※この作品はR-18です。

男女比1対100の彼女たちの世界で   作:ののじん

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169話 年越しそば

 年末の夜は、家の中の音まで静かになる。

 時計の針が進む音が、いつもより近い。

 

 キッチンの方から、湯気の匂いが流れてきた。

 醤油の香り。だしの香り。そこに、炭のような香ばしさが混じる。

 

 渡会風香が盆を持って現れる。

 大きめの器が人数分。湯気が立っている。

 

「年越しそばをご用意いたしました」

 

 渡会風香が言う。

 

「温かいものです」

「地鶏を入れております」

「地鶏」

 

 沙織が言う。

 

「勝ち確じゃないですか」

「沙織さん」

 

 由紀子姉さんが言う。

 

「日本語」

「勝ち確は日本語よ」

 

 沙織が即答する。

 

「ほら、今の子使うでしょ」

 

 由紀子姉さんが淡々と言った。

 

「千佳が真似する」

「真似する!」

 

 千佳が言った。

 すぐ声を落とす。

 

「……真似しません!

「よろしいです」

 

 陽菜乃さんが言う。

 丁寧な口調なのに、止める力がある。

 

「まずは、いただきましょう」

「はい」

 

 綾乃さんが丁寧に言う。

 

「皆さま」

「熱いのでお気をつけくださいね」

 

 椀が並ぶ。箸が揃う。

 家の手順が、静かに整っていく。

 

「坊や」

 

 澄乃さんが言う。

 

「一番熱いの、取っちゃだめよ」

 

「取らない」

 

 俺が言う。

 

「命が取る」

 

「……取りません」

 

 命が言う。

 でも、俺の器の位置を少しだけ直す。

 

 恵が器を覗き込んだ。

 

「香りが良いですわ」

 

 恵が言う。

 

「地鶏の脂が、出汁を邪魔せず厚くしています」

「」

 

「説明がうまい」

 

 沙織が言う。

 

「食レポできるじゃん」

 

「褒め言葉として受け取りますわ」

 

 恵が上品に返す。

 

 全員が揃ったのを見て、綾乃さんが言う。

 

「では」

「いただきます」

「いただきます」

 

 声が重なる。

 静かに箸が動き始める。

 

 俺は一口すすった。

 だしが先に来る。甘すぎない。濃すぎない。

 次に地鶏の香ばしさが追いかけてきて、喉の奥でほどける。

 

 鶏の身は柔らかい。

 噛むと旨味が出て、そばの香りが立つ。

 温かいのに、重くない。

 

「……おいしい」

 

 命が小さく言った。

 声は抑えてるのに、はっきりしてる。

 

「でしょう」

 

 綾乃さんが丁寧に言う。

 

「風香さんがだしを整えてくれました」

「ありがとうございます」

 

 命が言う。

 短いけど、ちゃんと届く言い方。

 

「恐れ入ります」

 

 渡会風香が一礼する。

 表情は変えない。

 でも、動きが少しだけ柔らかい。

 

「うまっ」

 

 千鶴さんが言って、はっとする。

 

「……おいしいです!」

「よろしいです」

 

 陽菜乃さんが頷く。

 

「ただ、急いで食べてはいけません」

「はい!」

 

 千鶴さんが即答する。

 その直後、すすってむせる。

 

「……っ」

「千鶴」

 

 綾乃さんが言う。

 

「落ち着いてくださいね」

「はい、お母様」

 

 千鶴さんが頷いて、水を飲む。

 

 澄乃さんが楽しそうに笑った。

 

「ふふ、年越しらしいわねえ」

 

 千佳が言う。

 

「むせるのが年越し?」

「違うわよ」

 

 澄乃さんが言う。

 

「揃って食べてるのが、よ」

 

 その言葉が、意外とまっすぐだった。

 俺はもう一口すすって、湯気を吸う。

 

 陽菜乃さんが箸を置いて言った。

 

「お母様」

 

 陽菜乃さんが言う。

 

「今年も、お疲れさまでした」

「陽菜乃」

 

 綾乃さんが丁寧に返す。

 

「あなたも、です。よく頑張りましたね」

「ありがとうございます」

 

 陽菜乃さんは頭を下げる。

 丁寧なのに、温度がある。

 

「ハヤトさん」

 

 恵が言う。

 

「今年」

「色々ありましたわね」

「うん」

 

 俺が短く返すと、恵は上品に微笑んだ。

 

「来年は」

「もう少し、整えていきましょう」

「整えるって言い方、好きだな」

 

 俺が言う。

 

「性分ですわ」

「九条家の血?」

 

 沙織が言う。

 

「血って言い方」

 

 由紀子姉さんが言う。

 淡々と釘を刺す。

 

「じゃあ、育ち」

 

 沙織が言う。

 言い直しが早い。

 

「環境が、人を作るでしょ」

「恵は、それが上手い」

 

「それなら、まだ分かる」

 

 由紀子姉さんが言う。

 

 俺は器を持ち上げて、最後のだしを飲む。

 地鶏の旨味が残って、体の芯まで温かい。

 

 箸を置く音が、あちこちで小さく重なる。

 こたつの中の熱が、ゆっくり上がってくる。

 

「おかわり、ある?」

 

 沙織が言う。

 

「あります」

 

 渡会風香が言う。

 

「少しだけ、残しております」

「少しだけか」

 

 沙織が言う。

 

「じゃあ、勝負じゃん」

「沙織さん」

 

 由紀子姉さんが言う。

 

「勝負にしないで」

「冗談」

 

 沙織が即答する。

 

「勝負にしたら、千佳が泣く」

「泣かない!」

 

 千佳が言った。

 すぐ声を落とす。

 

「……泣きません!」

「よろしいです」

 

 陽菜乃さんが言う。

 

「年の瀬です」

「争いは控えましょう」

「争いって言い方」

 

 沙織が言う。

 

「平和なのに」

 

 千鶴さんがそっと手を挙げた。

 

「私」

 

 千鶴さんが言う。

 

「おかわり、欲しいです」

 

 由紀子姉さんが言う。

 

「量を言え」

「えっと」

 

 千鶴さんが言う。

 

「……少し!」

「少しだな」

 

 千鶴さんが頷く。

 嬉しそうに頷きすぎて、首が早い。

 

 綾乃さんが丁寧に笑った。

 

「では」

 

 綾乃さんが言う。

 

「風香さん」

「少しずつ、よそいましょう」

 

「承知いたしました」

 

 渡会風香が言う。

 器を受け取る手が、静かに正確だ。

 

 恵が湯呑みを持つ。

 

「年越しは」

 

 恵が言う。

 

「食べた後が、一番気が緩みますわ」

「緩んでいい日だろ」

 

 俺が言う。

 

「そういう話です」

 

 恵が上品に返す。

 否定じゃない。念押しだ。

 

「命様」

 

 渡会風香が言う。

 

「おかわりは、いかがなさいますか」

「……少しだけ」

 

 命が言う。

 

「ありがとうございます」

 

 渡会風香が頷いて、器を受け取る。

 

 澄乃さんが俺を見る。

 

「坊や」

 

 澄乃さんが言う。

 

「ちゃんと、噛んで食べてる?」

「食べてる」

 

 俺が言う。

 

「噛んでる」

「ふふ」

 

 澄乃さんが笑う。

 

「じゃあ安心」

 

 千佳がみかんの籠に手を伸ばして、皮を剥き始めた。

 こたつの上に、橙色が増える。

 

「ねえ」

 

 千佳が言う。

 

「年越したらさ、宿題やる」

「えらい」

 

 沙織が言う。

 綾乃さんが丁寧に言う。

 

「千佳は、やると言ったらやります」

「……やる」

 

 千佳が言った。

 すぐ声を落とす。

 

「……たぶん」

「たぶんを消しなさい」

 

 陽菜乃さんが言う。

 丁寧なのに、逃げ道がない。

 

「はい!」

 

 千佳が即答する。

 

 陽菜乃さんが箸を置いて、改めて周りを見る。

 こたつの端から端まで、人がいる。

 それを確かめるみたいに、一人ずつ視線が滑る。

 

「こうして揃うのは」

 

 陽菜乃さんが言う。

 

「やはり、良いものですね」

「でしょ」

 

 沙織が言う。

 軽いのに、ちゃんと同意の声。

 

「揃ったら、なんか勝てる気がする」

「何に」

 

 由紀子姉さんが言う。

 

「来年に」

 

 沙織が言う。

 言い切りは短い。

 

 命が小さく頷いた。

 

「……はい」

「来年も」

 

 命が言う。

 

「一緒に、過ごします」

 

 その言葉が落ちると、部屋の温度が少しだけ上がった気がした。

 俺は命を見る。命は視線を逸らさない。

 

「うん」

 

 俺は短く返す。

 

 年越しそばの湯気が、まだ消えない。

 こたつの中で足が当たって、すぐ引く。

 それが変にくすぐったい。

 

 外は冬だ。

 でも、家の中は温かい。

 

 だから、次の年も行ける。

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