※この作品はR-18です。

男女比1対100の彼女たちの世界で   作:ののじん

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174話 撮影開始

 読み合わせから数日。

 放課後の短い打ち合わせと、週末の準備が積み重なっていった。

 

 スーツ合わせ。

 腰のベルト位置。首元の影。袖の長さ。

 鏡の前で、スタッフが遠慮なく直していく。

 

「ハヤト君、こっち、もう少しだけ詰めるね」

「はい。お願いします」

 

 アクションの基礎は、派手な技じゃなかった。

 立ち方。視線。重心。息。

 “参謀”は、動きが少ない分、全部が目立つ。

 

「止まる時、足を鳴らさないで。音が出るとね、強さが軽く見えるの」

 アクション班の女性が言う。

 

「承知しました」

 

 声のトーンの確認もあった。

 大きくしない。届ける。

 怒鳴らない。切る。

 

「そこ、最後の一音だけ落として。怖くじゃなくて、“決めてる”って感じ」

 監督が穏やかに言う。

 

「はい」

 

 そして、撮影当日。

 

 まだ空が暗い。

 スタジオの入り口に、スタッフのコーヒーの匂いが漂ってる。

 人の足音が早い。短い声が飛ぶ。紙が動く。

 

 俺は入館証を受け取って、いつもより小さく息を吸った。

 

「おはようございます。天城隼人です。本日よろしくお願いいたします」

 

 通るスタッフが、次々に返してくる。

 

「おはようございますー」

「よろしくね、ハヤト君」

「衣装、先に行けるよ」

 

 案内された控室に入ると、すでにスーツが掛けてあった。

 ネクタイも、指定の結び方のメモ付き。

 

 俺は余計なことを考えず、着替える。

 鏡の中の自分が、少しだけ“役”に近づく。

 

 ドアがノックされる。

 

「ハヤト君、準備できたら、スタンバイお願い」

「はい。すぐ行きます」

 

 廊下に出ると、現場の音が増した。

 モニターの前に椅子が並び、ケーブルが床を走っている。

 ライトが一つ、目に刺さるくらい明るい。

 

 浅野さんが近づいてきて、声を落とした。

 

「ハヤト君、最初は喋らなくていい。立つだけ。目線だけ。分かるな」

「はい」

 

「主役の二人、今ちょっと硬い。ハヤト君が落ち着いてると、全体が締まる」

「承知しました」

 

 監督が手を上げる。

 周りが一瞬で静かになる。

 

「じゃあ行くわよ。第1話、シーン12。参謀、初登場。──スタンバイ」

 

 俺は指定の位置に立つ。

 目線の先。相手役の立ち位置。距離。

 息を整える。

 

「本番。──よーい」

 

 一拍。

 

「アクション」

 

 空気が変わる。

 俺は、“参謀”としてそこにいるだけでいい。

 

 ここから始まる。

 

『ルーシッドライダーズ』の撮影が。

 

 ──「参謀、初登場」。

 

 俺は台本で読んだ通りの位置に立って、息を落とした。

 動きは少ない。だから、少しのズレが全部目立つ。

 

 相手役の二人が、カメラの向こうで構える。

 主役のライダー役。もう一人のライダー役。

 スーツのシルエットだけでも、現場の空気が一段変わる。

 

 監督の声が飛ぶ。

 

「はい、今から怪人の情報が入る。二人が焦る。そこで参謀が“止める”。ハヤト君、目線だけでいい。言葉はまだ」

「承知しました」

 

 浅野さんが俺の横で小さく頷く。

 

「見て、止める。余計な動きなし」

 

 俺は短く返した。

 

「はい」

 

 カチン、と現場の音が止まる。

 俺は“止める側”の空気を、体に作る。

 

 相手役の片方が言う。

 

「行くぞ、今なら間に合う!」

 

 もう片方が被せる。

 

「待て、判断が──」

 

 そこで、俺の番。

 

 台詞はない。

 ただ、一歩だけ前に出る。音を立てない。

 息を吸って、二人を見る。

 

 ──止まれ。

 

 それを言葉じゃなく、目線で伝える。

 

 相手役が、ほんの少しだけ動きを止めた。

 台本にはない“間”が、自然に生まれる。

 

 俺はその間を壊さない。

 顔を作らない。眉も動かさない。

 ただ、そこに立つ。

 

 監督の手が上がる。

 

「カット」

 

 すぐに次が来ると思った。

 でも、監督の声が柔らかい。

 

「うん、今の、いいわ」

 

 周りのスタッフが一瞬だけ顔を上げる。

 空気が少しほどける。

 

 監督はモニターを見たまま言った。

 

「ハヤト君、歩幅そのまま。止まり方もそのまま。音がしない。助かる」

「ありがとうございます」

 

 助監督がイヤホンを押さえながら言う。

 

「カメラ、目線拾えてます。今の“止めた”感じ、きれいに出てます」

 

 制作の女性が笑って頷いた。

 

「現場が落ち着くの、ありがたいね。最初って、どうしても散るから」

 

 俺は返す言葉を短くする。

 

「承知しました」

 

 監督が手元の台本に指を置いた。

 

「じゃあもう一回だけ。今のままでいい。ハヤト君、最後に“顎”だけ、ほんの少し落として。強くじゃなくて、締める感じ」

 

「はい。やってみます」

 

 浅野さんが俺にだけ聞こえる声で言う。

 

「今の、いい。無駄がない。──そのまま積め」

 

 俺は頷いた。

 

 もう一度、静かになる。

 

「よーい」

「アクション」

 

 同じ流れ。

 同じ一歩。

 同じ目線。

 

 最後だけ、顎を少し落とす。

 “止める”が、少しだけ重くなる。

 

 相手役の二人の呼吸が、そこで揃った。

 

 監督が、短く言う。

 

「……カット。OK」

 

 その一言で、現場が動き出す。

 スタッフがライトを調整して、次の準備に入る。

 

 衣装の人が俺に寄ってきた。

 

「ハヤト君、ネクタイの角、今ので完璧。次も同じ感じでお願い」

「はい。ありがとうございます」

 

 浅野さんが資料を見ながら言う。

 

「次、台詞入る。短いけど、重要」

 

 俺は台本のページを開いた。

 参謀としての“最初の一言”。

 

 そこで、監督がモニターから顔を上げる。

 

「ハヤト君」

「はい」

「今の立ち方、忘れないで。あれがこの作品の背骨になる。──頼りにしてるわ」

 

 俺は少しだけ息を整えて、丁寧に返した。

 

「ありがとうございます。期待に応えます」

 

 次のシーン番号が呼ばれる。

 台詞がある。

 ここからが、本当の始まりだ。

 

 

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