※この作品はR-18です。

男女比1対100の彼女たちの世界で   作:ののじん

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202話 放課後の紙束

 新学期は、二日目から動き出す。

 初日は始業式だけでほぼ終わり、あとは新しいクラスの空気に慣れるので精一杯だった。

 

 二年C組の午後は、最後のチャイムと同時にほどけた。

 椅子の脚が床を擦る音、鞄のファスナー、廊下へ流れる足音。

 俺はノートを閉じて立ち上がり、黒板の連絡を一度だけ見直してから教室を出る。

 

 廊下の窓から、春の斜光が長く差していた。

 昨日より少しだけ学校のリズムに体が馴染んでいる。

 そんなことを考えながら階段を降りたところで、曲がり角の先から慌てた声が飛んできた。

 

「うわっ、待って、うそっす、ちょ――!」

 

 反射で足を速める。

 中庭へ抜ける渡り廊下の手前で、一年の女子が紙束を抱えたまま立ち尽くしていた。

 いや、正確には、立ち尽くすしかなかった。

 腕の中にあったはずの紙は、風にあおられて四方へ散っている。

 

 日向結陽だった。

 

 昨日と同じ、勢いのある声。

 

 結陽は紙束を抱えたまま立ち尽くし、風にあおられた一枚を追いかけて、別の紙をまた落とした。

 

 俺は何も言わず、足元に滑ってきたプリントを先に拾う。

 次に花壇の縁へ引っかかった一枚を押さえて、重ねて渡した。

 

「あ、先輩……助かるっす!」

 

 結陽もしゃがんで紙を集める。

 俺は渡り廊下側へ流れた分を拾い、彼女は中庭側へ飛んだ分を追う。

 言葉を交わすより先に、二人の手だけが動いた。

 

 紙は軽い。

 春の風は容赦がない。

 拾っても拾っても、端から逃げる。

 

「結陽、紙の向きそろえなくていい。枚数優先」

「了解っす……!」

 

 結陽の返事は早い。

 焦っていても、指示を聞いて動けるのは強みだ。

 それでも不運は続く。

 しゃがんだ拍子にペンケースを落とし、拾おうとして髪留めが外れ、直したところでまた紙が一枚飛ぶ。

 

 本人は慣れた手つきで順番に回収して、何事もなかった顔で紙束を抱え直す。

 

「すみませんっす、私、ちょっと抜けてるんすよね」

「……ちょっと、か?」

「今日はまだ軽いほうっす」

 

 渡り廊下の角、花壇の縁、掲示板の下。

 散った紙を回収して、最後に中央で一つの束へ戻した。

 

 俺はざっと表紙を確認する。

 学年通信、部活動見学案内、各教室配布分の一覧。

 確かに、なくしたら困る種類だった。

 

「先生に頼まれたって、誰から?」

「一年の学年主任っす。職員室から一年フロアに配ってって」

「そっか。じゃあ今から一緒に行く。途中で落とすと二度手間になる」

「え、いいんすか」

「どうせ職員室の前通るし」

 

 結陽は一瞬だけ目を丸くして、すぐ深く頭を下げた。

 

「ありがとうございますっす、先輩」

 

 紙束はそのままだと危ない。

 俺は自分のクリアファイルを抜いて、半分ずつ挟む。

 

「これで持てる」

「先輩、準備よすぎっす」

「紙折るの嫌いなだけ」

 

 結陽が小さく笑う。

 さっきまでの焦りが、そこで少しだけほどけた。

 

 職員室前に着くと、結陽は背筋を伸ばしてノックした。

 中から「はい」が返る。

 受け取りに出てきた先生が、紙束を見てほっとした顔になる。

 

「助かった、日向。風、強かっただろ」

「はいっす……ご迷惑おかけしましたっす」

「全部揃ってるなら問題ない。ありがとう」

 

 結陽は「はいっす」と返し、職員室の扉が閉まるまで姿勢を崩さなかった。

 廊下へ戻ってから、やっと大きく息を吐く。

 

「終わったっす……。寿命縮んだっす」

「無事なら伸びる」

「プラマイゼロっすかね」

 

 時間はまだ少し早い。

 昇降口へ向かう途中、窓の外で桜が揺れた。

 二日目の放課後は、初日より学校の音が少しだけ柔らかい。

 

 結陽は歩きながら、ぽつりと言った。

 

「先輩、今日はほんとに助かったっす。一人だったら、絶対もっと散らかしてたっす」

「気にするな」

「……初日も今日も、最後にバタつくんすよね。授業終わって気が抜けると、急にミスるっていうか」

「あるな。終わったと思った時が一番抜ける」

「それっす。だから、帰る前に一回落ち着ける場所があればいいのになって思うっす」

 

 結陽の言葉を聞いて、ふと思う。

 放課後に、少しだけ息を整えられる場所があってもいいのかもしれない。

 あったかいものを飲んで、短く話して、気持ちを切り替えてから帰る――そんな場所だ。

 

 昇降口で、結陽は鞄を持ち直して俺を見た。

 

「先輩、明日こそは何も落とさないで帰るっす」

「目標、低いな」

「大事なんすよ。積み重ねっす」

 

 そう言って、結陽は自分で少し笑った。

 さっきまでの慌てた顔は消えて、ようやく“今日を終えられそうな顔”になっている。

 

「じゃ、また明日っす」

「おう。気をつけて」

 

 結陽は小さく手を振って、一年の下駄箱列へ駆けていった。

 途中で一度だけ振り返って会釈し、そのまま校舎の角を曲がって見えなくなる。

 

 残った廊下は、夕方の光で静かだった。

 部活へ向かう足音と、窓の外の風の音だけが長く伸びる。

 

 俺は上履きのまま廊下を歩きながら、さっきの言葉を反芻する。

 帰る前に、一回落ち着ける場所。

 ただの願望にしては、切実だった。

 

 誰かが特別に弱いわけじゃない。

 むしろ、普段ちゃんとやれてるやつほど、終わり際に崩れる。

 授業が終わったあと、家に戻る前の、あの中途半端な時間。

 あそこで呼吸を整えられるだけで、明日は少し違うかもしれない。

 

 下駄箱で靴を履き替え、スマホを取り出す。

 画面にレンの名前を開いて、短く打った。

 

『明日、昼休み。相談したいことがある』

 

 送信。

 既読はまだつかない。

 

 校門を出ると、駅前へ続く並木道に薄く夕陽が差していた。

 朝は満開の桜に目を取られた道が、今は落ち着いた色をしている。

 花びらが一枚、肩に落ちて、歩くうちに風で離れた。

 

 そのまま数分歩いたところで、スマホが震える。

 レンから返信が入った。

 

『いいよ。屋上でいい?』

『助かる。屋上で』

 

 短いやり取りを終えて、スマホをしまう。

 話の形はまだない。

 部活にするのか、ただの集まりにするのか、それすら決めていない。

 けれど、必要かどうかだけは、もう迷わなかった。

 

 翌日の昼休み。

 屋上に集まる顔ぶれを頭に並べてみる。

 レン、日和、恵、命。

 それぞれ忙しいし、事情も違う。

 でも、だからこそ同じ場所がいる気がした。

 

 門を抜ける直前、もう一度だけ校舎を振り返る。

 二日目の放課後は、紙束を拾って終わった。

 それだけのはずなのに、明日につながる理由としては十分だった。

 

 まずは話してみよう。

 そこから先は、集まったやつらの温度で決めればいい。

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