冬休みが終わった。
朝の空気が、硬い。
校門をくぐるだけで、肩が勝手に上がる。
教室は久しぶりの騒がしさだった。
机を叩く音。コートを脱ぐ音。遅刻ぎりぎりの足音。
――全部、戻ってきた感じがする。
昼休みの終わり。
屋上に行く流れになったけど、扉の向こうは寒すぎて無理だった。
「今日は屋上、無理。風、殺しに来てる」
日和が即断する。
「賛成」
レンも頷く。
結局、屋上前の踊り場に集まった。
階段の途中。コンクリの冷たさと、外の光だけが近い場所。
恵は手袋をしたまま、壁にもたれた。
命はいつも通りの距離で立っている。表情は読めないけど、首元のマフラーがきっちりしてる。
日和が俺の顔を見て、にやっとした。
「で? 冬休み明け一発目。ハヤトさん、なんか顔が“やること増えました”って顔」
「……増えた」
言うと、レンが目を丸くする。
「え、なに。部活?」
「違う」
俺は短く息を吐いて、みんなの視線が揃うのを待った。
こういうとき、変に引っぱるのは性に合わない。
「大きい仕事が入って、受けることにした」
一拍。
日和が先に声を出す。
「は? でかいってどれくらいでかいの」
「……ドラマ」
レンが「えっ」と小さく声を漏らす。
命は瞬きが一つ増えた。分かりやすくはないけど、反応はある。
恵は落ち着いたまま、ただ目を細める。
「連続、ですの?」
「……連続」
日和が階段の手すりを叩く。
「え、連ドラ!? やば。いつから? 撮影いつ?」
「まだ確定じゃない。準備から」
レンが少しだけ身を乗り出した。
「役は? 主役?」
「助演」
日和がすぐに食いつく。
「助演で連ドラって普通に強い。で、どんな役?」
「……参謀」
恵がふっと笑う。
「似合いますわね。外から回す方」
「言い方」
俺が返すと、恵は肩をすくめた。
「褒めていますの」
命が小さく頷く。
「……ハヤトさんに合うと思います。落ち着いて状況を見られますから」
その言い方が丁寧すぎて、逆に熱が上がる。
俺は顔に出さない。
「ありがとう」
日和が腕を組んで、わざとらしく真面目な顔を作る。
「で。参謀ってことは、頭使うやつね。現場で“こっちです”って言うやつね」
「そう」
「なるほど。じゃあさ、今日の放課後、祝う? 冬休み明けだし」
「寒いから無理」
「即答!」
レンが小さく笑って、俺の方を見る。
「でも、すごいね。冬休み終わってすぐにそれ。……忙しくなる?」
「なる」
短く言うと、日和が親指を立てた。
「よし。じゃあ、忙しくなる前に。今日は情報聞き出す日。全部吐いちゃいなよ~」
「無理」
そのやり取りに、恵が楽しそうに目を細める。
命は笑っていない。でも、空気が少しだけ柔らかくなっているのが分かった。
俺は踊り場の窓の外を見る。白い光。冬の空。
大きな仕事。
学校に戻って、すぐにこれ。
――でも、やることは同じだ。
役に嘘を入れない。
日和が手すりにもたれて、俺の顔を覗き込む。
「で、どんなドラマ? 学園? 刑事? 恋愛?」
「言えない」
「出た。言えない。はいはい、秘密ね」
日和はわざとらしく頷いて、すぐ次に行く。
「じゃあさ、言えないなら“言える範囲”で。制服? スーツ? どっち?」
「……スーツ」
レンが小さく息を吸った。
「スーツ……似合いそう」
「やめろ」
「え、褒めたのに」
恵が楽しそうに笑う。
「参謀でスーツ。わたくし、もう映像が浮かびますわ。腕を組んで立っていそうですもの」
「腕組まない」
「する顔ですわ」
日和が指を鳴らした。
「はい決定。スーツで腕組んで、静かに“行きましょう”って言う」
「言わない」
「言うって。視聴者が死ぬって」
一瞬考える。どうだろうな俺が本気を出せば行けるか?
命は少しだけ間を置いて、丁寧に言った。
「……準備も大変そうですね。アクションも、ありますか」
「ある」
命の視線が一瞬だけ俺の肩に落ちる。
怪我の心配をしてる。表情には出ないのに分かる。
「無茶はしない」
「……はい」
その返事が、短いのに妙に重い。
俺は頷いて、それ以上は言わなかった。
レンがふっと表情を和らげた。
「でも、冬休み明けにそれって、すごいね。……嬉しい?」
「……嬉しい」
言った瞬間、日和が大げさに身を乗り出す。
「出た! 今、嬉しいって言った! レア!」
「言ったけど」
「よし、今日記念日。冬休み明け“ハヤト嬉しい”記念日」
恵が上品に頷く。
「カレンダーに書きますわ」
「やめろ」
軽口が続くのに、踊り場の空気は不思議と落ち着いていた。
屋上より寒くない。声が響きすぎない。ちょうどいい距離。
チャイムが鳴って、階段の下から足音が増える。
「戻るか」
俺が言うと、日和が即答する。
「戻る戻る。寒いのは嫌。授業はもっと嫌だけど」
「どっちも嫌なんだ」
レンが笑って、先に降り始める。
恵は手袋を整えながら、俺にだけ聞こえるくらいの声で言った。
「……忙しくなっても、崩れませんことね」
「崩さない」
命が最後に小さく会釈する。
「……頑張ってください」
「ありがとう」
教室に戻る途中、俺のスマホが震えた。
表示は浅野さん。
『ハヤト君、明日放課後。顔合わせの資料、渡す。短時間でいい』
俺は画面を一度見て、スマホをしまった。
冬休みは終わった。
学校も、日常も、戻ってきた。
その上に、新しい仕事が乗る。
階段を降りながら、俺は息を整える。
焦らない。浮かれない。
――積むだけだ。