※この作品はR-18です。

男女比1対100の彼女たちの世界で   作:ののじん

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176話 薄まる街

 ひかりが机に手をついて、息を整える。

 

「……で、どこだよ。今どこで起きてる」

 

 紗夜が苛立ちを隠さずに言う。

 

「範囲が広がってるなら、待ってたら間に合わない」

 

 澪人は喉を鳴らして、視線を落とした。

 

「僕のログ……さっきから、引っ張られてる」

 

 俺はペンを置いた。

 机の端に積んであった白いファイルを一冊引き寄せ、開く。

 ページの角を揃えて、必要なところだけ指で押さえる。

 

「順番に言う。まず場所。発生源はこの二点」

 

 俺は地図の印刷を机の真ん中に置く。

 赤丸が二つ。中心と、少し離れた住宅地。

 

「今“起きてる”っていうより、“広がってる”。中心から波が外へ押し出されてる」

 

 ひかりが地図を見る。

 

「波って?」

 

 俺は次に、グラフの紙を一枚滑らせた。

 

「LUCIDログの波形。感情の揺れを数値化したものだ。心拍、声の揺れ、表情の変化――それをまとめて“波”にしてる」

 

 グラフの線が、平らに潰れていく。

 

「今はこの波が潰れてる。喜怒哀楽が出ない状態。ゼロに寄せられてる」

「……何これ」

 

 ひかりの声が少しだけ硬くなる。

 

 紗夜が唇を噛む。

 

「NOCTがやってる?」

「そう。NOCTは“奪う”んじゃない。薄める。怒りも悲しみも喜びも、まとめて薄くする。本人は楽になることがある。だから気づきにくい」

 

 俺は資料の写真ページを開いて、三枚だけ見せた。

 交差点の人波。教室の子ども。家の中。

 

「症状。驚かない。泣かない。怒らない。笑わない。言葉は出るけど、温度がない。“大丈夫です”しか残らない」

 

 澪人が小さく息を吸った。

 

「……戻せるの?」

 

 俺は答えを急がない。

 澪人を見て、ひかりを見て、紗夜を見る。

 

「戻せる。完全じゃない。だが戻せる」

 

 ひかりの目が少しだけ強くなる。

 

「どうやって」

 

 俺は次のページ――手順の項目を指で叩いた。

 

「対処は四段階。一、避難誘導。二、封鎖。三、発生地点の特定。四、鍵の確保。ここが一番大事だ」

 

 澪人の肩がわずかに揺れる。

 

「……鍵って」

 

「朝倉。お前だ」

 

 ひかりが反射で言う。

 

「澪人が狙われるってこと?」

 

「狙われる。NOCTはお前のログを“引き金”にして、薄める範囲を広げる。お前が動くほど、引っ張られる。だからここから動くな」

 

 紗夜が食い気味に言った。

 

「それじゃ遅い。私が行く」

 

 俺は紗夜を見る。声は上げない。

 資料の地図を指でなぞる。

 

「獅堂。行くなら、ひかりと一緒だ。単独は切り捨てに近い。薄められた空気の中だと、判断が鈍る。感情が削られる。二人で互いを戻せ」

 

 紗夜が眉を上げる。

 

「……参謀、容赦ない」

 

「必要だから言う。――勝つより、戻すのが先だ」

 

 ひかりが一拍置いて、頷いた。

 

「分かった。戻す。……そのために、戦う」

 

 俺は最後に、短くまとめた。

 地図、波形、手順のページをきっちり揃える。

 

「よし。順番を守れ。俺が外を回す。二人は、指示が出てから動け。澪人はこの部屋から出るな」

 

 沈黙が落ちる。

 全員の視線が、同じ方向に揃う。

 

 監督の声。

 

「カット。……うん、今の、分かりやすい。斎音、いい」

 

 プロデューサーが小さく笑った。

 

「説明なのに、説明っぽくないの、すごく助かる」

 

 俺は短く頭を下げる。

 

「ありがとうございます」

 

 助監督がすぐに声を出した。

 

「今の芝居のまま、手元と目線、寄りでもう一回。――よーい」

 

 現場がまた静かになる。

 カメラが近づく分、俺の指先が全部映る。

 

「アクション」

 

 同じ台詞。

 同じ資料。

 でも、寄りだと“情報”より“癖”が出る。

 

 俺は紙を滑らせる角度を変えない。

 ページをめくる速度も、指で押さえる位置も揃える。

 斎音がずっとこうやって戦ってきた、って見えるように。

 

「順番に言う。まず場所。発生源はこの二点」

 

 ひかりが地図を見る目が、さっきより鋭い。

 紗夜の苛立ちも、余計な動きが消えて芯だけ残る。

 澪人は呼吸を整えて、言葉を待つ。

 

「LUCIDログの波形。感情の揺れを数値化したものだ」

 

 俺の指がグラフをなぞる。

 線が潰れていく箇所で止める。

 

「ここから先は、“平和”に見える。だから厄介だ」

 

 紗夜の目が揺れた。

 寄りのカメラがそれを拾うのが分かる。

 

 俺は最後を締める。

 

「勝つより、戻すのが先だ」

 

 ひかりが一拍置いて頷いた。

 

「分かった。戻す」

 

 監督の声。

 

「カット。OK。寄りも取れた」

 

 空気が戻る。

 照明が動き、スタッフが静かに移動する。

 

 監督がモニターを見ながら、こちらに目を向けた。

 

「ハヤト君、今のね。言葉がちゃんと人に入る。それと、間がいいの。相手が受け取る時間を作れてる。すごく助かるわ」

 

 俺は短く頭を下げる。

 

「ありがとうございます」

 

 プロデューサーが続ける。

 

「あと、斎音の“几帳面さ”が画で伝わった。資料を揃える癖、残していこう。作品の記号になるから」

「承知しました」

 

 助監督が段取り表を見て声を出す。

 

「次、会議室の外につながる動き入ります。ひかりと紗夜は廊下へ。澪人は残って、斎音が指示を飛ばす」

 

 監督が頷いて言った。

 

「そう。ここから斎音の“裏で回す”が見えると、視聴者が安心する。ひかり、紗夜、前に出る。斎音、外を整える。澪人は鍵。――全員の役割、今ので揃ったから」

 

 白石さんが防寒の上着を着直しながら、笑う。

 

「参謀がいると、ほんと助かる」

 

 桐谷さんも軽く頷いた。

 

「分かってる。……行く」

 

 神崎さんは少しだけ緊張した顔で、俺に目を向ける。

 

「僕、残るの……怖いけど。斎音がいるなら、耐えられる気がする」

 

 俺は澪人を見る。

 言葉を選んで、短く置いた。

 

「怖いままでいい。動くな。俺が守る」

 

 澪人が小さく頷く。

 

「……うん」

 

 監督が手を叩く。

 

「よし。じゃ、次いくわよ。――廊下、スタンバイ!」

 

 会議室のセットの外。

 廊下の照明が切り替わる。

 スタッフの足が早くなる。

 

 俺は資料を閉じて、端を揃えた。

 机の上を一度、何もない状態に戻す。

 

 参謀の仕事は、こういうところから始まる。

 芝居の中でも、現場でも。

 

 助監督の声。

 

「よーい」

「アクション」

 

 ひかりと紗夜が廊下へ飛び出す。

 俺は会議室に残ったまま、通信端末を手に取った。

 

 表に出ない戦いが、ここから始まる。

 

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