※この作品はR-18です。

男女比1対100の彼女たちの世界で   作:ののじん

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19話 天城隼人との出会い

御堂命(みどうみこと)視点

 

 

 朝の空気は、少しだけ冷たかった。駅を出た瞬間、ブレザーの袖口から入り込む風が、意識を現実に引き戻す。桜は満開で、花びらが静かに落ちている。綺麗だと思う前に、足を止めないことを優先した。

 

 人が多い。思っていたよりも、ずっと。

 新しい制服、知らない顔、視線の向き。全部を一度に処理しようとして、呼吸が浅くなる。

 

 大丈夫。

 そう言い聞かせて、歩く速度を一定に保つ。

 

 (落ち着いて)

 

 校門までの道は、事前に確認してある。改札から右、並木道を抜けて、そのまま直進。問題はない。袋の重みが腕にあることも、さっきまでは確かに感じていた。

 

 ――違和感は、ほんの一瞬だった。

 

 軽い。

 正確には、軽すぎる。

 

 足が止まる。呼吸が止まる。

 腕を見る。

 

 白い袋が、ない。

 

 (……っ)

 

 心臓が、強く一度打った。

 すぐに辺りを見回す。後ろ。足元。人の流れ。桜の下。どこにも、ない。

 

 落とした。

 認めた瞬間、指先が冷える。

 

 あの袋は、だめだ。

 なくしてはいけない。中身の問題じゃない。持っていること自体が、意味を持つものだから。

 

 人の流れに逆らって、来た道を数歩戻る。視線を低くして、地面を探す。

 

 呼吸が、また浅くなる。

 

 (……どうしよう)

 

 声を上げるべきか、一瞬迷う。

 でも、それは違う。騒ぎにすれば、余計な目を集めるだけだ。

 

 拾ってくれた人がいる可能性。

 その場合、交番に届けられるのが一番いい。

 

 そう考えて、駅の方向へ視線を向けた、そのとき。

 

 人の流れの端で、立ち止まっている二人が見えた。

 

 男子。

 同じブレザー。

 

 そのうちの一人が、白い袋を手にしているのが見えた。

 

 (……あ)

 

 胸の奥が、静かにほどける。

 でも、足はすぐに動かなかった。

 

 拾った人が、どういう人か分からない。

 無理に声をかけて、警戒されるのは避けたい。

 

 少しだけ、距離を詰める。

 袋に視線を落とす。刺繍。間違いない。

 

 意を決して、声をかける。

 

「すみません」

 

 自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。

 

 振り返った、その人と目が合う。

 

 ――一瞬、思考が止まった。

 

 (……え)

 

 想像していなかった、というだけじゃない。

 目の前の男子は、場違いなほど落ち着いて見えた。

 

 背が高い。姿勢がいい。

 顔立ちは整っているのに、自己主張がない。

 視線が、逃げない。値踏みもしない。ただ、こちらを見ている。

 

 周囲の視線を集めている自覚がないのか、気にしていないのか。

 どちらにしても、人の目を引く容姿であることは否定できなかった。

 

 その隣のもう一人は、少しだけ緊張しているようだった。

 背は高くないが、線が細く、整った顔立ちをしている。柔らかい印象で、視線の動きに素直さが出ていた。

 

「……その袋」

 

 視線を、手元へ向ける。

 言葉はそれだけで足りた。

 

「落としたの、私で……」

 

 言い切らない。

 確認する必要がある。

 

 相手は、すぐに頷いた。

 

「交番に届けようと思ってた」

 

 (……よかった)

 

 胸の奥で、そう思った。

 安堵はある。でも、油断はしない。

 

「ありがとうございます」

 

 感謝は、必要な分だけ伝える。

 袋を受け取るとき、指先が一瞬だけ触れた。

 

 その感触が、なぜか記憶に残った。

 

 袋を受け取って、胸に抱く。

 指先に伝わる重みで、ようやく呼吸が元に戻った。

 

 (……大丈夫)

 

 中身が無事かどうかじゃない。

 これを持っているかどうかが、今の私には重要だった。

 

 御堂として外に出るとき、必ず携えるもの。

 何かあったとき、庇護を求めるための印。

 そして――将来、私自身の意思を通すための、唯一の鍵。

 

 落としたままだったら、

 誰の手に渡っていたか分からない。

 

 最悪の想定が、頭をよぎる。

 だから、見つかった瞬間、ほっとしてしまった。

 

 ……それだけのはずだった。

 

 なのに。

 

 彼は、まだそこにいた。

 視線が、外れない。

 

 (……なに)

 

 警戒するべきだ。

 私は、そう教えられてきた。

 

 御堂の名を持つ者として、

 不用意に人と関わらないこと。

 特に、男には。

 

 この世界で、男は希少だ。価値がある。

 そして、私が名家の生まれだと知った瞬間、距離を詰めてくる男は少なくない。

 

 目的は分かりやすい。

 立場。庇護。将来。

 言葉は丁寧でも、視線の奥にあるものは、いつも同じだ。

 

 だから――

 男性に気を許してはいけない。

 

 それは、感情の問題じゃない。

 御堂として生きるために、最初に教えられた判断基準だった。

 

 でも。

 

 目の前の彼からは、

 計算の気配がしなかった。

 

 欲しがる目でも、怯える目でもない。

 ただ、まっすぐに、こちらを見ている。

 

「待って」

 

 声をかけられる。

 

 反射的に足を止めて、振り返る。

 

「……何でしょうか」

 

 距離は、保ったまま。

 

「同じ中学だろ。入学式」

 

 一瞬だけ、彼の制服を見る。

 校章。学年。間違いない。

 

「はい」

 

「せっかくだから一緒に行かないか?」

 

 (……一緒に?)

 

 意外だった。

 拾って終わり、でいいはずなのに。

 

 断る理由は、すぐに浮かぶ。

 目立つ。

 噂になる。

 余計な注目を集める。

 

 でも同時に、別の判断も浮かぶ。

 

 同じ学校。

 同じ入学式。

 人の流れは、もうできている。

 

 ここで一人で離れる方が、

 かえって不自然だ。

 

 (……合理的、か)

 

 私は感情で動くのが、得意じゃない。

 だから、理由を並べる。

 

 一緒に行くことで、危険は増えない。

 相手は、さっき袋を交番に届けようとしていた。

 少なくとも、今この場で害はない。

 

 それでも――

 胸の奥が、ほんの少しだけざわついている。

 

 警戒とは、違う。

 嫌悪でもない。

 

 (……悪くない)

 

 そう判断した瞬間、結論はもう出ていた。

 

「……構いません」

 

 そう口にした自分の声は、思ったよりも落ち着いていた。

 感情が乗っていない、いつもの調子だ。

 

 けれど、言い終えた直後、胸の奥がわずかに揺れる。

 後悔ではない。かといって、確信でもない。

 

 理由を探そうとして、やめた。

 言葉にしてしまえば、どれも違う気がしたから。

 

 ただ、何かが動いた。

 それ以上は、分からない。

 

 自然に、歩き出す流れになる。

 三人で並ぶ形だ。

 

 彼――天城さんは、私の半歩前を歩かない。

 かといって、後ろに下がることもない。

 距離の取り方が、妙に正確だった。

 

(……女性慣れしている?)

 

 そう思った瞬間、首を横に振る。

 断定するには、情報が足りない。

 

 距離の取り方は丁寧だ。

 視線も、言葉も、慎重に選んでいる。

 

 けれど――

 それが経験のなさからなのか、経験の多さゆえの選択なのかは、分からない。

 

 視線を向けられても、必要以上に反応しない。

 周囲を見ているが、落ち着きを崩さない。

 

 隣の佐久間は、少しだけぎこちない。

 視線が泳ぎ、時折こちらを気にしては、すぐに逸らす。

 それでも、無理に割り込んでこない。

 

 それぞれが、それぞれの距離を保っている。

 

 並木道を進む。

 桜の花びらが、足元に落ちる。

 

 人の視線が集まっているのが分かる。

 いつものことだ。

 けれど今日は、少しだけ違う。

 

 私だけじゃない。

 天城さんにも、向けられている。

 

 (……やっぱり、目立つ)

 

 容姿だけじゃない。

 立ち方、歩き方、視線。

 周囲に合わせようとしないのに、浮いていない。

 

 不思議な感覚だった。

 

「さっきの袋、大事なものだったんだな」

 

 一瞬、言葉に詰まる。

 否定も肯定も、しない選択肢が浮かぶ。

 

「……ええ」

 

 それだけ答えた。

 

 深く聞いてこない。

 頷いて、それ以上は触れない。

 

 (……踏み込まない人)

 

 それは、安心でもあり、少しだけ物足りなくもあった。

 自分でも理由は分からない。

 

 校門が見えてくる。

 人の流れが、さらに密になる。

 

 ざわめきの中で、私は一度だけ息を吸った。

 

 (……ここまで来たなら)

 

 今日一日は、

 この選択を、受け入れてみよう。

 

 そう思いながら、

 私は三人で並んだまま、校門をくぐった。

 

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