上級生の卒業式が終わると、校内の音がひとつ減る。
拍手の余韻が消えた廊下は、いつもより広く見えた。
窓の外の桜は、まだ咲いていない。
式の片付けを終えて、俺たちは屋上前の踊り場に集まった。
手すりに触れる風は冷たい。
でも、冬の終わりの冷たさじゃない。
日和がのんびり口を開く。
「卒業式って、ちょっとしんみりするよね」
レンが小さく頷く。
「分かる。人が減ると、学校の音が変わる」
恵は姿勢を崩さず、丁寧に言った。
「節目ですもの。寂しさがあるのは自然ですわ」
命は俺の隣に立ち、前を見たまま続ける。
「……でも、進む時期でもあります」
「そうだな」
短く返したとき、ポケットのスマホが震えた。
浅野さんから、短い連絡。
『放送反応は良好。進行は予定どおり。共有事項は後でまとめて送る』
俺はすぐ返す。
『了解です』
画面を閉じる。
余計な文はない。
それで十分だった。
日和がこちらを見て笑う。
「仕事の連絡?」
「ああ。予定どおり進んでる」
レンが言う。
「いいね。慌てなくて済む」
恵がうなずく。
「評判が良い時ほど、足元を固めるべきですわね」
命は静かに言葉を重ねた。
「……無理はしないでください。けれど、止まらないでください」
「分かった」
命は小さく頷いた。
表情は大きく変わらない。
それでも、その一言には重さがある。
チャイムが鳴って、下校の流れが動き出す。
階段を降りながら、日和が振り向いた。
「春休み入っても、たまには集まろ。近況聞きたいし」
「いいな」
レンがすぐ乗る。
「短時間でいいなら、僕も合わせる」
恵が柔らかくまとめる。
「では、春休み第一回の作戦会議ということで」
命も小さく言った。
「……はい」
昇降口を出ると、空気が少しだけやわらかい。
季節が変わる匂いがした。
撮影は裏で回り、連絡は必要な分だけ届く。
俺たちは表で騒がない。
その代わり、見えないところで積み重ねる。
卒業式が終わって、春休みに入る。
区切りはついた。
だから次は、静かに進める番だ。
窓の外の夜風はまだ冷たい。
それでも、明日はもう春休みの時間で動く。
☆
春休みの朝は、学校がない分だけ静かだった。
目覚ましの音で起きても、急いで制服を着る必要がない。
それでも、体はいつもの時間に動いた。
テーブルの上には、浅野さんから届いた共有メモ。
長い文章じゃない。
必要な項目だけが並んでいる。
放送反応は継続して好調。
広報は予定どおり。
現場進行も予定どおり。
追加連絡は必要時のみ。
それを読んで、スマホを伏せる。
十分だ。
見えないところで回っているものを、毎回全部見る必要はない。
昼前、グループチャットに日和から通知が来る。
日和
『今日、短く集まる? 春休み一回目の顔合わせしたい』
蓮
『行ける』
恵
『わたくしも問題ありませんわ』
命
『……私も、大丈夫です』
俺は短く打つ。
『午後、御堂家で』
午後、御堂家の応接室に五人が揃った。
磨かれたテーブルに湯気の立つ紅茶。
窓の外の庭は、春の光を薄く受けている。
日和がソファに腰を下ろして笑う。
「春休み初日からこの落ち着き、なんかいいね」
レンが頷く。
「うん。移動も少ないし、話しやすい」
恵はカップを丁寧に持ち上げる。
「ここなら周りを気にせず確認できますわ。春休みの最初としては最適ですわね」
命は俺の隣で、静かにカップへ手を添えた。
「……はい。揃える機会は、必要だと思います」
俺は全員を見て、短く言う。
「春休み中も、連絡はこまめに。無理はしない。予定変更は早めに共有」
日和がすぐ手を上げる。
「了解。あと、雑談も必要。真面目だけだと息切れする」
レンが笑う。
「それはほんと」
恵も同意する。
「採用ですわ」
命は小さく頷いた。
「……私も、賛成です」
話がひと区切りついたところで、応接室の扉がノックされた。
執事の渡会風香さんがワゴンを押して入ってくる。
焼きたての小さなパイと、追加の紅茶。
「失礼いたします。差し替えのお茶をお持ちしました」
「ありがとう、渡会さん」
俺が受け取ると、渡会さんは丁寧に一礼して下がった。
日和が目を丸くする。
「え、これ手作り? すご」
「ええ。御堂家のお菓子は美味しいですわよ」
レンはパイを半分に割って、素直に言う。
「おいしい。これ、緊張ほぐれる味」
命も小さく頷く。
「……甘さがちょうどいいです」
空気がやわらいだところで、俺はテーブルの上にメモを置いた。
手書きで三行だけ。
一、連絡は短く早く。
二、予定変更は当日より前。
三、無理は隠さない。
「春休みのルール、これでいく」
日和が指を折りながら読む。
「うん、分かりやすい。三つなら守れる」
レンも頷く。
「これなら迷わないね」
恵が紅茶を置く。
「よろしいですわ。曖昧な“頑張る”より、ずっと実用的ですもの」
命はメモを見つめてから、静かに言った。
「……三つ目、好きです」
俺は命を見る。
「無理を隠すと、順番が崩れるからな」
「……はい」
命はそれ以上言わなかった。
でも、視線の温度が少しだけ上がる。
日和が空気を軽くするように笑う。
「じゃ、四つ目追加。“甘いものは正義”」
レンが吹き出す。
「それ、ルール?」
「大事な補助線」
恵が肩をすくめる。
「却下……と言いたいところですが、今日は可決でよろしいですわ」
小さな笑いが広がる。
張っていた空気が、ちょうどいいところまでほどけた。
夕方が近づき、窓の光が少し傾く。
解散前、俺たちは次の集合だけ決めた。
放送日の翌日、同じく御堂家。
短時間で感想と予定確認。
立ち上がると、命が隣で小さく声をかける。
「……ハヤトさん」
「ん?」
「……今日、ありがとうございます。落ち着きました」
「こっちもだ」
命はほんの少しだけ微笑んだ。
命は最近笑顔が多い。
いいことだな。
玄関先で見送りをして、レンと日和が帰っていく。
恵も「また明日連絡しますわ」と言って階段を上がった。
静かになった廊下で、スマホが短く震える。
浅野さんから一行。
『共有助かる。春休み中、その運用で進めよう』
俺はすぐ返す。
『了解です』
画面を閉じる。
見えるところは静かで、見えないところは進んでいる。
その形が、今はいちばんいい。
俺は応接室の灯りを落として、浅野さんに送る共有メモをまとめた。