」
「沙織さんは動いてないと死ぬタイプ」
由紀子姉さんが言う。
「死なない」
沙織が即答する。
千佳がこたつの中で足を伸ばして、満足そうに息を吐いた。
「温かい!」
千佳が言い直す。
すぐ小声になる。
「……温かいです」
陽菜乃さんが頷いた。
「よろしいです」
こたつの空気は、勝手に“家”になる。
みんなの足が当たって、布団が少し膨らんで、息の温度が混ざる。
綾乃さんが湯呑みを両手で包んだ。
「陽菜乃」
綾乃さんが丁寧に言う。
「さっきの話、ありがとう」
「いいえ」
陽菜乃さんが言う。
「お母様が言ってくださっただけです」
「戻る先があると分かるのは、ありがたいです」
「……はい」
綾乃さんが頷く。
それ以上は言わない。
この場は、重くしない。
千佳がみかんに手を伸ばす。
こたつの上に籠があって、すでに半分は剥かれている。
「命姉」
千佳が言う。
「みかん、いる?」
「……ください」
命が言う。
千佳が一房を差し出す。
命は受け取って、口に運ぶ。
それだけで、千佳は満足そうだ。
俺の膝に、毛布が落ちる。
「坊や」
澄乃さんが言う。
「それ、ちゃんとかけなさい」
「もうかかってる」
俺が言うと、澄乃さんは嬉しそうに笑った。
「そう」
「なら、いいわ」
命の指先が、こたつ布団の端を軽く摘む。
それが俺の方に寄る。
「命」
俺が言う。
「寒い?」
「……少し」
命が言う。
俺は布団の端を引き寄せて、命の膝までかかるようにする。
こたつの中で、足が触れそうになる。
触れない程度で止める。
「これでいい」
「……はい」
命の返事が落ち着いてる。
帰ってきた、って感覚が腹の奥に落ちる。
「ねえ」
沙織が言う。
「せっかく揃ってるんだからさ」
「今日はもう、難しい話なしでいい?」
「賛成」
由紀子姉さんが言う。
「母さんが難しい話し始めると長い」
「ひどい」
沙織が言う。
「私、短いよ?」
「短いの定義が違う」
由紀子姉さんが即答した。
綾乃さんが丁寧に笑った。
「では」
「今日は、ゆっくりいたしましょう」
「ゆっくり!」
千佳が言う。
「こたつ最高!」
「最高ですわ」
恵が上品に言う。
「この“だらける許可”が出るのが」
「冬の良さですもの」
陽菜乃さんが少しだけ目を丸くする。
「だらける、許可」
陽菜乃さんが言う。
「……言い方が、面白いですね」
「でしょ」
沙織が言う。
「陽菜乃、笑えるじゃん」
「沙織様」
陽菜乃さんが丁寧に言う。
「恐れ入ります」
「ですが、少しだけ」
沙織が満足そうに頷いた。
こたつの熱が、足元から上がってくる。
湯気が、湯呑みから細く上がる。
みかんの皮の匂いが、布団に染みる。
何も進んでないようで、ちゃんと積み上がってる。
こういう日があるから、次も動ける。
俺はこたつの縁に肘を置いて、息を吐いた。
命が隣で同じように息を吐く。
外は冬だ。
でも、ここ暖かい。