撮影は、合間の時間が長い。
ライトの位置を変える。
カメラを組み替える。
音を整える。
現場は止まっているように見えて、ずっと動いている。
俺はモニター前の端で台本を開き直していた。
参謀、
監督が手を上げた。
「一回、五分休憩ね。――役者さん、ここで挨拶だけ済ませちゃいましょ」
助監督が声を通す。
「はい、俳優さん集合でお願いしまーす」
浅野さんが俺を手招きした。
「ハヤト君。こっち」
「はい」
輪の中に入ると、すでに主役の二人が立っていた。
防寒の上着を羽織ってる。朝の硬さは残っているけど、目はちゃんと前を向いてる。
監督がにこっと笑う。
「初日だしね。空気作るためにも、さっと行こ。――まず、今日から合流の方」
浅野さんが一歩前に出て、短くまとめた。
「天城隼人。参謀役。役名は
俺は一歩前に出て、頭を下げた。
「天城隼人です。本日から参加させていただきます。至らない点もあると思いますが、よろしくお願いいたします」
監督が頷く。
「よろしくね、ハヤト君。頼りにしてるわ」
プロデューサーも柔らかい声で続けた。
「うん、よろしく。斎音って作品の背骨になるから、すごく助かる」
助監督が笑って手を振る。
「今日から一緒に走ろうね。困ったらすぐ言って」
俺は短く返す。
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
主演の女性が一歩前に出た。
主人公、朝霧ひかり役。現場に馴染むのが早いタイプの空気がある。
「朝霧ひかり役の、
俺は頭を下げる。
「よろしくお願いいたします」
二号ライダー役の女性も、すっと立つ。
獅堂紗夜役。視線が強い。立ち方が綺麗だ。
「
「よろしくお願いいたします」
その横に、もう一人。
きれいめのコート。首元のマフラーが丁寧に巻かれている。
男ヒロイン――朝倉澪人役。
彼が軽く頭を下げた。
「
監督がふっと笑う。
「澪人はね、感情の鍵を握る役。みんな、扱い丁寧にお願いね」
場が少しだけ和む。
神崎さんが穏やかに頷いた。
「よろしくお願いします。現場、初日なので、ご迷惑かけたらすみません」
白石さんがすぐ返す。
「全然。むしろよろしく。澪人、頼ると思う」
桐谷さんも短く頷く。
「うん。鍵、預けるね」
浅野さんが俺の横で小さく息を吐いた。
「――いい感じだな」
監督が手を叩く。
「はい、挨拶終わり。じゃあ次の段取り行くわよ。まずひかりと紗夜、立ち位置確認。斎音は“止める”だけでいいから、そこに立って」
「承知しました」
輪がほどけて、各自が持ち場へ戻っていく。
俺も台本を閉じて、指定の位置へ歩いた。
挨拶は終わった。
次は芝居で、
俺は指定の位置に立つ。
床のテープ。目線の先。距離。
参謀は動かない。動かないから、全部が見える。
監督がこちらを見て、柔らかく言った。
「ハヤト君、今日の斎音は“まだ距離がある”でいいの。優しく見せなくていい。冷たくもしなくていい。整理してる人、で」
「承知しました」
助監督が段取りを確認する。
「シーン14、会議室。ひかりと紗夜が焦って入ってくる。澪人が追いかけてくる。斎音はもう中で資料見てる。――それで行きます」
プロデューサーが資料を抱えたまま、軽く笑う。
「カメラ寄りで行くから、手元きれいにね。斎音の“几帳面さ”が出ると助かるの」
「はい」
机の上には資料の束。
端が揃っていて、付箋の位置も決まっている。
俺はペンを持って、呼吸を落とした。
白石さんが位置につきながら、目だけこちらに向ける。
「ハヤト君、さっきの“止める”目線、すごいね。どうやって作ってるの?」
俺は短く返す。
「止める理由を、先に決めます」
「それが参謀っぽいんだよなあ」
桐谷さんが横から、さらっと言う。
「怒鳴らないのに止まるって、逆に怖い。いい意味で」
神崎さんが小さく頷いた。
「僕、そこに助けられそうです」
監督が手を上げる。
「じゃ、行くわよ。――よーい」
現場が静かになる。
必要な音だけ残って、余計な音が消える。
「アクション」
俺は資料に視線を落としたまま、ペンを動かす。
書き込むのは数字と矢印だけ。
斎音の頭の中の“整理”を、手元で見せる。
ドアが開く音。
「斎音! 今すぐ行く、間に合う!」
ひかりが飛び込んでくる。勢いが強い。
その勢いが、部屋の温度を上げる。
「待って、ひかり! 相手の範囲が広がってる!」
紗夜が追う。声が少しだけ尖る。
その後ろから、澪人が息を切らして入ってきた。
「二人とも……今行っても、逆に巻き込まれます」
俺はまだ顔を上げない。
焦りに引っ張られたら負けだ。
参謀は、焦りを落とす側。
ひかりが机の前まで詰め寄る。
「でも、誰かが――!」
そこで、俺は初めて顔を上げた。
視線をひかりに合わせる。
「朝霧。止まれ」
短い。
急がない。
言い切って、置く。
ひかりの足が止まる。呼吸が一瞬だけ詰まる。
それだけで、部屋の温度が一段落ちた。
俺は次に、紗夜を見る。
「獅堂も。言葉が尖ってる。今は要らない」
紗夜が口を結ぶ。目だけが強い。
「……ムカつくけど、正しい」
澪人の視線が、机の上の資料に落ちる。
「それ……僕のログの反応?」
俺は一枚だけ紙を滑らせて、澪人の前に置いた。
「そう。鍵が動いた。お前が狙われる」
ひかりが歯を食いしばる。
「じゃあ、守るしかない」
「守る。だが順番がある」
俺は紙の端を揃えて続けた。
「ひかりは外に出ない。紗夜も出ない。澪人はここから動くな」
ひかりが反発する。
「外に出なきゃ、止められない!」
俺はひかりを見る。目を逸らさない。
「止めるのは、俺がやる」
紗夜が眉を上げる。
「参謀が? 今ここで?」
「今ここで。二人は感情を削るな。削ったら、向こうの思う通りだ」
澪人が小さく頷いた。
「……分かった。僕、ここにいる」
監督の声。
「カット」
次の瞬間、空気が戻る。
監督はモニターを見ながら、穏やかに笑った。
「うん、斎音、立った。今の“止まれ”、すごくいい」
プロデューサーも頷く。
「言葉が短いのに、情報量が多い。しかも押してない。ありがたい」
助監督がイヤホンを押さえる。
「もう一回いきます。同じテンポで。――位置戻ってください」
俺は短く返した。
「承知しました」
現場がまた静かになる。
同じシーンを、もう一度。
言葉は同じ。
でも二回目は、一回目より少しだけ深くなる。
ひかりの勢いが半歩落ちる。
紗夜の声が尖り切らずに、芯だけ残る。
澪人が入るタイミングが、ほんの少し早い。
俺はその変化を受け取って、台詞の間を微調整する。
「朝霧。止まれ」
今度は、ほんの少しだけ優しい。
優しいけど、甘くない。
監督が小さく頷くのが、視界の端で分かった。
「カット。OK。次、斎音の初台詞、もう一段いくわよ」
監督が言った。
「次は、ひかりの顔を見てから“答え”を出して。斎音は人を見て判断する。そこ、見せたいの」
「承知しました」
台本のページをめくる。
斎音の次の台詞は、少しだけ長。
短い言葉で締めてきた分、ここで残す。
浅野さんが俺の横に来て、小さく言った。
「今の、いい。続けろ。――ハヤト君、ここからが本番だ」
「はい」
俺は息を整えて、指定の位置に戻る。
次のシーン番号が呼ばれる。
会議室の空気が、また薄くなる。
そして――斎音の言葉が、初めて“説明”になる。
大きく言わない。
でも、置いた瞬間に、全員が同じ方向を見る言葉だ。