※この作品はR-18です。

男女比1対100の彼女たちの世界で   作:ののじん

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182話 チョコの甘い香り

 朝、玄関を出た瞬間から、空気がいつもと違った。

 同じ冬の冷たさなのに、学校へ向かう足だけが少し浮いている。

 

 今日はバレンタイン当日。

 紙袋の中身は、昨日の夜に何度も確認した。

 崩れてない。タグも間違ってない。

 準備はできてる。

 

 教室に入ると、レンが先に来ていた。

 机の横に置いた袋を見て、目が合う。

 

「……おはよう」

「おはよう」

 

 レンは声を落とす。

 

「持ってきた。ちゃんと」

「俺も」

 

 それだけで通じる。

 余計な説明はいらない。

 

 午前の授業は、いつもより短く感じた。

 休み時間ごとに、誰かの視線が紙袋に向く。

 でも、騒ぐほどじゃない。

 みんな“今日”の空気を分かってる。

 

 昼休みが終わる頃から、教室の前の空気が少し変わった。

 廊下に立ち止まる女子が増える。

 手には小さな紙袋や箱。

 視線の先は、だいたい同じだった。

 

「天城くん、これ……よかったら」

「ハヤトくん、受け取ってください」

 

 俺は一つずつ、短く頭を下げて受け取る。

 

「ありがとう」

「大事に食べる」

 

 レンの机の前にも、同じように人が集まる。

 レンは最初こそ少し固かったけど、途中からはちゃんと目を見て受け取っていた。

 

「ありがとう」

「……うん、嬉しい」

 

 放課後には、机の横の紙袋がもういっぱいだった。

 箱が潰れないように、重い順に下へ入れ直す。

 レンが隣で苦笑する。

 

「今年も、多いね」

「多いな」

「帰り、気をつけないと。落としたら終わる」

「終わるな」

 

 俺たちは袋の口をしっかり閉じて、持ち手を握り直した。

 廊下を歩くたび、包み紙が小さく触れ合う音がする。

 

 玄関を出ると、冬の空気が頬に刺さった。

 それでも手元は少し重くて、少しあたたかい。

 

 今年も、たくさんのチョコを持って帰る。

 それは数だけじゃなくて、ちゃんと気持ちの重さだった。

 

 屋上前の踊り場。

 風は冷たいけど、今日は誰も文句を言わない。

 

 日和が先に手を振った。

 

「おっはよー。……なんか、全員ちょっとそわそわしてない?」

 

 恵が上品に微笑む。

 

「ふふ。そういう日ですもの」

 

 命はいつもの表情で立っている。

 でも、指先だけが少し落ち着かない。

 俺の視線に気づいて、小さく頷いた。

 

 レンが一歩出る。

 いつもより姿勢がいい。

 

「日和。これ」

 

 小さな箱を、まっすぐ差し出す。

 日和は一瞬だけ目を丸くして、すぐ笑った。

 

「え、私? いいの?」

「うん。受け取って」

 

 日和は両手で受け取る。

 

「ありがと。めっちゃ嬉しい」

 

 軽い調子なのに、受け取り方は丁寧だった。

 レンの肩が、目に見えて下がる。

 

「……私からもあるよ」

 

 のんびりした調子のまま、日和が自分のバッグを開ける。

 中から、小さな包みを取り出した。

 派手じゃないけど、角がきれいに揃ってる。

 

「レン、はい」

 

 レンが目を丸くする。

 

「え、僕に?」

 

「うん。今日だし。

 いつもありがと、のぶん」

 

 レンは一拍遅れて、両手で受け取った。

 

「……ありがとう」

 

 日和は肩をすくめて笑う。

 

「どーいたしまして。味は保証しないけど」

 

 レンが小さく首を振る。

 

「保証いらない。嬉しい」

 

 その返しに、日和の笑い方が少しだけやわらかくなる。

 

「そっか。じゃ、渡してよかった」

 

 レンは続けてもう一つ出す。

 

「澪にも、あとで渡す」

「いいじゃん」

 

 日和がにやっと笑う。

 

「レン、ちゃんとしてる」

 

 レンは少し照れて、短く返す。

 

「今日は、ね」

 

 恵はその様子を見て、満足そうに頷いた。

 

「よろしいですわ。気持ちは、渡してこそですもの」

 

 そのあと、命が小さく前に出る。

 俺に向けて、箱を差し出した。

 

「……ハヤトさん。これ、受け取ってください」

 

 丁寧な声。

 目はまっすぐ。

 揺れはあるのに、逃げてない。

 

 俺は両手で受け取る。

 

「ありがとう」

 

 命は一拍置いて、ほんの少しだけ笑った。

 

「……はい」

 

 短い返事なのに、温度が残る。

 命が一歩下がると、恵がコートの袖を整えて前に出た。

 小さな箱を両手で持って、いつもの上品な笑みを向ける。

 

「ハヤトさん。こちら、受け取ってくださる?」

 

 俺は短く頷いて、両手で受け取る。

 

「ありがとう」

 

 恵は目を細めて、満足そうに頷いた。

 

「ふふ。きちんと受け取っていただけて安心しましたわ。甘すぎないものを選びましたの。ハヤトさん、そちらのほうがお好きでしょう?」

「分かってるな」

「当然ですわ」

 

 恵は軽く顎を上げて、すぐに柔らかく笑い直す。

 

「今日は“特別”を渡す日ですもの。わたくしも、きちんと渡したかったんですの」

 

 日和が横でのんびり口を挟む。

 

「お、恵ちゃんの本命感つよい〜」

「からかわないでくださる?」

 

 恵は言いながらも、機嫌は悪くない。

 

 命は静かにそのやり取りを見て、ほんの少しだけ口元を緩めた。

 冬の空気は冷たいままなのに、踊り場の温度だけ少し上がった気がした。

 

 午後、放課後。

 学校を出たあとも、渡す相手は続く。

 

 まず、玲奈。

 次に遥香。

 

 玲奈は箱を見た瞬間、ぱっと顔を明るくした。

 

「わ、うれしい! こういうの、ちゃんと用意してくれるの好き」

 

 空気が一気に柔らかくなる。

 受け取り上手だな、と思う。

 

 遥香は箱を胸元で抱えて、やわらかく笑った。

 

「ありがとう。忙しいのに、ちゃんと準備したんだね」

「準備はした」

「うん。その“ちゃんと”が嬉しい」

 

 そのあと御堂家へ。

 家族全員分を渡していく。

 

 綾乃さんは丁寧に受け取り、

「ありがとうございます。気持ちが何より嬉しいです」

と微笑んだ。

 

 澄乃は箱を見て、

「さすが、坊や。そういうところ、私大好き」

と楽しそうに笑う。

 

 由紀子姉さんは短く、

「ありがと。助かる」

と受け取り、すぐ大事そうに脇へ置いた。

 

 千佳は目を輝かせる。

 

「命姉、見て! すごい、かわいい!」

 

 命は小さく頷いて、

 

「……良かったですね」

 

と静かに返す。

でも、口元は少しだけ柔らかい。

 

 最後に母さん。

 箱を受け取って、目を細める。

 

「ありがとう。こういうの、やっぱり嬉しいね」

「よかった」

 

 母さんは小さく笑った。

 

「今日はいい日だね。渡す方も、受け取る方も」

 

 夜。

 部屋に戻って、机に置いた箱を見る。

 命と恵からもらった分だ。

 

 包みを開ける前に、一度だけ深呼吸する。

 甘い匂いが、まだ残っていた。

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