※この作品はR-18です。

男女比1対100の彼女たちの世界で   作:ののじん

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178話 外側を切る

 翌朝。

 

 まだ空が白くなりきっていない時間に、家を出た。

 息が白い。手が冷たい。

 でも頭は起きてる。昨日より、余計な緊張が減ってる。

 

 駅のホームで台本を開く。

 今日の斎音は、会議室じゃない。

 外。現場。人が多い場所。

 

 スタジオに着くと、昨日と同じ匂いがした。

 コーヒー。ケーブル。ライトの熱。

 受付の人がすぐに通してくれる。

 

「おはようございます」

 

 通りすがりのスタッフが返す。

 

「おはよう、ハヤト君」

「今日もよろしくね」

 

 控室でスーツに着替える。

 ネクタイの結び目を整える。

 鏡の中の斎音が、昨日より少しだけ馴染んでいた。

 

 廊下に出ると、もう現場は回っている。

 屋外セットの方向から、風の音みたいな機材の音が流れてくる。

 

 助監督が段取り表を持って走ってきた。

 

「ハヤト君、おはよう! 今日は外シーンから入るよ。斎音、初めて“現場に立つ”回」

「承知しました」

「ひかりと紗夜、もうスタンバイしてる。澪人は少し後。――先に立ち位置だけ確認しよう」

「はい」

 

 外セットに出ると、空気が違った。

 冷たい。広い。人の声が散る。

 会議室の密度とは逆で、集中しないと薄まる。

 

 ひかりが、肩を回しながらこっちを見る。

 

「おはよ。今日、外だね」

「おはようございます」

 

 紗夜が手袋を直しながら言う。

 

「外は動きが増える。斎音、置いてかれないでよ」

「置いていかない」

 

 澪人も合流して、軽く頭を下げた。

 

「おはようございます。昨日、ありがとうございました」

「おはよう。今日も同じだ」

 

 監督がマイクを持って、全体に声を通す。

 

「今日の最初は、街中の導線シーン。斎音が“裏で回す”のを、今度は“表でも”少し見せる。言葉は短く。動きも短く。だけど、全員がその一言で動く。――それ、作ろうね」

 

 助監督が叫ぶ。

 

「はい、各部門スタンバイ! 役者さん、位置ついて! ――よーい!」

 

 風が吹く。

 スタッフの声が消える。

 現場が一つの塊になる。

 

「アクション」

 

 ひかりと紗夜が走り出す。

 澪人がその後ろで足を止める。

 

 俺は一歩だけ前に出て、手を上げた。

 

「止まれ。――今は行くな」

 

 ひかりの足が止まる。

 紗夜も半歩遅れて止まる。

 勢いが残って、二人の呼吸だけが少し荒い。

 

「なんで」

 

 ひかりが噛みつくみたいに言う。

 

 紗夜が視線を走らせる。

 

「斎音、理由」

 

 俺は目線を動かさない。

 遠くの人波。

 横断歩道の中央で立ち止まっている男。

 スマホを見ているのに、顔が無表情。

 

「見ろ」

 

 短く言って、顎で示す。

 

「……あれ?」

 

 ひかりが目を細める。

 

 澪人が小さく息を吸った。

 

「薄まってる……」

 

 俺は端末を一度だけ操作して、マップを更新する。

 赤い輪が、外側へじわじわ広がっていく。

 

「中心に突っ込むと、こっちが削られる。まず外側を切る」

 

「外側って、どこ」

 

 ひかりが言う。

 

 俺は指で二点を示す。

 スタッフの視線がそこに集まるのが分かる。

 この動きは、芝居だけじゃない。現場でも使える。

 

「ここ。ここと、こっち。二人で分けろ」

 

 紗夜が即答する。

 

「私が右」

 

 ひかりが頷く。

 

「じゃあ私が左」

 

 澪人が不安そうに言った。

 

「僕は……?」

 

「動くな。俺の後ろ」

 

 俺が言うと、澪人は一拍置いて頷いた。

 

「……うん」

 

 監督の声が飛ぶ。

 

「いい! 今の“見ろ”と指示、すごくいい! ひかり、紗夜、止まるの綺麗! もう一回いくわよ!」

 

 助監督が続ける。

 

「はい、戻ってください! 同じ動きで、もうテイク重ねます! ――よーい!」

 

 俺たちは位置に戻る。

 風が吹いて、コートの裾が揺れる。

 それでも、斎音は揺れない。

 

「アクション」

 

 今度は、止める前に一瞬だけ“間”を作る。

 ひかりと紗夜が走り出す勢いを、声じゃなく空気で止める。

 

「……止まれ」

 

 短く落として言う。

 紗夜の足が先に止まり、ひかりが止まる。

 その順番が、二人の関係を見せる。

 

 監督が静かに言った。

 

「カット。OK。いい」

 

 現場が動く。

 スタッフが位置を変える。照明が動く。音が調整される。

 

 プロデューサーが近づいてきて、柔らかく言った。

 

「今のね、斎音の“背中”がいいの。前に出てるのに、前に出すぎない。助かる」

 

「ありがとうございます」

 

 監督が続けた。

 

「次は、澪人の不安をもう一段欲しい。斎音がそれを“置く言葉”で落とす。短くね。――短いほど強いから」

「承知しました」

 

 澪人役の神崎さんが、少しだけ緊張した顔で言う。

 

「僕、どこまで怯えていいですか」

 

 監督が笑った。

 

「怯えていいよ。怯えてるのに逃げないのが澪人だから。ね、斎音、頼むわ」

 

 俺は神崎さんを見る。

 短く答える。

 

「逃げなくていい。俺がいる」

 

 神崎さんが一拍置いて、頷いた。

 

「……はい」

 

 助監督が声を出す。

 

「次、澪人寄りから入ります! 準備できたら行きます! ――よーい!」

 

 空気がまた薄くなる。

 ここからは澪人の表情を拾う回だ。

 

「アクション」

 

 澪人が息を飲む。

 俺はその横で、端末を閉じた。

 

 そして、言葉を置く。

 

「澪人。深呼吸しろ」

 

 短い。

 それだけで、澪人の肩が少し落ちる。

 

 ひかりと紗夜が、同時に前を見る。

 全員の方向が、揃う。

 

 監督の声。

 

「……カット。今の、すごくいい。続けよう」

 

 監督の声が落ちた瞬間、現場の呼吸が戻る。

 スタッフが動き出し、機材の音が増えた。

 

 助監督が段取り表を見て叫ぶ。

 

「次、ひかりと紗夜、現場入りの走り! 斎音は通信指示! 澪人は背中でついていく! ――移動お願いします!」

 

 俺は端末を持ち直し、澪人の位置を半歩だけ後ろに調整する。

 寄りすぎると守ってる感じが強すぎる。

 離れすぎると不安が残る。

 

「ここ」

 

 短く言う。

 

 澪人が頷いて、そこに立つ。

 

「……うん」

 

 ひかりが手袋を直しながら言った。

 

「斎音、さっきの“深呼吸”さ。あれ、効くね」

 

 俺は答えを長くしない。

 

「落ちるから」

 

 紗夜が鼻で笑う。

 

「参謀、ほんと余計なこと言わない」

「必要なことだけ言う」

 

 監督が手を上げる。

 

「はい、位置ついて。今度はカメラ、追いでいくわよ。走り、綺麗に。斎音は走らないで。歩いて、止めて。――それが斎音」

 

「承知しました」

 

 助監督が声を張る。

 

「よーい!」

 

 空気が薄くなる。

 風の音だけが残る。

 

「アクション」

 

 ひかりと紗夜が走り出す。

 人波の端を切っていく。

 薄い表情の人たちが、反応しないまま視線だけ向ける。

 

 澪人が小さく息を詰めた。

 足が一瞬止まりかける。

 

 俺は澪人の肩に触れない。

 触れたら“支える”になって、澪人が弱く見える。

 

 言葉だけ置く。

 

「見るな。前」

 

 澪人が目線を前に戻す。

 その変化がカメラに拾われる。

 

 端末が震える。

 現場班からの報告。

 

『外側の封鎖、完了。一般人反応薄い。誘導に時間かかる』

 

 俺は即答で返す。

 

「急がせるな。声を荒げるな。刺激を入れるな。“落ち着いてください”じゃなく、“一緒に行きましょう”」

 

 返事が返る。

 

『了解』

 

 ひかりが走りながら叫ぶ。

 

「斎音、中心は!」

 

 俺は走らない。

 歩いて、端末を見て、指で地図をなぞる。

 

「中心はまだ見せない。――見せてるのは外側だ」

 

 紗夜が歯を食いしばる。

 

「敵、賢い」

 

「賢いなら、順番が効く」

 

 俺はひかりと紗夜を見て、声を落とす。

 

「二人とも。今は倒すな。割るだけだ。波を戻せ」

 

 ひかりが短く返す。

 

「分かった」

 

 紗夜も頷く。

 

「了解」

 

 澪人が小さく呟いた。

 

「……戻す」

 

 その瞬間、目の前の人波がふっと揺れた。

 何かが“吸う”みたいに空気が軽くなる。

 

 澪人の顔色が一瞬だけ落ちる。

 足が、また止まりかける。

 

 俺は端末を閉じた。

 視線を澪人に向けて、言葉を置く。

 

「澪人。息。――今は、吐け」

 

 澪人が息を吐く。

 肩が落ちる。

 視線が戻る。

 

 監督の声が飛ぶ。

 

「カット! 今の! 今の“吐け”すごくいい! 澪人の落ちる感じ、完璧!」

 

 現場がざわつく。

 褒め言葉が飛び交う。

 

「今の、鳥肌!」

「澪人の目、変わった!」

 

 神崎さんが小さく笑って、すぐに真面目に戻る。

 

「……ありがとうございます。助かりました」

 

 俺は短く返す。

 

「次も同じだ」

 

 監督がモニターを見ながら言う。

 

「斎音、いい。ひかりと紗夜もいい。

 この三人の“揃い方”、作品の顔になるわ」

 

 プロデューサーも頷く。

 

「うん。見てて安心する。視聴者も安心するね」

 

 助監督がすぐ段取りを回す。

 

「はい、次! 中心に入る前の“止め”もう一回撮ります! 今の芝居のまま、角度変えます! ――移動お願いしまーす!」

 

 俺は深く息を吸って、吐いた。

 自分の呼吸も整える。

 

 まだ午前。

 でも、もう一日分の密度がある。

 

 それでも、積める。

 

 斎音として。

 役者として。

 

 

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