※この作品はR-18です。

男女比1対100の彼女たちの世界で   作:ののじん

177 / 238
177話 噓を入れない

 助監督の声。

 

「よーい」

「アクション」

 

 ひかりと紗夜が廊下へ飛び出す。

 足音が遠ざかって、会議室のセットが一瞬だけ静かになる。

 

 俺は残る。

 机の上の資料を閉じて、端を揃える。

 余計な紙は一枚も出さない。

 参謀は、場を散らさない。

 

 通信端末を手に取る。

 画面に、現場のマップと簡易の波形が並ぶ。

 

 澪人が椅子の背にもたれないまま、息を吐いた。

 

「……僕、ここにいていいのかな」

 

 俺は視線を上げずに答える。

 

「ここが一番安全だ。動けば、引っ張られる」

 

 澪人は頷く。

 頷き方が、まだ不安を隠し切れていない。

 

 俺は端末を操作して、短く指示を飛ばす。

 

「封鎖班。交差点A、通行止め。誘導は二本先まで。避難は“急がせない”。走らせると余計に波が乱れる」

 

 返答が返ってくる。

 文字だけの「了解」。現場の速さ。

 

 澪人が小さく目を見開いた。

 

「……走らせない、って。そんなことまで」

 

「ある。薄められてる時は、強い刺激が逆効果になる」

 

 俺は続ける。

 

「救急。倒れた人がいても、叫ぶな。声は抑えろ。“落ち着いてる”ふりをするな。本当に落ち着かせる」

 

 澪人が喉を鳴らす。

 

「……斎音って、冷たい人かと思ってた」

「冷たくしないと、崩れる」

 

 俺はそこで初めて澪人を見た。

 短く、置く。

 

「でも、守るためだ」

 

 澪人が小さく頷いた。

 

「……うん」

 

 そのタイミングで、会議室の外からスタッフの声が聞こえる。

 

「カメラ位置、もうちょい左!」

「音、拾える? 廊下反響するから注意!」

「ひかり、紗夜、立ち位置確認お願い!」

 

 監督の声が遠くから飛ぶ。

 

「ひかり、今の入り、もう半歩だけ速く。

 紗夜は焦りすぎない。ひかりを見てから動くの」

 

「はい」

「了解です」

 

 二人の返事が重なった。

 

 浅野さんが会議室の入口に顔を出す。

 

「ハヤト君。今、通信の手元も撮りたいって。寄り、いける?」

 

「はい」

 

 監督がすぐに言葉を継ぐ。

 

「斎音の“裏で回してる”が見えると、視聴者が安心するの。端末操作、手順、目線。そこ、全部画で欲しい」

 

「承知しました」

 

 俺は端末を持ち上げて、椅子を少しだけ引く。

 画角に入る位置を確認する。

 指先が映る角度。画面の反射。光の当たり方。

 

 助監督が来て、床に小さなテープを貼った。

 

「ここ。手元寄りで撮ります。斎音は座って、肘は机。目線は画面、たまに澪人。――お願いします」

「はい」

 

 澪人が、少しだけ背筋を伸ばした。

 

「僕は、何すればいい?」

 

 監督が優しく言う。

 

「澪人はね、見られてるだけで緊張してていい。斎音の言葉で落ち着いていく。その変化、欲しいの」

 

 澪人が小さく頷いた。

 

「……分かりました」

 

 俺は端末の画面を開いた。

 波形がまた一段、平らになっている。

 

 ――広がってる。

 

 俺は息を落とす。

 

「朝霧、聞こえるか」

 

 廊下の向こう。通信越しに、ひかりの声。

 

『聞こえる!』

「走るな。足を止めろ。周りの人を見ろ。薄まってる。刺激を入れると、余計に崩れる」

『……分かった』

 

 紗夜の声が重なる。

 

『場所は?』

「地図送る。二点。まず外側を切れ。中心に突っ込むな」

『了解』

 

 俺は画面を操作して、ルートを送った。

 指先が迷わない。

 迷えば、それが画面に出る。

 

 監督の声。

 

「……カット。いい。今の手元、斎音そのもの」

 

 プロデューサーが頷く。

 

「“裏で回す”が一発で分かった。助かる」

 

 俺は短く頭を下げる。

 

「ありがとうございます」

 

 助監督がすぐに続ける。

 

「次、同じ流れで角度変えます。斎音の顔、もう少し欲しい。――よーい」

 

 現場がまた静かになる。

 同じ状況を、別の角度で押さえる。

 

 芝居は、そうやって形になる。

 そして――作品の“背骨”も、少しずつ固まっていく。

 

 撮影初日が終わる頃には、外はもう暗かった。

 

 スタジオの廊下はまだ明るい。

 でも、頭の中はずっと同じ音が鳴ってる。

 「よーい」「アクション」「カット」。

 

 監督がモニターの前から顔を上げて、手を叩いた。

 

「今日はここまで。おつかれさま。――明日は朝から別班で撮るから、役者さんは解散でいいわ」

 

 スタッフの声が重なる。

 

「おつかれさまでしたー」

「ありがとうございました!」

 

 俺も頭を下げる。

 

「おつかれさまでした。ありがとうございました」

 

 浅野さんが近づいてきて、資料を軽く叩いた。

 

「ハヤト君、いい滑り出しだ。今日の“斎音”、現場が助かった」

「ありがとうございます」

「ただ、次からは“疲れてる時の斎音”も必要になる。余裕の顔だけじゃ、参謀は嘘になる」

「……承知しました」

 

 浅野さんが笑う。

 

「その反応がもう斎音だな」

 

 更衣室でスーツを脱いで、私服に戻す。

 ネクタイの跡が首に残ってるのが、地味に現実だった。

 

 廊下に出ると、ひかりと紗夜と澪人が揃っていた。

 三人とも上着を羽織ってる。

 撮影の疲れがあるのに、目はまだ起きてる。

 

 ひかりが言った。

 

「斎音の通信、助かった。あれ、ずるい。安心しすぎる」

「ずるいか?」

 

 俺が短く返すと、紗夜が口元だけで笑った。

 

「ずるいよ。ああいうの、前線にいると反則」

 

 澪人が少しだけ笑って、すぐ真面目に戻る。

 

「僕、今日ずっと緊張してたけど……斎音の声、落ち着いた。役なのに」

「役でも、嘘は入れない」

 

 俺が言うと、ひかりが小さく頷いた。

 

「それ、好き」

 

 紗夜がすぐに突っ込む。

 

「軽く言うな。照れるだろ」

「照れない」

「照れてない顔が一番怖い」

 

 そのやり取りで空気が少しだけ緩んだ。

 現場の外に出た瞬間、やっと“人”に戻れる。

 

 監督が通りすがりに手を振る。

 

「明日もよろしくね。ハヤト君、台詞の最後、もう一段落とすと刺さるから。次、試そ」

 

「承知しました。よろしくお願いいたします」

 

 外に出ると、冷たい風。

 現場の熱が一気に引く。

 

 駅までの道を歩きながら、スマホを確認する。

 通知がいくつか溜まってた。

 

 レンから。

 

『今日はどうだった?』

 

 日和から。

 

『生きてる?初日で倒れてない?』

 

 命からも来ていた。

 

『お疲れさまです。帰り、寒いので気をつけてください』

 

 俺は歩きながら、短く返す。

 

『無事。ちゃんと進んだ』

 

 レンにはそれだけ。

 日和には。

 

『倒れてない』

 

 命には、少しだけ言葉を足す。

 

『ありがとう。帰る』

 

 送信して、スマホをポケットに戻す。

 

 電車の窓に、自分の顔が映る。

 疲れてる。

 でも、嫌じゃない。

 

 “勝つより、戻す”。

 

 あの台詞が、頭の中でまだ鳴ってる。

 作品の言葉なのに、俺の言葉にもなっていく。

 

 家に着いたら、明日の台本をもう一回読む。

 必要なら、間を作り直す。

 

 積むだけだ。

 明日も。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。