※この作品はR-18です。

男女比1対100の彼女たちの世界で   作:ののじん

168 / 238
168話 おこた

 玄関の方で音がした。

 荷物を引く音。少し慌てた足音。

 

「お母様っ」

 

 声が先に飛び込んでくる。

 

「遅くなりました!」

 

 次に扉が開いて、千鶴さんが入ってきた。

 荷物が多い。片方の手がふさがっているのに、もう片方でも何かを落としそうになってる。

 

「……ただいま、です!」

 

 綾乃さんが目を細める。

 

「おかえりなさい、千鶴」

 

「はい!」

 

 千鶴さんが頷く。

 

「途中で、切符……じゃなくて」

「えっと、えっと」

「落ち着いてください」

 

 俺が言うと、千鶴さんが俺を見た。

 

「ハヤトさん!」

 

 千鶴さんが言う。

 

「ただいまです!」

「おかえりなさい」

「よし!」

 

 千鶴さんは何がよしなのか分からないまま、勢いで頷いた。

 

「千鶴姉!」

 

 千佳が言う。

 

「遅い!」

「ごめん!」

 

 千鶴さんが言う。

 

「でも、ちゃんと来た!」

 

 澄乃さんが楽しそうに笑う。

 

「うっかりは健在ねえ」

 

 由紀子姉さんが淡々と言った。

 

「変わってない」

「うん……」

 

 千鶴さんがしょんぼりする。

 

「変わりたい……」

 

 綾乃さんが手を叩く。

 

「はいはい」

 

 綾乃さんが言う。

 

「まずは荷物。置いてきなさい」

「はい!」

 

 千鶴さんは勢いよく動き出して、途中で立ち止まった。

 

「あ」

 

 千鶴さんが言う。

 

「靴、揃える」

 

 その背中を見ながら、俺はみかんを一房取った。

 帰ってくる人が増えると、家の時間が厚くなる。

 

「全員集合ね」

 

 沙織がリビングの端から言った。

 恵が上品に言う。

 

「では、皆さまこちらへ」

「……はい」

 

 命が小さく頷く。

 

「千佳」

 

 陽菜乃さんが言う。

 丁寧で落ち着いた声。

 

「走ってはいけません」

「走ってません!」

 

 千佳が言う。

 すぐ声を落とす。

 

「……走ってません!」

「ふふ、賑やかねえ」

 

 澄乃さんが楽しそうに笑った。

 綾乃さんが言う。

 

「陽菜乃」

「卒業したら、こちらに戻ってくるのでしょう?」

「はい」

 

 陽菜乃さんが頷く。

 

「卒業しましたら」

「こちらへ戻ってまいります」

 

「そうですか」

 

 綾乃さんが丁寧に言う。

 声が少しだけやわらかい。

 

「それなら」

「安心します」

 

「お母様」

 

 陽菜乃さんが言う。

 

「ご心配をおかけしてしまい、申し訳ありません」

「謝らなくていいです」

 

 綾乃さんが首を横に振る。

 

「戻ると聞けたことが嬉しいだけです」

「……ありがとうございます」

 

 陽菜乃さんは小さく息を吐いた。

 肩の力が、ほんの少しだけ落ちる。

 

「今は、卒業まできちんと学びを終えてくださいね」

「はい」

 

 陽菜乃さんが言う。

 

「中途半端に戻るつもりはございません。卒業してから、整えて戻ります」

「陽菜乃らしいです」

 

 綾乃さんが微笑む。

 

「でも、無理はしないでください。身体を壊してしまったら、意味がありません」

「承知いたしました、気をつけます」

 

 リビングには、でかい塊がある。

 特注の大型こたつだ。

 普通の家庭用じゃない。囲む前提で、最初から人数分の“辺”がある。

 

 布団も分厚い。

 触れた瞬間、指先が沈む。

 

「こたつ、出したのね」

 

 沙織が言う。

 

「出しました」

 

 恵が上品に返す。

 

「この家の冬は、これが一番整いますわ」

「整うって言い方」

 

 由紀子姉さんが言う。

 

「まあでも、分かる」

「でしょ」

 

 沙織が即答する。

 

「こたつは正義」

 

 千佳が布団の端を持ち上げて、潜りかけた。

 

「私ここ!」

「千佳」

 

 陽菜乃さんが言う。

 

「まず座ってからです」

 

「座ってから潜る!」

 

 千佳が言う。

 

 澄乃さんが楽しそうに笑った。

 

「ふふ元気ねえ」

 

 渡会さんが、湯呑みを並べていく。

 動きは無駄がない。

 でも今日は、少しだけ柔らかい。

 

「皆さま、熱いのでお気をつけくださいませ」

 

 渡会風香が言う。

 

「ありがと」

 

 俺が言うと、渡会風香は一礼だけして、すっと下がった。

 

 恵が自分の席を決める。

 命の正面にならない位置。

 全員が見える位置。

 

「では」

 

 恵が言う。

 

「皆さま、ここで落ち着きましょう」

「落ち着きますか」

 

 沙織はこたつの角に座って、布団を自分の膝に整えた。

 座り方は雑じゃない。

 雑な言葉で場を回すだけだ。

 

 千鶴さんが、座る直前に膝をぶつけた。

 

「痛い」

 

 千鶴さんが言う。

 

「千鶴」

 

 綾乃さんが丁寧に言う。

 

「足元、見てくださいね」

「はい、お母様」

 

 千鶴さんが頷く。

 頷きながら、もう一回ぶつけそうになる。

 

 陽菜乃さんが静かに手を伸ばして、千鶴さんの肘を支えた。

 

「千鶴、落ち着いて」

「うん」

 

 千鶴さんが言う。

 

「落ち着く」

 

 由紀子姉さんが湯呑みを持つ。

 口をつけて、淡々と一言。

 

「冬休みって感じ」

「ほんとそれ」

 

 沙織が言う。

 

「家が静かだと、逆に落ち着かないのよね」

「沙織さんは動いてないと死ぬタイプ」

 

 由紀子姉さんが言う。

 

「死なない」

 

 沙織が即答する。

 千佳がこたつの中で足を伸ばして、満足そうに息を吐いた。

 

「温かい!」

 

 千佳が言い直す。

 すぐ小声になる。

 

「……温かいです」

 

 陽菜乃さんが頷いた。

 

「よろしいです」

 

 こたつの空気は、勝手に“家”になる。

 みんなの足が当たって、布団が少し膨らんで、息の温度が混ざる。

 

 綾乃さんが湯呑みを両手で包んだ。

 

「陽菜乃」

 

 綾乃さんが丁寧に言う。

 

「さっきの話、ありがとう」

「いいえ」

 

 陽菜乃さんが言う。

 

「お母様が言ってくださっただけです」

「戻る先があると分かるのは、ありがたいです」

「……はい」

 

 綾乃さんが頷く。

 それ以上は言わない。

 この場は、重くしない。

 

 千佳がみかんに手を伸ばす。

 こたつの上に籠があって、すでに半分は剥かれている。

 

「命姉」

 

 千佳が言う。

 

「みかん、いる?」

「……ください」

 

 命が言う。

 

 千佳が一房を差し出す。

 命は受け取って、口に運ぶ。

 それだけで、千佳は満足そうだ。

 

 俺の膝に、毛布が落ちる。

 

「坊や」

 

 澄乃さんが言う。

 

「それ、ちゃんとかけなさい」

 

「もうかかってる」

 

 俺が言うと、澄乃さんは嬉しそうに笑った。

 

「そう」

「なら、いいわ」

 

 命の指先が、こたつ布団の端を軽く摘む。

 それが俺の方に寄る。

 

「命」

 

 俺が言う。

 

「寒い?」

 

「……少し」

 

 命が言う。

 

 俺は布団の端を引き寄せて、命の膝までかかるようにする。

 こたつの中で、足が触れそうになる。

 触れない程度で止める。

 

「これでいい」

 

「……はい」

 

 命の返事が落ち着いてる。

 帰ってきた、って感覚が腹の奥に落ちる。

 

「ねえ」

 

 沙織が言う。

 

「せっかく揃ってるんだからさ」

「今日はもう、難しい話なしでいい?」

 

「賛成」

 

 由紀子姉さんが言う。

 

「母さんが難しい話し始めると長い」

 

「ひどい」

 

 沙織が言う。

 

「私、短いよ?」

 

「短いの定義が違う」

 

 由紀子姉さんが即答した。

 

 綾乃さんが丁寧に笑った。

 

「では」

「今日は、ゆっくりいたしましょう」

 

「ゆっくり!」

 

 千佳が言う。

 

「こたつ最高!」

 

「最高ですわ」

 

 恵が上品に言う。

 

「この“だらける許可”が出るのが」

「冬の良さですもの」

 

 陽菜乃さんが少しだけ目を丸くする。

 

「だらける、許可」

 

 陽菜乃さんが言う。

 

「……言い方が、面白いですね」

 

「でしょ」

 

 沙織が言う。

 

「陽菜乃、笑えるじゃん」

 

「沙織様」

 

 陽菜乃さんが丁寧に言う。

 

「恐れ入ります」

「ですが、少しだけ」

 

 沙織が満足そうに頷いた。

 

 こたつの熱が、足元から上がってくる。

 湯気が、湯呑みから細く上がる。

 みかんの皮の匂いが、布団に染みる。

 

 何も進んでないようで、ちゃんと積み上がってる。

 こういう日があるから、次も動ける。

 

 俺はこたつの縁に肘を置いて、息を吐いた。

 命が隣で同じように息を吐く。

 

 外は冬だ。

 でも、ここ暖かい。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。