※この作品はR-18です。

男女比1対100の彼女たちの世界で   作:ののじん

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183話 戻すための順番

「アクション」

 

 夕方の高架下。

 人の流れはあるのに、声だけが薄い。

 笑っている顔が少ない。

 NOCTの波が、広がってる。

 

 ひかりが前に出る。

 

「斎音、中心はどこ?」

 

 紗夜はすでに半歩前。

 今にも飛び出す顔だ。

 

「待ってたら間に合わない」

 

 澪人の端末が震える。

 画面のグラフが、横に潰れていく。

 

「……また下がってる。感情値、全体で低下」

 

 俺は地図を一度だけ拡大した。

 赤い反応が三つ。

 全部、本命じゃない。

 

「囮だ」

 

 ひかりが眉を上げる。

 

「三つとも?」

「三つとも」

 

 紗夜が舌打ちを飲み込む。

 

「じゃあ本命はどこ」

 

 俺は視線を上げる。

 高架の支柱。

 人が自然に詰まる、死角の細い通路。

 

「人が“避けない場所”に置く。混雑の真ん中じゃない。流れが詰まる手前だ」

 

 澪人が顔を上げる。

 

「……北側の連絡通路」

「正解」

 

 俺は即座に指示を切る。

 

「ひかり、南を閉じろ。紗夜は西の出口。澪人は俺の後ろ。単独で見ない」

 

 ひかりが問う。

 

「倒しに行かないの?」

「先に戻す。倒すのはその後だ」

 

 紗夜が笑う。

 鋭い笑い方。

 

「相変わらず、容赦ない順番」

「勝つためじゃない。街を戻すための順番だ」

 

 助監督の声が飛ぶ。

 

「いいです! そのまま続けます! カメラ追います!」

 

 現場の熱が上がる。

 でも斎音は上げない。

 上げたら、負ける。

 

 通路に入る。

 空気が妙に軽い。

 軽いのに、息がしづらい。

 

 ひかりの声が通信で弾む。

 

『南、封鎖完了!』

 

 紗夜が続く。

 

『西も止めた。逃げ道なし』

 

 澪人の呼吸が浅くなる。

 NOCTの波が近い。

 

「……斎音、来る」

「分かってる」

 

 俺は立ち止まる。

 前に出ない。

 ここで一歩出ると、全員が前に出るからだ。

 

 壁際の空間が歪む。

 黒い粒子。

 ノイズの塊。

 

 ひかりが通信で言う。

 

『見えた! 叩く!』

「待て」

 

 短く切る。

 一拍、全員が止まる。

 

「今叩くと散る。散ればまた薄まる。核だけ抜く」

 

 紗夜が低く返す。

 

『どう抜く』

 

 俺は澪人の端末を指で示す。

 

「澪人、同期だけ取れ。深追いするな」

「……できる」

 

 澪人が指を滑らせる。

 ノイズの中心が、わずかに明るくなる。

 

「今だ。ひかり、右。紗夜、左。“割る”だけだ。壊すな」

 

『了解!』

 

 斬撃が交差する。

 ノイズの殻だけが割れて、中心が露出。

 拡散が止まる。

 

 人のざわめきが、少し戻る。

 遠くで子どもが泣く声。

 その“普通”が戻ってくる。

 

 澪人が息を吐く。

 

「……戻ってる」

 

 俺はそこで、はっきり言う。

 

「覚えとけ。俺たちの仕事は、派手に勝つことじゃない。誰かの明日を、今日のうちに元の場所へ戻すことだ。焦って正しさを振り回すな。順番を守れ。順番を守った正しさだけが、人を守れる」

 

 一瞬、静かになる。

 通信の向こうでも、息を飲む音がした。

 

 ひかりが小さく笑う。

 

『……了解、参謀』

 

 紗夜も続く。

 

『そういうとこ、ほんとズルい』

 

 俺は端末を閉じる。

 

「戻るぞ。次が来る」

 

 監督の声。

 

「カット! ……いい! 斎音の台詞、刺さる! “順番を守った正しさだけが、人を守れる”最高!」

 

 プロデューサーがモニター前で頷く。

 

「これ、予告で使える。斎音の顔になる台詞だわ」

 

 俺は短く頭を下げた。

 

「ありがとうございます」

 

 夜の会議室。

 白い照明の下で、斎音は資料を一枚ずつ並べた。

 机の中央に地図。左にログ。右に封鎖計画。

 順番に、隙はない。

 

 澪人が端末を抱えて入ってくる。

 

「……遅くなった。再計測、終わったよ」

 

 斎音は視線だけを上げた。

 

「結果」

 

 澪人は画面を向ける。

 市内の感情ログは、浅く波打ちながらもまだ不安定だった。

 

「収束はしてる。でも、NOCTの残滓が三点。このままだと、明日の朝に再点火するかも」

 

 紗夜が壁にもたれて腕を組む。

 

「なら、今のうちに潰す。簡単だ」

 

 ひかりは椅子を引いて座り、地図を覗き込む。

 

「三点同時は無理。どれが本命?」

 

 斎音はペン先で一点を示した。

 北東ブロック、通学路と商店街の継ぎ目。

 

「ここだ」

 

 紗夜が眉を上げる。

 

「理由は」

「残滓の強さじゃない。流量だ。人が最も“日常として通る線”に置くのがNOCTの癖だ」

 

 ひかりが頷く。

 

「目立つ場所じゃなく、止まらない場所」

「そうだ。気づかれないまま薄める。あいつらはそこに価値を置く」

 

 澪人が小さく息を吸う。

 

「……じゃあ、残り二点は」

「囮。放置でいい」

 

 紗夜がすぐに返す。

 

「放置は嫌い」

 

 斎音は表情を変えない。

 

「“今夜守るべきもの”を守る。それ以外は明朝、回収班に回す。任務は気分で増やすな」

 

 紗夜は数秒黙って、肩をすくめた。

 

「了解。参謀命令、ってやつね」

 

 斎音は地図に三本の線を引いた。

 進入、封鎖、退避。

 線は短く、交差しない。

 

「ひかりは東口。紗夜は高架側。澪人は中継点固定。前に出るな」

 

 澪人が言う。

 

「固定で足りる?」

「足りるように設計する」

 

 斎音は最後の紙を重ね、クリップで留めた。

 

「開始十分で封鎖。十分経過で同期。十五分で核抜き。二十分で撤収。延長なし」

 

 ひかりが笑う。

 

「秒で組んでるな」

「迷う余地を消してるだけだ」

 

 会議室のドアが開き、連絡員が顔を出す。

 

「現地から。北東ブロック、歩行者増加。予定より十分早いです」

 

 澪人が顔をこわばらせる。

 

「早い……どうする?」

 

 斎音は時計を見る。

 秒針が一つ進む間に答えた。

 

「前倒しする。開始を今から七分後。封鎖は五分で完了させろ」

 

 ひかりが立ち上がる。

 

「了解」

 

 紗夜も壁から離れる。

 

「やっと動ける」

 

 斎音は二人を見て、低く言った。

 

「焦るな。速く動くのと、急ぐのは違う。速さは手順の中にある。手順の外に出た速さは、ただの事故だ」

 

 ひかりと紗夜が同時に頷く。

 

「了解」

 

 澪人が端末を握り直す。

 

「僕は中継固定。同期だけ取る」

「そうだ」

 

 斎音は資料を閉じ、ジャケットを整えた。

 目線は静かで、温度は変わらない。

 

「行くぞ。今夜の目的は一つ。街の呼吸を、明日の朝までに戻す」

 

 三人が続く。

 ドアが閉まる直前、会議室の灯りが地図の上で白く反射した。

 

 斎音は振り返らない。

 必要な言葉はすでに置いた。

 あとは、置いた順番どおりに世界を戻すだけだった。

 

 北東ブロックの任務は、予定より二分早く終わった。

 封鎖、同期、核抜き、撤収。

 斎音の引いた線を、誰も踏み外さなかった。

 

 ──そして、照明が落ちる。

 

「カット! OKです!」

 

 監督の声が高架下に響いた瞬間、張っていた空気がほどける。

 スタッフが一斉に動き出し、ケーブルを巻き、機材を引く。

 夜の現場は、戦闘より撤収のほうが速い。

 

 ハヤトは息を整えて、肩の力を抜いた。

 斎音の姿勢のまま数秒止まってから、ゆっくり現実に戻る。

 

「ハヤト君、今のラスト、すごく良かったです」

 

 助監督が台本を抱えたまま駆け寄る。

 

「ありがとうございます」

 

「“速く動くのと、急ぐのは違う”のところ、空気が締まりました。あれ、次回予告にも使いたいです」

 

「使えるなら、ぜひ」

 

 モニター前でプロデューサーが頷く。

 

「斎音、かっこよさを足し算で作ってないのがいいの。派手にしないで勝つ、って説得力がある」

 

 ハヤトは短く頭を下げた。

 

「ありがとうございます」

 

 そこへ、ひかり役の白石玲がコートを羽織りながら来る。

 

「おつかれ。あの会議室の段取り、私やりやすかった」

 

 紗夜役の桐谷みさきも続く。

 

「分かる。“任務は気分で増やすな”って台詞、刺さった。あれ好き」

 

 ハヤトは水を受け取って、キャップをひねる。

 

「二人の返しが早かったから締まった。助かった」

 

 澪人役の結城恒一が端末小道具を抱えて近づく。

 

「僕、今日テンポ遅れたかと思ってたけど……斎音が見てくれてる感じで戻れた」

「戻れてた。問題ない」

 

 短い返事。

 でも、それだけで澪人の表情が明るくなる。

 

 衣装スタッフが声をかける。

 

「ハヤトさん、次、着替えお願いします」

「はい」

 

 仮設テントの更衣スペースで、ジャケットを脱ぐ。

 斎音の衣装は無駄がない分、脱いだあとに体感温度が急に下がる。

 私服に戻ると、ようやく「撮影が終わった」が身体に追いついた。

 

 外に出ると、現場はほぼ片付いていた。

 監督が最後の確認を終えて、全体に向けて言う。

 

「本日終了です。おつかれさまでした!」

「おつかれさまでした!」

 

 声が重なる。

 夜気は冷たいのに、現場の終わりには熱が残る。

 

 ハヤトがバッグを肩にかけると、マネージャーの浅野さんが手帳を見ながら歩いてくる。

 

「ハヤト君、明日は放課後に打ち合わせ一本。土曜朝がスチール、日曜が本編アクション。いけるか?」

「いけます」

「よし。今日の会議室、かなり評判いい。“言葉が入る”って監督が褒めてた」

「ありがとうございます」

 

 浅野さんは口元だけで笑う。

 

「自信持て。斎音は“冷たい”じゃなくて“信頼できる冷静さ”になってる。そこが強い」

 

 ハヤトは短く頷いた。

 

「崩さないようにします」

「崩さなくていい。積めばいい」

 

 それだけ言って、浅野さんは次のスタッフの方へ向かった。

 

 帰り際、ひかりが遠くから手を振る。

 

「また明日ね、参謀!」

 

 紗夜が横で笑う。

 

「現場外でその呼び方はやめなさいって」

 

 澪人も小さく手を上げる。

 

「おつかれ!」

 

 ハヤトは軽く手を上げ返す。

 

「おつかれ」

 

 現場の照明が一つ、また一つ落ちる。

 最後に残った白い灯りも消えて、高架下は夜の色に戻った。

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